ジャン=フランソワ・ステヴナン監督特集

坂本安美

2021年11月20日(土)から12月10日(金)まで横浜シネマジャック&ベティにて開催中の「第3回映画批評月間 フランス映画の現在」。本特集の目玉でもあるジャン=フランソワ・ステヴナン追悼特集をご紹介したい。今年7月27日、享年77歳で惜しまれて亡くなったステヴナンは、トリュフォー、ゴダール、リヴェット、ロジエのアシスタントを務め、「フランス映画で最も巧みに動くことができる俳優」(セルジュ・ダネー)として作家主義的映画から大作商業映画、テレビドラマまで、数々の作品に出演して人気を誇るほか、監督としては、生涯に撮った作品はたった3本ながら、フランス映画史の風景を一変させる、前例のない作風で、ゴダールをはじめ、多くの映画人、観客を魅力した。2018年に監督3作品のレストア版が公開されると、若い世代も含め、カルト的な人気をよび、同年、そのキャリア全体にジャン・ヴィゴ名誉賞が贈られた。この貴重な機会にスクリーンにてぜひ発見、再発見してほしい。


ジャン=フランソワ・ステヴナン特集@シネマ・ジャック&ベティ
<監督作品>
「防寒帽」 (1978年/110分)
11/25(木)13:00
11/27(土)13:00 上映後トークあり(ゲスト:加瀬亮)
「男子ダブルス」 (1986年/90分)
11/25(木)15:00
11/27(土)15:00
<出演作品>
「走り来る男」監督:パトリシア・マズィ(1988年/87分)
12/6(月)15:00



DoubleMessieurs3_ツゥ Le Pacte.jpegジャン=フランソワ・ステヴナン プロフィール

1944年4月23日、フランス東部ジュラ県のロン=ル=ソーニエでエンジニアの父と教師の母の間で一人息子として生まれる。幼い頃から映画に熱中するも、父の強い勧めもあり名門校パリ高等商業学校(HEC)に入学。同校在学中に知り合った友人と共にキューバに赴き、そこで6ヶ月間、映画の撮影に参加。帰国後、1968年、アラン・カヴァリエ監督の『別離』の現場につく。本作に主演していたカトリーヌ・ドヌーヴの紹介でフランソワ・トリュフォーと出会い、『暗くなるまでこの恋』(69)から計8本、トリュフォーの作品にスタッフ、そして俳優として関わることに。同時にジャック・リヴェット、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・ロジエらヌーヴェルヴァーグの監督たちからも信頼を受ける。リヴェットの12時間超の大作『アウト・ワン』(70)でジュリエット・ベルトとカフェの乱闘シーンを演じたのが俳優デビュー。同監督の『北の橋』(82)でのパスカル・オジェとの空手の格闘シーン、そしてトリュフォーの『アメリカの夜』(73)で助監督である自身自身を演じ、『トリュフォーの思春期』(76)では重要な教師の役を与えられ、これが俳優としてのキャリアの本格的スタートとなる。1981年にはジョン・ヒューストン監督の『勝利への脱出』でシルヴェスター・スタローンらと共演。80年代には『都会のひと部屋』(ジャック・ドゥミ、82)『パッション』(ジャン=リュック・ゴダール、82)、『ホールにフランス人はいるか?』(ジャン=ピエール・モッキー、82)、『真夜中のミラージュ』(ベルトラン・ブリエ、84)、『ヴァージン・スピリト』(カトリーヌ・ブレイヤ、88)など、時代を牽引する作家たちの作品に次々に出演。その少年のようなシャイで夢見がちな表情と力強い眼差し、突如としてみせる荒々しい闘争心、画面に登場しただけで忘れられない魅力的なその存在感でフランス映画になくてはならない俳優となる。しかしその才能が火花のように発揮されるのは監督作品たちである。さまざまな脱線に満ちた『防寒帽』(78)、『男子ダブルス』(86)、そして人生賛歌である『ミシュカ』(2002)、長編3作品と寡作ながら、ステヴナンはフランス映画の常識を覆し、そこに新たな息吹を与える。山、田舎道、出会い、思いがけなく生まれる友情が描かれた、彼以外何にも似ることのない作品、そこにはユニークな撮影の冒険、人間的で創造的な経験が刻まれている。尚、『防寒帽』を観て、ステヴナンのファンとなったパトリシア・マズイは、1988年、その長編初監督作で彼を主演に迎え、傑作『走り来る男』を発表している。


