特集『偶然と想像』

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12月17日(金)より濱口竜介の最新作『偶然と想像』が公開された。「第71回ベルリン国際映画祭」にて銀熊賞(審査員大賞)を受賞した本作は、その後「第43回ナント三大陸映画祭」にて金の気球賞(グランプリ)と観客賞を受賞したりと、世界中の多くの国々を放浪している。
小誌NOBODYでは「特集『偶然と想像』」と題し、監督インタヴューに加え、小誌「nobody issue28」に掲載された梅本洋一による「濱口竜介への手紙」の再掲、そして本作を独自の視点で紐解くふたつの論考をお届けする。

『偶然と想像』濱口竜介インタヴュー

2021年、12月8日(オンライン)
取材・構成:隈元博樹、梅本健司、鈴木史、安東来
協力:荒井南、作花素至

偶然とは、我々が生きていく中で起こりうるものであり、同時に起こりえないものである。また想像とは、起こりえないものをまるで起こりうるものとして立ち上がらせることを可能とさせる。こうした事象をめぐる『偶然と想像』は、収められた3つの短編(「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」)を通じて、本来存在する側の我々の世界だけでなく、映画がもたらす偶然性や想像力として結実し、見事なまでの豊かさを提示する。そして濱口竜介が偶然に端を発し、想像の名のもとに映画を撮ることは、彼のフィルモグラフィと併走してきた者たちにとって、訪れるべくして訪れた境地だと言っても過言ではないだろう。このたびの公開にあたり、映画の中の偶然を描くこと、あるいは分かちがたく隣り合わせに存在する想像の可能性を中心に詳しくお話を伺った。

起こるべくして起こる、ささやかな偶然を捉え続けるために

——『偶然と想像』は元々企画されている7本の短編のうちの3本であり、今後もその他の4本へと連なる短編集であると伺っています。そのことを踏まえた上で、どのような方向性でキャスティングやスタッフィングを進められていったのでしょうか。

濱口竜介(以下、濱口) 行き当たりばったりというのが正直なところではあります(笑)。ただ基本的にこのプロジェクトは、そのとき何となくやりたいことをやろうというもので、キャスティングの基準としては今まで仕事をしてきた中でなかなかガッツリと仕事をすることができなかった方々ともう一度やる機会にするのか、もしくは全く新しい方々と会う機会にするのか、そのどちらかです。実際にメインキャストは8名いらっしゃいますけど、初めて仕事をする方が4名、今までも仕事をした方が4名います。このバランスは非常によかったな、と思ってます。スタッフに関しても一緒で、撮影の飯岡幸子さんもずっとちゃんと組んでみたいなと思っていた方でした。ドキュメンタリーのときや『親密さ』(2012)『ハッピーアワー』(2015)のBカメで来ていただいたことはあるんですけど、最近の杉田協士さんとのお仕事も素晴らしいですし、仕事をしたいという気持ちは高まっていたのでお願いをしました。撮影者というのは作品全体の目なので飯岡さんには今回の3本を通しでやっていただこうというのが企画の始まりからあったんですが、その他のスタッフに関しても今までやった方と新しい方が半々ぐらいの割合です。その際にプロフェッショナルとしての実力は勿論なんですが「人柄の良い方」を、というのはすごく大きな要素ですかね。

——人柄の良さというのは、その方々から滲み出てくるものを通じてご自身が汲み取っていくものだったりするのでしょうか。

濱口 たとえば高野徹さんは『ハッピーアワー』でも助監督をやっていただいた方で気心も知れているし、今回も3本を通して助監督をお願いしました。ただ、彼だけでは人手が足らないので、他の人も「人柄の良い方をお願いします」っていうことで紹介してもらいました(笑)。単純に映画の現場では、まだまだ怒鳴ったりする人はいるわけで、怒鳴らないまでも非常にパワープレイ的に物事を進めていこうとする人は現状としてたくさんいます。それは時間がないことともすごく繋がっていると思うんですけど、その中で「自分がどう失敗しないか」という観点から仕事を進めていくスタッフはたくさんいる。でもそうではなくて、ごく単純に周囲に対して気を遣えたり、周囲の人間性を尊重できるような方たちとやりたい。そうじゃないと単純に自分自身もつらくなるので、そういう方にできるだけ、会ったうえでお願いするようにしています。

