『3670』パク・ジュンホ監督&チョ・ユヒョンインタビュー「マイノリティについて映画を撮るということ」
[ cinema , interview , theater , 荒井南 ]
『3670』というタイトルの数字は、韓国・ソウルの鍾路や梨泰院にあるクィアコミュニティで主に使われる隠語で、「鍾路三街駅6番出口で午後7時に会おう」という意味だ。最後の「0」には集まる人数を入れる。脱北者でありゲイであるチョルジュンは、韓国での生活にも、ソウルのゲイコミュニティにも慣れないながら、コミュニティで知り合ったヒョンテクに心を動かされたり、友人ヨンジュンには友情と恋愛、どちらともつかぬ思いを抱く。映画のタイトルにおける「0」は、その時間に誰も参加していない状況を示す。と同時に、これから何でも満たすことができるという、無限の可能性も内包しているのだと、パク・ジュンホ監督はあるインタビューで説明している。シークレットコードでありながらも繋がりを示すという相反する二重の意味を持つこのタイトルのように、映画の中には一見穏やかな、平和な、希望に感じられる場面が、実はコミュニティを知らない者にはあずかり知れない複雑さ、マイノリティであることの厳しさが内包されている。監督にインタビューすることで気づかされた。
コミュニティだけが大切にしてきた場所と空気がある。映画がそれをありのまま映し出そうと努力するとき、では俳優はどのような態度でいるべきなのか。チョルジュンを演じたチョ・ユヒョンは今回のインタビューで「まず、自分のことから始める」と繰り返した。自らがその役を生きることにより、模倣を超える。そして今ここの現実に生きる者としてスクリーンに存在し得たのである。
ーー本作の撮影はどのようにして始まったのでしょうか。
パク・ジュンホ監督 劇中で登場しますが、韓国には脱北者支援のひとつとして教育をサポートする施設があります。同じく私も、基礎英語や大学入試をサポートしたり英語を教えたりするボランティアを三年間ほどしていました。その経験が作品の種になったと言えます。またボランティアをしていく中で、「こうして教えている人たちの中に、セクシャルマイノリティもきっといるのではないのか。どんな生活をしているのだろうか」と自然と想像しました。これまで韓国では、脱北者やゲイといったマイノリティのコミュニティはフォーカスされなかったので、そうした方々の生活を紹介したかったんです。
ーーチョ・ユヒョンさんをチョルジュン役にキャスティングしたきっかけは2021年の「ソウル独立映画祭俳優プロジェクト60秒フェスティバル」の映像だったそうですね。
パク・ジュンホ監督 観客の人がチョルジュンの顔を見た瞬間、彼の人間的魅力にスッと入り込めることはもちろんですが、プラスアルファとして脱北者であること、またゲイという人物設計に対し、一目見た瞬間に説得力があるビジュアルが必要でした。韓国人の中にはある程度脱北者に対して、都会的ではないというような固定イメージがあるんです。
チョ・ユヒョン 「都会的ではない」......(笑)いや平気ですよ(笑)。
パク・ジュンホ監督 (笑)つまり素朴で親しみやすいルックスということですね。かつ、まだゲイコミュニティで知らない人が多く、もしかしたら人気が出るような魅力を持っていることが重要でした。彼の映像にそんな可能性を感じました。
ーー普段も本作のようにイメージからキャスティングすることが多いのでしょうか?
パク・ジュンホ監督 そうですね。主に先に作ったイメージに合わせてキャスティングしています。ただ外見だけではありません。自分がどう生きていくかという態度や実際の生活って顔に出るじゃないですか。人物の顔と姿を見たとき、直感的に生きざまみたいなものを感じられる俳優を探します。
ーーチョ・ユヒョンさんはまた本作への役者として出演の決め手は何でしたか?
チョ・ユヒョン 「ソウル独立映画祭俳優プロジェクト60秒フェスティバル」もそうだったんですが、結局演技をしたかったということもあります。俳優という職業をやっていくには、当然ながら演技をしたいという気持ちがありますが、それができるチャンスはたくさん転がっているものではありません。今回はその数少ないチャンスであり、さらに自分に合いそうな役割ならば、引き受けない理由が全くないですよね。
またシナリオが送られてきた当初は、自分がチョルジュン役だと知りませんでした。ただもしも演じさせてもらえるならと考えながらだったんですが、ラストシーンまで読み進んだときに、すごく不思議なんですが、「もし自分が演じたらやったらピッタリなんじゃないかな?」と具体的に想像ができたんです。そのシーンも全体のストーリーが心に響いたというのもあって、ぜひこれはやってみたいと思いました。
ーーチョルジュンの北朝鮮訛りを含めキャラクター造形はどのようにしていきましたか?