ジャン=フランソワ・ステヴナン特集: 逃走の悦楽
マルコス・ウザル(『リベラシオン』、2018年4月18日)

DoubleMessieurs8_ツゥ Le Pacte.jpeg ジャン=フランソワ・ステヴナンの監督した3本の作品がデジタル修復され、リバイバルされるという知らせは今年最も嬉しいニュースである。俳優としてのステヴナンは誰もが知っており、その出演作のリストは、ジャック・リヴェット、ピエール・ズッカなど妥協することのない映画作家の作品から、『ムーラン署長』などお茶の間で大人気の連続テレビシリーズまでと幅広いが、彼が偉大な映画監督でもあることはあまり知られていない。しかし『防寒帽』(1978年)と『男子ダブルス』(1986年)は過去40年間でもっとも美しいフランス映画の2本であり、実際に観た者だけがそれを知っている。しかしこれほどまでに特異な魅力を持つステヴナンの映画は何と並べることができるだろうか?フランスでは彼がアシスタントについていたジャック・ロジエ、アメリカでは彼が師匠とみなすジョン・カサヴェテスだろう。この二人の師匠にならい、ステヴナンの映画作りはこの上なく冒険的である。社会や映画の規則を放棄し、一見カオス的に見えながら、所作、編集は非常に的確なのだ。生まれ故郷のジョラで山やアルコールを愛し、犬と一緒に歌う人々たちの驚くべき集まり、ステヴナンしか見せることができないフランス、世界が広がっていく。まさにアルコールと空手がステヴナン映画の原動力といえるだろう。
 ステヴナン監督3作品はほぼ同じ物語を語っている。道中で出会った男たちが共に逃避行へと出発し、心ゆくまで漂流する。彼らの間に生まれるもの、それは時に愛に似たものであり(『防寒帽』)、旅の途中で夢のような女性に見つけたり(『男子ダブルス』)、かりそめの家族を作ったりすることもある(『ミシュカ』)。彼らが何をしたいのか、どこに行こうとしているのか分からない。彼らはまるで子供のまま大きくなったようで、ぶっきらぼうで、多少マッチョで、とくに感じがいいわけではない(それが目指されているわけではない)、しかし執拗なまでに逃走していく彼らの姿には誰もが深く心揺さぶられるだろう。
 そして彼らがすれ違う人々、あるいはしばらくの間、道連れにする人々がいる。『防寒帽』では、ステヴナンが故郷のジュラで見出した人々が脇役やエキストラを演じており、驚くべき集団を構成している。山やアルコールの瓶に囲まれた、彼らの不安を誘いさえする喜び以外何も存在しないかのように、犬と共に歌うクレイジーな人々。ブランデーを飲み漁る者たち、ソース料理の詩人、崇高なる愚か者たち。こんなフランスを見せることができたのはステヴナンのみだろう。そして彼の仲間である俳優たち――ジャック・ヴィルレ(『防寒帽』で稀にみる存在感を見せている)、イヴ・アフォンソ、キャロル・ブーケ、ジャン=ポール・ルシオン、あるいは比類なきジャン=ポール・ボネール――、映画の中で登場人物たちが人生に身をゆだねるように、彼らはステヴナンに身をゆだね、酩酊の夜のような、心地よくも狂おしい熱狂の中へと乗り出していく。
 3本の作品は、3人の兄弟のように互いに似ているとともに異なってもいて、それぞれに特有のエネルギーと風景を持っている。ジュラ山脈の中で撮られた『防寒帽』は故郷の地と思春期の夢からひきちぎられたかのように、もっとも狂おしく、激しく、叙情的な作品だ。グルノーブルの街と周囲の山中で撮られた『男子ダブルス』はよりざらざらと乾いたように見えるが、そのリズムや編集は見事なまでに音楽的であり、すべてが悲劇的に一秒ほど早く幕を閉じてしまいながらも、雪の中でのラストは映画史上で最も素晴らしい抱擁を見せてくれる。『ミシュカ』は3本の中でも驚きに乏しい作品であるかもしれないが、見直してみて、公開当時に失望したことを悔やむほど素晴らしい作品だ。あまり目を向けられず、愛されることもなくきた人々が動物的本能で互いに分かり合う。『ミシュカ』は夏の映画、ヴァカンスの映画であり、よりのびのびとして、優しさに満ち、まるで7月の心地よい風に押し流されていくかのように、カメラはゆったりと動いていく。人間たちが演じられる、見捨てられた犬たちの物語だ。


