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December 9, 2019

『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』 レネ・ペレス
千浦僚

[ cinema ]

 すごいの見つけてきたな、おい!、と言いたい。
 それは、スペインの西部劇テーマパークでこのチャールズ・ブロンソンのそっくりさんロバート・ブロンジーを発見して起用した監督レネ・ペレスに対してなのはもちろんだが、この映画を配給する江戸木純氏にも向けられる。わかるひとにはわかる話をすると、90年代に『ドラゴン危機一発 97』とか『新・ドラゴン危機一発』があったが、これが見事に羊の皮(パチモン、邦題のいかがわしさ)をかぶった狼(モノホン)だったわけで、慧眼の紹介者によってドニー・イェンという本物に出会えたあの幸福な映画体験、思ってたのより来たのが凄かったというコメダ珈琲的逆ベクトルの画像詐欺のような、アゲていくほうへの嬉しい裏切りに似たものがこの『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』だ。
 チャールズ・ブロンソンとはなにか。
 それは1921年から2003年まではフィジカルな身体をともなってこの世にあり、特に1951年から1999年までは映画に出演していた、男だとか映画だとかの概念を拡張してくれた存在のことだ。
 『大脱走』(63年)では"トンネル王"の異名を誇り掘って掘って掘りまくった。
 やはり穴を掘ることになった『さらば友よ』(68年)ではその肉体美で世紀の美男子アラン・ドロンを圧倒し凌駕した。
 マカロニウエスタンの獅子王セルジオ・レオーネは『夕陽のガンマン』(65年)でブロンソンにオファーしたが協働果たせず、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(『ウエスタン』68年)でようやく主役に据えた。イタリアで撮影されたロバート・アルドリッチ監督による聖書劇『ソドムとゴモラ』(62年)の第二班監督を務めながら長すぎるシエスタ(昼食後の午睡休憩)を咎められてクビになっていたレオーネにとって、アルドリッチを見返し、ひいてはアメリカ映画に挑戦する映画づくりのために是非とも欲しかったコラボレーターはアルドリッチ映画の悪役・脇役(『ヴェラクルス』『テキサスの四人』『特攻大作戦』で)のブロンソンだったろう。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』のブロンソンはヘンリー・フォンダを屠り、リベンジャーの役を見事にやりきった。
 筆者のマイフェイバリットブロンソン映画はほとんどロベール・ブレッソンの映画のようなマテリアリスティックな活劇『メカニック』(72年 マイケル・ウィナー監督)だ。プロの殺し屋の仕事のメカニカルさ。全編にみなぎる渋さと殺気が衝撃的な必殺の傑作。これは2011年にジェイソン・ステイサム主演でリメイクされ、2016年にはその世界観を拡大した続編も作られた。オリジナルの凝縮度には及ばなかったが。
 ブロンソン・オブ・ブロンソンといえるのは74年の『狼よさらば』から始まり時を隔てて82年の二作目『ロサンゼルス』を経て93年まで続いた計五作品の"デス・ウィッシュ・シリーズ"。これは変奏的続編リメイクとして07年に『狼の死刑宣告』(ジェームズ・ワン監督、ケヴィン・ベーコン主演)があり、2018年にはさらに直接的なリメイク『デス・ウィッシュ』(イーライ・ロス監督、ブルース・ウィリス主演)があった。
 ブロンソンの影響、ブロンソン主義、ブロンソニズムは映画の域にとどまらない。ニコラス・ウィンディング・レフン監督作にはその名もズバリ『ブロンソン』(08年、トム・ハーディ主演)という映画がある。これは自らをブロンソンの分身だと主張する実在の犯罪者、本名マイケル・ゴードン・ピーターソンの伝記的映画。この男はアンダーグラウンドのベアナックルボクシングのファイターだった時期のリングネームが"チャールズ・ブロンソン"だったが(おそらく(本物の、俳優の)ブロンソンが感動的なまでに強いファイターを演じたウォルター・ヒル監督作『ストリートファイター』(75年)が由来か)、それが人格や自己認識そのものになってしまったという。また、日本には外見がちょっと似てるということであだ名がブロンソンだったのがそのままペンネーム「武論尊」となり、その名に恥じぬブロンソニズム横溢する作品を世に送り続ける劇画原作者もいる。もちろん田口トモロヲ・みうらじゅんの"ブロンソンズ"もある。日本文化を代表するものとして「フジヤマ、ゲイシャ、マンダム 男の世界」というくらいの"マンダム"もある。アレックス・コックス監督による傑作パンクウエスタン『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)はコックスと俳優・脚本家のディック・ルードがブロンソンウエスタン『チャトズ・ランド』(72年)のセットの廃墟(スペインのアルメリア地方)を訪れたことでインスパイアされて構想され、そこで撮影されている。
 ブロンソンは偏在する。ブロンソンは世界である。
 だが、灯台もと暗し。そっくりさんで続編のようなものをつくるとは!ド直球すぎて、やりそうでやられていなかったことだ。