チョ・ユヒョン チョルジュンは北朝鮮出身の脱北者であり、セクシャルマイノリティです。この二つの属性を持つ人に会ったこともなく、チョルジュンと同じことを経験したこともないので、どう想像すればいいのか深く悩みました。ただ振り返ってみると、初めのうちはあまりにもそこに考えが囚われてしまい、チョルジュンというキャラクターに近づけなくなっていたようです。監督とチョルジュンについて話した時に思ったのが、「まず自分から始める」、つまり自分の経験を考えてみるということでした。チョルジュンは脱北し韓国に来て、初めて鍾路のゲイコミュニティに参加するわけですが、そういう不慣れな場所に身を置いたときの居心地の悪さと、同時にワクワクする気持ちというのは、私自身も経験してきています。その視点からアプローチしていくと、チョルジュンになれたんですね。その後で実際の脱北者の方々に会って北朝鮮の言葉を習ったり経験を聞いたり、監督と一緒にセクシャルマイノリティのコミュニティへ行って、ゲイカルチャーを知っていきました。
ーーちなみに監督は、このときユヒョンさんとどんな話をしたか覚えていらっしゃいますか?
パク・ジュンホ監督 (二人で顔を見合わせて)何を話したっけ?(笑)まず映画をどうして作りたいのかについて共有してから、チョルジュンのキャラクターについて話したと思います。覚えている限りだと、シナリオを読むと表面的な出来事とストーリーが書いてあるわけですが、裏にあるゲイコミュニティの中での人間関係やどう絡んでいくかとかの意味を説明した気がします。つまり、パッと見ではみんなニコニコ笑いながら楽しんでいる軽い集まりに見えるけども、韓国社会で自分がゲイだと家族にすらカミングアウトしていない場合、ゲイコミュニティ自体、自分のアイデンティティをさらけ出すことができる"もう一つの家族"なんですよね。だからコミュニティから出なければないということは、彼らにとって非常に恐怖でもあり得る。あるいはコミュニティの友達が、もしかしたら恋愛の相手にもなり得る。そんな非常に複雑な関係性がある場所だと話しました。
チョ・ユヒョン でも、チョルジュンの置かれていた状況や文化的なことなど、私がわからない面は監督が話してくださったんですが、「チョルジュンだからこう演技しなければならない」ということは一切仰らなかったんですね。おかげでチョルジュンと同じシチュエーションにおいて、自分だったらどうするか?と想像できました。
理解を強要しない視線を作る
ーー例えば、チョルジュンが鍾路三街駅の地下から階段を上がってくる姿を後方から捉えるシーンはやや離れたところから撮影されています。 あるいは別のシーンでは、チョルジュンがバルコニーでタバコを吸っており、その下の路上で友人たちが談笑していて、それを見下ろすかのようでした。また、初めてチョルジュンがゲイコミュニティにやってきたシーンでは、どこか不安そうな彼の目線のようなカメラの動きであったり、逆にコミュニティに入ってきた新入りのチョルジュンのことを周囲が「この人は誰なんだ?」と訝しげに視線を送っているように見えるなど、カメラワークに視線が表れているように感じました。
パク・ジュンホ監督 一般的にセクシャルマイノリティが登場する映画では、マイノリティの主人公を観客に理解してもらうため、主人公と非常に近い場所へカメラを置き、その人物をフォーカスして見せることが多いんですが、人物の理解を強要しているみたいでやりたくありませんでした。またチョルジュンは脱北者とゲイというマイノリティ性を二つ持っている状況なので、キャラクターを強調すると観客が負担に感じるのではとも思いました。観客がチョルジュンを眺めるだけで、彼というキャラクターを感じられるようにしたかったんです。また、韓国のゲイコミュニティを紹介する場合、二つのパターンに分かれることが多い。つまりコミュニティ側の人間から見た善、ヘイト側の人間から見た悪という二項対立ですね。私はそうした描写は取りたくありません。韓国におけるクィアコミュニティを見せる行為だけで、人々の心を動かせるのではないかと思い、ストーリーを構成していきました。それからチョルジュンに密着するのではなく、周辺にいるヨンジュンやヒョンテク、すべてを見せることを目的にしていました。(コミュニティが多く存在する)鍾路や梨泰院を行ったり来たりしている皆に、メインキャラクター性が拡大していけることも考えて撮影も行いました。
