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August 5, 2004

「VISION QUEST vol.1 フレーム・サイズを考える」

[ book , cinema ]

入場の際に配付された資料には、「スタンダード・サイズ=人間、ヨーロピアン・ヴィスタ=クレジット・カード、アメリカン・ヴィスタ=ドル、シネマ・スコープ=埋葬(棺桶)」というジャン=リュック・ゴダールによるフレームサイズの対比が記されていた。それを受けての、通貨の表象のような登場人物がいかにして人間として立ち上がるかを『月の砂漠』が描いているという安井豊の発言は、まさに納得だった。はじめに私達が目にする三上博は、彼が表紙を飾る雑誌の広告看板の中で目だけ切り取られ、その縦横比はドルのサイズであるアメリカン・ヴィスタに酷似している。
このプログラムの順番にある意味が、オールナイトで上映されることによって肉体的に実感された。ヨーロピアン・ヴィスタの『内なる傷跡』、スコープの『夜風の匂い』、スタンダードの『月の砂漠』そして『フォーエバー・モーツァルト』。その歴史的な発明の順序とは関係なしに、スタンダードは円形である太陽を撮るのに適しており、スコープは輪郭をどこまでも曖昧にしていく夜の闇を適しているような気がしてしまった。上映の際に何故かスクリーン上下に黒みが映りこんでいたせいで、どこかスタンダードに近い印象をうけた『内なる傷跡』の生の人間たちが、『夜風の匂い』において、まさにゴダールの言葉通り、ひとつの埋葬を完遂する。そのあとにまるで椅子のきしみをそのまま引き継ぐかのように、女と少女が草原に横たわる。完璧な手際で埋葬された死者を揺り起こすのは決して容易なことではないが、視界の端から端までを覆っていた夜の闇が真ん中から朝日によって切り裂かれるその兆しを示して『月の砂漠』は終わる。月という反射物なしに日の光が画面を満たす。1:1.33の画面にぴったり収まるプロポーションのニワトリ。
渋谷の街はもう完全に夜が明けきっただろうという時間帯から『フォーエバー・モーツァルト』が始まった。その前の2本の映画において行われた夜の埋葬から朝方に人間が立ち上がるまでの戦いなどそ知らぬ様子で、まるで夜が明ければ朝なのは当然だと言わんばかりに波が際限なく寄せては返す。「王の朝食、王子の昼食、貧者の夕食」という言葉があったが、明け方の機関銃と爆撃の轟音はこのうえなく贅沢な「王の朝食」だった。

結城秀勇
Sonic Ooze Vol.2 「グラム・ナイト」
8/7(土) 吉祥寺バウスシアターにて
『ムーランルージュ』
『ジギー・スターダスト』(上映期限切れ間近)
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
『ベルリンブルース』
詳細はこちら
吉祥寺バウスシアター