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May 15, 2008

『NEXT-ネクスト』リー・タマホリ
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

 ここまで原作から遠く離れるとそのことに対して特に不快な気もしないが、フィリップ・K・ディックの名前を出すとそれほど集客力に影響があるのかと不思議にもなる。ただ、原作における黄金に光り輝く美しい突然変異体が、どう考えてもくすんだニコラス・ケイジに変わっているという点が、原作とこの映画の「予知」に関する視点の距離感を明確に示しているのだろう。彼の役はどこか、才能を浪費したかつての天才児といった趣すらある。
 2分間だけ未来が見えるという映画オリジナルの設定は、少し前に流行った限られた時間しか記憶できない登場人物の出てくる映画を思い出させるが、『NEXT-ネクスト』における「予見」はわずかな例外を除いてフラッシュフォワードであることはなく、常にフラッシュバックとして登場する。その特殊な能力が初めて発揮されるカジノでの逃亡シーンでは、彼の能力がある種の映像を獲得するのではなく、空間的な把握にこそ力を発揮していることが明らかになる。映画の後半、敵のアジトに潜入する際にジュリアン・ムーアが指摘するように、ニコラス・ケイジの能力とはあくまで情報処理なのである。唯一無二の絶対的なヴィジョンを獲得することではなく、潜在的な可能性を認識し適切な選択を行うこと。ただそれだけだ。
 そうした意味において、この映画の原作はディックの「ゴールデンマン」というよりグレッグ・イーガンの『宇宙消失』のような気がする。端から見れば正しい未来だけを選択しているようだが、実はヒーローだけしか知り得ない無数のトライアル&エラーが存在して、それだけを見せている。ただその時に『宇宙消失』のように、成立した現在のために犠牲になった潜在的な無数の可能性に対して感傷的でヒロイックな視線を向けることほど(とりわけ『NEXT-ネクスト』のようなストーリーで)危険な思想はない。むしろ核爆弾で死ぬ無数の無名の人間を登場させる代わりに、ひたすら無数の潜在的なニコラス・ケイジだけが淡々と死んでいくところはよかった。

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