ーーチョルジュンとヨンジュンのファーストコンタクトとなるラブショット(主に酒席での罰ゲームとして行われる、互いに腕を絡ませてお酒を飲むゲーム)のシーンでも、チョルジュンの相手が誰なのかは、一旦観客にはわかりませんよね。ピントもボケており切り返しも早く、カメラもあえて相手の顔を映しません。続くチョルジュンがコンビニでアルバイトをしているシーンにヨンジュンが登場し「ラブショットの相手だよ!」と自己紹介をする彼を正面から写すショットになり、ここで観客も初めて先ほどの相手だと認識します。ヨンジュンは後に「自分は大勢の中の一人だ」と自虐的に思っているんですが、実はコミュニティの中で最も慕われています。そのことに彼は気づいていないというある種の矛盾を暗示しているように感じました。
パク・ジュンホ監督 観客にもチョルジュン同じことを感じてもらおうと思いました。チョルジュンが最初に参加したオフ会はいわば突発的な飲み会、「スルポンゲ(술번개)」と呼ぶんですが、とにかくバタバタしているし、一人一人の顔を見る余裕なんてありません。そんなチョルジュンの視線を観客の方々にも同じように感じてほしかったんです。スルポンゲは突然催されるものだし、長く会話を重ねるものではない。いわば見た目だけで判断をされる場でもあります。たくさんの人の中にヨンジュンがいて、さらに目の前には、最初にチョルジュンが「ちょっといいな」と思うヒョンテクがいるという状況を見せました。
またそれとは別に、観客の方といわゆる〝綱引き〟みたいなことをしたかったんです。観客は「結局チョルジュンは誰と恋をするんだろう?」と想像しながら映画を観ているわけですが、その後ヒョンテクと目が合ったときに二人が恋に落ちるものだと考えるはずです。でも結局スルポンゲが終わった次のシーンで、急にヨンジュンが登場する。それで一瞬ざわつかせたかったんです。
ーー技術面でのもうひとつ大きな特徴は、長回しシーンが多用されている点です。チョルジュンとヨンジュンが二人でやり取りするシーンはほとんどカットを割っていないですよね。
チョ・ユヒョン ヨンジュン役のキム・ヒョンモクさんとは生まれ年が同じな性もありすごく親近感がありました。映画の撮影中よりもむしろ、クラックアップ後に映画祭へ一緒に行ったりして仲良くなりました。撮影時はヒョンモクさんは演技歴も経験も豊富でしたし、比べると私はすべて浅いです。いわばチョルジュンがヨンジュンにそうするように、私自身がキム・ヒョンモクさんに頼って撮影した記憶があります。たとえば歩いているシーンでも、会話にアドリブのようなものはなく、キム・ヒョンモクさんの方で雰囲気を作って引っ張っていってくれたので、私はそこに合わせるだけでよかったんです。
ーー中盤、チョルジュンが「3670」というシークレットコードの意味をカラオケ店で教えてもらうシーンも、二人の会話は長回しで撮影されていました。
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チョ・ユヒョン かなりのロングショットで、お互い話すセリフもたくさんありました。チョルジュンとしてはヨンジュンの話をちゃんと聞き、知らないことを質問するシーンだったので、やっぱりヒョンモクさんの方が主導的に引っ張ってくれました。あのシーンで、大学への願書が通るどうか不安なチョルジュンに対して「この業界は顔が命。お前はイケメンなんだから学位いらない。願書破いちゃえ!」みたいなことを言いながらヨンジュンが紙を指で破く仕草をしますが、あれはヒョンモクさんのアドリブなんですよね。本編でも吹き出していますが、カットがかかってからもものすごく笑いました。
ーー二人の演技がすでに始まっていって、途中からそのカメラ回して撮影がスタートしたかのような自然さがありましたね。
チョ・ユヒョン 私がまだ演技の初心者だからかもしれませんが、たとえば涙を流したりと感情を表に出さなければならない場面は脚本に指示が書いてるわけじゃないですか。そのせいでむしろ「泣かなきゃいけないんだ」という考えに囚われてしまうんですね。「自分は演技をしているんだ」という自己認識が逆に邪魔になってしまうことがあります。でも今回のロングショットにかんしては、そんな強迫観念みたいなものはなかったんです。さっきお話をしたようにまずヨンジュンの話をしっかり聞く。わからないことを質問する。ここに集中したんですよね。カメラを意識するよりも、 自分がありのままに存在していればよかったので、安心して臨んでいました。だから自然に見えたのかもしれません。
ーーパク・ジュンホ監督には、製作者としてロングショットとそれ以外をどのように使い分けされましたか?
