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November 23, 2014

『ショート・ターム』デスティン・クレットン
常川拓也

[ cinema ]

エドガー・ライトが2013年のベストの一本に挙げ、ジャド・アパトーが絶賛した(アパトーは次回作『Trainwreck』に本作主演のブリー・ラーソンをキャスティングしている)まだ無名の新鋭監督の長編二作目『ショート・ターム』の舞台となる短期保護施設にいるのは、家庭のトラブルで深い傷を負った子どもたちだ。つらい秘密を持ったナイーヴな彼らを、時に愛が傷つけている──触れると灯りが点いたり消えたりするランプのように。性的虐待、ネグレクトなど愛されるはずの親から受けた傷により家庭の中に居場所をなくし、行き詰ってしまった子どもたちの内面には愛への恐怖が隠されているのではないか。ふてくされた15才の少女ジェイデンは、いかにも堅い殻で自らを守っているかのように、目の周りを黒く縁取ったアイメイクをしている。そして、間もなく18才を迎える寡黙な少年マーカスにとってこの世界は、まるで金魚が泳ぐ狭い水槽の中のようなものかもしれない。外に出たら死んでしまうペットの金魚は彼の映し鏡なのだろう。水の中でしか生きることができない金魚の死を見た彼はそこに自分の未来を見てしまうからこそ、金魚の死は彼のリストカットへと発展してしまう。
もうすぐ外の世界に出ていかなければならないマーカスと外世界で傷つき入所したばかりのジェイデンは、どちらもメランコリーを抱え、人や社会とうまくコミットすることができないでいるようだ。ペットの金魚をナズと名付けるほどラップが好きでリリックを書く少年と絵を描く少女。どちらも物事を「見る」という行為を通じた表現であり、秘められた想いがそこに表出している。リリックを書くことで世界と向き合い、鬱屈した怒りを吐くラップを通して、マーカスの抱える恐怖が表現される。あるいは、ジェイデンの描く男性器の絵、彼女が創作したタコとサメのお伽噺──どうすれば愛してもらえるかわからないタコ(=ジェイデン)はサメ(=父)と仲良くいるため、関係を保つために足を分け与え続けるが、最後には食べられてしまう──を通して、性的虐待を受けたジェイデンの抱える恐怖が説教じみたものではない、親密な方法で私たちに伝えられる。犠牲を捧げなければ、傷つかなければ、愛してもらえないのではないか──胸を強く打つのは、真に迫ったそれらの言葉が痛みそのものであるからだ。
ブリー・ラーソン演じるケアテイカーのグレイスは、ティーンエイジャーと同じ立場、同じ目線に立ち、お互いの感情や経験を共有することで励まし合う。自身も性的虐待のトラウマを実は抱えているグレイスにとって、ジェイデンは過去の自分自身でもある。ジェイデンの問題と向き合うことは、グレイス自身の心に潜む、蓋をしてきた悪と対峙することなのだ。タコとサメのお伽噺を話すことでおおっぴらには声に出せない救いを求めているジェイデンも、虐待の加害者である父を罰すべく刑務所へ送り込んだ過去を心の隅で引きずるグレイスも、親へのアンビバレントな感情を抱えているのではないだろうか。そして、彼女たちはその痛み、感情を消すために手の爪で自らを傷つけている。自罰することでしか自己を受容することが難しくなってしまっているほど、家族でありたい気持ちや愛が、彼女たちをきっと押し込め苦しめている。彼女たちがジェイデンの父親の就寝中にバットで彼の車の窓を叩き割るシーンが痛快なのは、それがでたらめな愛への反抗だからだ。恐怖していた男根(=バット)で窓を破る擬似レイプのような破壊行為によって、押し込められた生(性)が解放されているのである。すなわち、彼女たちはそこで初めて親子やセックスへの恐怖、呪縛を解いてみせるのだ。
オープニングとエンディングで、混乱や恐怖そのままに脱走を試みる自閉症であるかのような少年サミーにも目を奪われる。まるでマントを羽織ったヒーローのようにアメリカ国旗を背負って駆けてゆくサミーを、グレイスやメイソンはいつものようにまた追いかける。スーパーヒーローなき不信の世界で、彼女は小さな「希望」を追いかけ続けている。痛みに寄り添ってきたカメラはそこでようやく、ゆっくりと見守るように離れていく。外の世界には、たくさんの困難が横たわっているかもしれない。しかし、たとえ愛が破れても、苦難を乗り越えようともがく者たちに、Graceはあたたかく注がれるのである。

映画『ショート・ターム』オフィシャルサイト 11.15公開