 その『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』(原題 Death Kiss)、この本気度はもちろんパロディなどではない。
 これは主演ロバート・ブロンジーが、単に顔や髭が似ている以上のものを出しているのが勝因だ。ブロンジー氏はハンガリー人だそうでそれはアジア要素の入ったロシア系であるチャールズ・ブロンソン(本名そして初期出演作ではブチンスキー)と人種的顔貌において一致する。また、本家ブロンソンとはまず若き日の鋼の肉体であり、その強さとまばゆさ、肉体の力感や姿勢が中年期以降もオーラとして宿り続けた結果の、顔のことはどうでもよくなる迫力の人物のことだが、ブロンジー氏にはそれに近いものがある。軍人、大工、馬の調教師、スタントマンなどの経験があるそうだがそれが活きている。拳銃を構えたときのみっしりとした前腕の筋骨、腹は多少出ているものの肩と二の腕はたくましい。そこからムンムンと現代アクションが失ってしまった無骨さが匂いたつ。本作中盤の、スクラップ置き場で延々と展開する冗長な撃ち合いシーン、そこの異様さと魅力には目眩がした。それは近年のゲーム文化の影響下にあるPOV銃撃場面だが、それをやっているのがブロンソンもといブロンソン生き写しの人物であるという奇妙さ...・見るうちに、ブロンソン的ムーヴを見る快感のみのためこのシーンが160分くらい続いてもいいような気がしてきた。あと、この映画におけるラスボス、因縁あって主人公がずっと追っていた悪党を雪山での銃撃戦の果てについに捕らえるときの攻撃手段には唖然とした。コルトパイソン対サブマシンガン2挺、しかも再装填時に雪のなかに弾を落として一発だけの銃撃から相手のサブマシンガンを奪い......からの最後に驚きの方法が! 劇場では必笑、失笑必至ではないかと思うが、これはこれですごい。筆者はキン・フー監督作、武侠映画の金字塔『忠烈図』(75年)の幕切れを連想した。ほぼ同じことが起きるのである。ともかく雪中の対決の結末はぜひ自身の眼でご確認いただきたい。
 ともかく、それらいろいろが渾然一体となっての街灯をスポットライトにして立つコート姿の2019冬。"デス・ウィッシュ・シリーズ"の主人公、ミスター自警団ことポール・カージーの甦り。終始自分の名を名乗らず、問われてやっと"K"とだけ告げる野獣処刑人だが、日本全国五万人のブロンソニアン、デス・ウィッシュフォロワーにははっきりとポール・カージーとわかるし、そういう名乗り方がまた嬉しい。
 『ザ・ブロンソン』はマイケル・ウィナーやJ・リー・トンプソンのような出来ではない。あの予算や規模ではなく、本作の画面や描く世界のスケール感はインディ映画然としたものではある。至らぬところもある。しかし監督レネ・ペレスは的確に急所を撃ちぬいていた。
 設定とストーリーのうえで何段階かの情報の開示、謎解きが仕掛けられている。なぜKは悪人ホイホイのごとく街の野獣どもを追いつめうるのか?、世を憂いKの行動を賞賛するタカ派なラジオDJと、Kの関係は?、Kが金を送る車椅子の少女とその母親は何者か?......見ていて、いい加減なのかご都合主義か、と思わせられるところよりも少しだけ筋書きが上をゆく。断じてアカデミー脚本賞候補や語り継がれる傑作ストーリーの類ではないがちょっとエモい。そこがいい。
 途中で悪党に人質にとられる、点景でしかないようなグラマー美女ストーミー・マヤにKが銃を撃たせるくだりはこの男の特殊な非情さと周到さを物語るが、ヒロイン的な存在の車椅子少女の母親に射撃練習をさせるあたりは力なき者の武装を顕揚した"デス・ウィッシュ・シリーズ"を踏まえていると思われたし、かつて『ダーティーハリー4』(83年)で極点に達した、女性の恐れ・憎しみ・怒りに敏感な映画人クリント・イーストウッドの域にブロンソン世界を接近させようかというものを見た。
 ダニエル・ボールドウィン演ずるラジオDJが延々と喋る好戦的反動的内容は"デス・ウィッシュ・シリーズ"にあった要素の誇張された反復だが、本作と"K"はそれをそのまま伝えてはいない。人種差別より人身売買、少女売春が問題だろ、と言ったり、いかにも怪しげだったりする有色人種は撃たれて当然、というようなことをこのDJが言うあたりに"デス・ウィッシュ・シリーズ"のヤバかったものが込められている。そのタイミングでインサートされるこのDJが卓上に飾っている小さな星条旗。本作は『狼よさらば』などにあったひっかかかるもの、WASPの確信や強いアメリカを愛そうとすることのきな臭さをわかっている。批評的継承というスタンス。武装の正当性や自警団精神を持つアメリカを賛美することに対して、野獣を狩るものもまた野獣、その野獣もまた死すべしという冷や水なひとことを加えたラスト。見事。容姿に由来しないブロンソンの美しさをまたひとつ見せつけられたと思った。いや、ブロンソンじゃなくそっくりさんのブロンジーだが......。
 『メカニック』でブロンソンは死してジャン=マイケル・ビンセントに手紙を遺す。あの必殺の遺言に迫るのが本作だ。
 かつてチャールズ・ブロンソンという狼がいた。彼と交わしたさらばの一言を撤回し、その挽歌をふたたび歌う『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』、この冬いちばん熱いクリスマスプレゼントだ。
 

12/20より新宿武蔵野館ほか、全国順次公開