映画監督たちのジャン=フランソワ・ステヴナンへの言葉
838_mischka3_-r_le_pacte.jpeg たった2本の作品によって、ジャン=フランソワ・ステヴナンはフランス映画の情勢を一変させた。
 ヌーヴェルヴァーグがフランスで起こり、後にそれがアメリカで不思議な展開を見せた。ハリウッドに対して、現実をフィクションに置き換えることを余儀なくされる低予算のフィルムが生まれ始めたのだ。大西洋の向こう側で、思考の映画が、俳優の映画へと変貌した。アメリカのジャンル映画によって形を変えたこのヌーヴェルヴァーグの遺産を、たったひとり、ステヴナンがフランスに回帰させた。そしてまたステヴナンは、不器用にもこう名付けるしか私にはできないのだが、「しぐさの映画」というべきものを創り出したのだ。
 ゴダールは「盲目の映画を作ることができるだろう」と述べていたが、そこにはつねに彼自身の手が介在していた。ステヴナンの1本の作品のワンシーンを見るだけで、この逆説を理解することができだろう。
ステヴナンが俳優であることは偶然ではない、それも途方もない俳優であることは。ステヴナンはただ単に、私たちのクリント・イーストウッドなのだ。彼らふたりの映画には同じ古典主義、同じモデルニテが存在し、同じ謙虚さ、そして映画がこうあるべきであるという広大で、果てしない理念を共有している。
ステヴナンは、彼の身体のすべてによって映画を作っているのだから。
アルノー・デプレシャン(2002年『ミシュカ』公開時のプレスより引用)

PasseMontagne2_-Le-Pacte.jpeg いまだにジャン=フランソワの死が信じられずにいる。2019年に亡くなった映画監督のパトリック・グランペレとも大の仲良しで、今でも毎日のようにふたりの偉大なバイク乗りは私の人生を駆け抜けている。『防寒帽』のことをいつも考えている。この映画では光が決して消えることがなく、戦後のフランス映画史において前例のない作品であり続けている。出会いと横断の映画であり、ストーリーテラーの映画でもあり、ステヴナンは話上手で彼の話は何時間でも聞いていられる。ジャン=フランソワとはジャック・リヴェットのアシスタント時代に知り合いになり、1979年にロッテルダム国際映画祭で本作が上映されるので彼に同行した。ゴダールが講演をしに来ていて、『防寒帽』について、国、地方、ジュラの風景が描かれた映画として、心を打たれたことを長い間語り続け、ジャン=フランソワは感動して涙を流していた。ヴェンダースの『さすらい』(1976年)との親和性、完璧なドイツ語を話すステヴナンがライン川の向こう側で映画を作ることを夢見ていたことも重要だが、アメリカン・ニューシネマの非常に特殊な存在であるモンテ・ヘルマンとの親和性もあるだろう。ふたりはカンヌで出会い、意気投合していた。ステヴナンにはオーソドックスなものは何もない。例えば、私が『リヴェット、夜警』を撮影したとき、出演依頼すると彼はバイクで現れ、リヴェットのことを(通常言われるような)インテリのアーティストとしてではなく、美食家であり、ダンサーのような身体を持つセクシーな男として語ってくれた。1984年にナタリー・バイに依頼されて、(彼女の当時の夫で、フランスのスーパースターの)ジョニー・アリディのコンサートのステージ・マネージャーを務めた時、ジャン=フランソワはほとんど毎晩のように来ていて、夢中になっていた。彼は本物のジョニーのグルーピーだった。彼はフランス映画界では非常に異端な俳優であり、そのころを自覚していた。彼は、マーロン・ブランドやロバート・デュヴァルを思い出させる、つまり、揺るぎない独立性を醸し出しながら、同時に抗い難い魅惑を放つ、完全なる男だった。
クレール・ドゥニによる追悼(『リベラシオン』、2021年7月28日)


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