チョ・ユヒョン 実は撮影しているタイミングではカットを割ろうと思っていました。でも編集する時に見たら、あえてやる理由が分からなかった。ストーリーも感情の流れも止まってしまうので、ロングテイクを使用することになったんです。カラオケでのシーンは特にそうですし、チョルジュンとヨンジュンの対話シーンで多かったように覚えています。チョルジュンが他の友達に会ったり、鍾路や梨泰院へ行くシークエンスでは彼も不安があったはずなんですが、ヨンジュンとの関係性は非常に安定しているので、カメラの動きも減らし、カットも長くしました。
"成長"という言葉の疑わしさ、そして代償
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ーーラストでチョルジュンが歌い上げるシークエンスについてお伺いしたいです。どのように撮影されたんでしょうか?
パク・ジュンホ監督 ラストシークエンスも、実はカットを割る予定だったんです。完成版で使っているアングル、チョルジュンを横から近接して撮ったカット、飲み屋の空間全体が映る大きなアングルのものをそれぞれ2回ずつ、6回撮りました。ところが編集の途中、「カットを割る理由があるのか?」と悩んでしまったんですね。結果的にあのようになったんです。
チョン・ユヒョン 振り返ってみると、シーンはラストなんですが撮影自体は後半の真ん中ぐらいの時期でした。その間スタッフの方々とともに過ごして、チョルジュンとして過ごしたことにより、私自身の中にチョルジョンがどんどん蓄積していったんです。歌の練習はもちろんやりましたが、 撮影中盤の後半だったせいもあり、脚本には「おじさんが歌う軍歌のように力強く、一生懸命歌う」と指示が書かれていました。私が思うに、たぶんチョルジョンはそんなに歌は上手くないだろうから、ただただ汗をかきながら必死に歌うだろうと想像して撮影しました。そのとき初めて、自分自身気がついていなかったチョルジュンの蓄積を、自分の中に発見できたんです。さらに周りでカラオケを聞いていた人たちが時折拍手をしてくれたり、一緒に歌ってくれたんですよね。その瞬間にこみ上げてくるものがありました。その感覚でもって最善を尽くして最後まで歌いきった感じですね。今まで重ねてきた時間があったからか、涙をともなった感情になり、歌として出てきたんだと思います。
ーーラストでチョルジュンが「回転木馬(회전목마)」という曲を歌うカラオケシーンは、自分をコミュニティへ連れてきてくれたヨンジュンと離れたチョルジュンが、ある意味で成長した瞬間のように感じられます。また、私は拝見する機会を逸したのですが、監督は過去に短編映画で変声期をテーマにした短編映画を撮っておられます。成長の過程やそこで起きる苦痛や得られるものがテーマのようにも感じます。
パク・ジュンホ監督 でも私は実のところ、「成長」という言葉を疑っているんですよね。『変声期』という短編は、年齢を経て成長していくことで変声期を通過し声を失ってしまうという話でした。私にとって成長とは必ずしも何かを得るわけではなく、喪失もまたあり得るのではないか?と思うので、実はあまり信じていません。つまり成長ではなく変化ではないかと思います。つまり人生は(チョルジュンが歌う曲名と同様)回転木馬のように繰り返されるものではないでしょうか。チョルジョンが歌う場面は成長というよりは、通過儀礼ですよね。
ーーたしかにチョルジュンは、ゲイコミュニティに入ったばかりの頃はマイクが回って来ても歌おうとせず、ヨンジュンには「友達になるには歌と会話から」とやんわり諭されます。コミュニティで新入りが消極的にしていることについても、「みんなだって勇気を出してここに来ている」とヒョンテクから苦言を呈されます。
パク・ジュンホ監督 歌わなければ(このコミュニティには)入れないということもあるんですよね。ラストシーンはそうした背景もあるので、希望に満ちたものなのかはよくわかりません。チョルジュンは歌を歌ってきた人間ではないのに、今は歌を歌っている。それは自分自身でいることを諦め、社会のやり方に合わせていることと同じ。良くないことかもしれませんが、一方では一生懸命、前向きに努力をしているという肯定的も捉えられるかもしれませんね。評価は観客に任せたいと思います。