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登場人物が誰かに向けて手紙を送る場面は存在しない。だが、第3話の「もう一度」で語られる「Xeron」という世界がまるで反転されたかのような現在において、たとえそれが困難だとしても、そこにいくつもの言葉と身体があるかぎり、来るべき出会いや再会を果たすことができるのではないだろうか。そう考えたとき、偶然と想像を繋ぐ「手紙」というテーマがこの特集の中から立ち上がった。思えば、「批評とは、作り手に向けた手紙のようなものだ」と教えてくれたのは、紛れもなく梅本洋一だ。初掲から13年の月日が経とうとしているが、当時『PASSION』を世に送り出した濱口竜介へのひとつの批評=手紙として、ここに氏の言葉を改めて掲載したいと思う。

濱口竜介への手紙

梅本洋一

濱口竜介様

 はじめてお便りします。『PASSION』を見せていただき、それまで「日本」の映画に眠っていた可能性を再確認しました。それがどんな可能性なのかは後で書こうと思います。その前に、この作品の素晴らしさが「日本映画」の中で、どのような位置にあるのかも確認しておく必要があるでしょう。少しばかりおつきあいください。
 思い出してみれば、このフィルムのタイトルをはじめて聞いたのは、冬の寒い晩、総武線の秋葉原と御茶ノ水の間だったのです。ぼくにそのタイトルを囁いたのは黒沢清さんでした。ほぼ同年代の黒沢さんとぼくは、確かに多くの時間を共有していますが、話がぼくらよりも若い世代の「日本映画」に及ぶことは余り多くありませんでした。何よりも黒沢さんご自身が現役の映画作家であることがその大きな理由でしょう。黒沢さんご自身の問題、彼のフィルムが映画としてどんな問題を抱えているのかが、ぼくらの話題の中心でした。しかし、黒沢さんもまたここ10年近く映画作家を育てるお仕事もなさるようになりました。まずは映画美学校で、そして東京藝大大学院でそのお仕事を続けられています。『大いなる幻影』(99)は、映画美学校での学生たちと一緒に作った作品であることも知られています。自らの知識と経験を若い人々に伝え、来るべき作品の担い手を育てる作業は簡単なことではありません。それはおそらく不可能な作業に近いかも知れません。映画作りというものに、それなりのノウハウがあった撮影所時代ならいざ知らず、大きなバックボーンである撮影所が崩壊した後、映画作品が必ず備えるべきスタンダードな資質を確認することは不可能になりました。現場で映画の何たるかを覚え、その中で上層部から降ってくる企画に自らを合わせ、質の高い作品を作っていく行為は、撮影所崩壊以降、映画監督が備える必須の仕事ではなくなりました。ですから、映画作家を養成する作業、つまり来るべき映画作家に何を伝えるのかを確定することはもうできません。つまり、スタンダードな美学が既存のものとして存在することを認め、それを身に着けさせることは、決して映画作家を育てることではなくなったのです。撮影所時代に育てられたのは、映画作家ではそもそもなく、単に映画監督だったのかもしれません。映画作家を育てるというのは、作家一般を育てるのと同様にほとんど不可能に近い困難な作業です。優秀な小説家を育てる方法がないように、画期的な画家を育てる方法がないように、才能溢れる詩人を育てる術がないように、映画作家だって、作家である限りにおいて、育てる術がない。映画作家になりたいと願う若い人々を前にすると、誰でもそうした困難に出会うようになります。黒沢さんも例外ではないでしょう。しかし、黒沢さんは、自らの作品を作るのと同じような情熱で、そうした困難な作業に向かい合うようになりました。その黒沢さんが、教える仕事の喜びを語り、映画作家を育てる作業の価値を見出したと語る大きな理由として彼は、この作品をぼくの耳に囁いたのです。こうした作品を前にすると、映画作家を養成する作業にも価値があると思える、と黒沢さんはぼくに語ったのです。
 もちろん『PASSION』と聞いて、ぼく(ら)はある作品を想起さざるを得ません。同名のゴダールの作品です。ラウール・クタールのキャメラがめくるめくような光の世界を創造しつつ、労働と映画を撮ることについての考察が重ねられるあの作品のことです。ですが、黒沢さんは、「関係があるとすれば、タイトルが同じなだけでしょう」と素っ気なく語り、逆にその素っ気なさが、ぼくの興味を倍増させたのでした。