「自分ではない人生」を俳優として演じるために
ーー百想芸術大賞(※)の受賞スピーチで「私たちはゲイコミュニティに多くの借りがある」と言及されておられました。
パク・ジュンホ監督 私が必ず表現したかったのは、鍾路と梨泰院の現実のゲイコミュニティとその風景でした。韓国のゲイカルチャーは非常にダイナミックで、ダイバーシティの一部分であり、世界的にも遅れをとっていない。最近はアジアのゲイの方々が「ソウルへ行きたい」とおっしゃるほどです。一方で韓国社会は、LGBTQのイシューに保守的です。有名な映画やドラマではほとんど紹介されたことがないというのが事実でした。まさに文化遺産とも言っても良い。実際にこの空間やコミュニティで過ごしている人たちが、普段そこでお酒飲んだり、体験したことを映画に入れることで、映画を観たときに「自分もここ行ったんだ」と実感してもらうことが重要だったんです。非常にありがたいことに、この趣旨に共感してくれたお店のオーナーの方たちがかなり協力してくださいました。
ーーとはいえ、協力的だったとしても、コミュニティが大切にしている場にカメラを向けることや、実際にそこで過ごしている方々の姿を演じるということには、やはり慎重になったのではないでしょうか。
チョン・ユヒョン どんな役柄でも、自分が体験したことのないことを演じるというのは慎重にならざるを得ないと思います。今振り返ると、何かを理解したふりだとか、見たものを真似をしてみるというのではなく、自分がどのように考えて理解し、自分の心の中の核の部分に入れ込んでいくか追求するのが大切だったように思います。ただ結局自分は表現をしていかなければならないので、慎重さだけで彼らに近づいていくというのは、あまりいい方法ではないと思いました。脱北者でありゲイであるチョルジュンと同じ経験を私は実際にしているわけではありません。先ほど話したように、「では自分の生きてきた経験の中で似ている部分は何なのか?」からスタートしました。「自分にできるのか?」と自分自身を疑ってみたりしました。でも、やはり私は集中していくべきなのではないのかなと。 私が演技をする状況や環境は監督が作ってくださったし、場所も実際のゲイコミュニティの場所で、私はそこに置かれた。その置かれた状態の中でしっかり感じ取りさえすればいい。そういう気持ちで演技をしていましたね。
※"韓国のゴールデングローブ賞"とも呼ばれる総合芸術賞。今年5月に行われた際、『3670』は映画部門にて新人監督賞を受賞した。
取材・構成 荒井南
取材日 2026年9月26日
2025年/韓国/韓国語/カラー/2.39/124分
監督・脚本・編集:パク・ジュンホ
撮影:ハン・サンギル
出演:チョ・ユヒョン、キム・ヒョンモク、チョ・デヒ
原題:3670
英題:3670
配給:ショートレッグフィルム
©Orot Film
公式X @shortlegfilm
2026年9月25日(土)より渋谷ホワイトシネクイントにて上映中、10月9日(金)アップリンク京都ほか順次拡大公開
パク・ジュンホ(박준호):右
韓国・麗水出身。韓国芸術総合学校にて映画演出を専攻し、在学中に短編映画『Almond: My Voice is Breaking』(2017)、『EUNSEO』(2019)を制作。脚本家として活動した後、長編デビュー作『3670』(2025)を発表した。本作で第62回百想芸術大賞・映画部門最優秀新人監督賞を受賞。
チョ・ユヒョン(조유현):左
1991年生まれ。短編映画と演劇の舞台を中心に活動してきた韓国の俳優。2021年のソウル独立映画祭「俳優プロジェクト・60秒独白フェスティバル」の映像を通じてパク・ジュンホ監督に見出され、本作『3670』で長編映画初主演
を果たした。脱北者でありながら韓国のゲイ・コミュニティへ足を踏み入れていく青年チョルジュン役を、繊細な感情表現と静かな存在感で体現している。『3670』(2025)への映画出演のほか、ドラマでは、『京城クリーチャー』(2024)、『トランク』(2024)などに出演。公開待機作として、『롱 베케이션』、『코리언즈』が控えている。舞台俳優としても活動し、『죽음의 집』(2024)、『정글북:모글리의 파동』(2024)では主演を務めた。