2008年9月5日発行「Nobody issue28」所収、P76-79

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12月17日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー!

公式サイト:guzen-sozo.incline.life
Twitter:FilmWFF


偶然と想像 Wheel of Fortune and Fantasy
2021年/ 121分/ 日本/ カラー/ 1.85:1 / 5.1ch
監督・脚本:濱口竜介
撮影:飯岡幸子
録音:城野直樹、黄永昌
美術:布部雅人、徐賢先
出演:古川琴音、中島歩、玄理、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真、占部房子、河井青葉
12月17日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー!

リズム、法、跳躍

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廣瀬純

 二者の正対を斜角で撮るのか、縦に撮るのか、真横から撮るのか。それによって、産出されるドラマはまるで異なるものとなる。斜角の正対の場合には、そこで二者によって繰り返される接近と離隔の「リズム」が、縦の正対の場合には、それが特定の条件下でのみ成立するという法が、真横からの正対の場合には、その反復の度に二者の距離が縮まるという跳躍が、それぞれドラマとなる。

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可能が、可能の、そういうふうになるところ

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結城秀勇

 この短編集の3作の物語に共通するのは、偶然とはまず誰かと誰かの出会いであること、である。監督がインタビューで語る、九鬼周造による偶然の定義「独立なる二元の邂逅」をそのまま受け止めるなら、そもそもあらゆる偶然はなにかとなにかが出会うこと、なのかもしれない。ただ、『偶然と想像』において、偶然をより偶然らしく見せているのは、その出会う誰かがただの誰かではなく、思いもよらない誰か、もしくは、思っていた誰かではない誰か、であることである。偶然は、たんなる蓋然性の低さで決定されるものではなくて、当事者の希望や意志をも含んだときに、初めて起こる。

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濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)

1978年、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科修了制作作品『PASSION』がサン・セバスチャン国際映画祭や東京フィルメックスに出品され高い評価を得る。その後東京フィルメックスへ出品された日韓共同制作『THE DEPTHS』(2010)、東日本大震災の被害者へのインタヴューからなる『なみのおと』、『なみのこえ』、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011~13/共同監督:酒井耕)、4時間を超える長編『親密さ』(2012)、『不気味なものの肌に触れる』(2013)を監督。2015年、5時間17分の長編『ハッピーアワー』が、ロカルノ、ナント、シンガポールほか国際映画祭で主要賞を受賞。さらには、商業映画デビュー作『寝ても覚めても』(2018)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、脚本を手掛けた黒沢清監督作『スパイの妻〈劇場版〉』(2020)はヴェネチア国際映画祭にて銀獅子賞受賞を果たす。そして商業長編映画2作目となる『ドライブ・マイ・カー』(2021)にて第74回カンヌ国際映画祭脚本賞ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞を受賞。本作の短編集『偶然と想像』(2021)はベルリン国際映画祭にて銀熊賞(審査員大賞)、またナント三大陸映画祭では金の気球賞(グランプリ)と観客賞を受賞するなど、各国で多数の受賞を果たした。

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NOBODYでは監督作『PASSION』の発表以来、これまでに濱口竜介監督への取材を行い、作品について考え、「対話」を試みてきました。過去に刊行されたバックナンバーやWEBを通して掲載された、濱口監督にまつわるいくつものアーカイブをここでご紹介します。

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インタヴュー

批評

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