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May 21, 2008

爆音映画祭2008に寄せて
結城秀勇

[ cinema , sports ]

 体験試写の『クルスタル・ボイジャー』、前夜祭の『CLEAN』、かえる目によるトーク&ライヴと『喜劇 とんかつ一代』、『台風クラブ』などを体験して、各々個別にレビューを書こうしてみたが、どうもうまくいかないのでこんな文章を書いている。
 その難しさは、まあひと言でいえばすごいから見てご覧なさいというなんとも陳腐な感想へと収束してしまうのだが、しかしそれではみもふたもない。一歩進めてその困難さは、爆音上映という形態がすでにひとつの批評に他ならないからだと言い換えてみよう。ひとつの明確な批評のフレームに捉えられた雑多な作品群のひとつひとつに言葉を費やすのは、思いの外難しい。
 例えば『クリスタル・ボイジャー』の後半20分に起こる事柄について、波のチューブを潜り抜ける映像にピンク・フロイドの「echoes」が被さるなどと説明することは出来ても、あの体験についての言説とするにはまったく言葉が足りない。また相米慎二の『台風クラブ』という映画についてはいくらでも言葉を費やすことができるけれど、この爆音での上映に立ち会えば樋口泰人のいう「その後20年間の日本映画を丸ごと飲み込んでいるというか全てを予感している映画であること」がなんの言葉も必要とせずわかる。ペドロ・コスタはnobody11のインタヴューで、『ヴァンダの部屋』をはじめとする彼の作品に対する批評の不可能性について述べている。それとまったく同様に、爆音上映は映画の映画による自己批評であるがゆえに、やはり個々の事象について批評を行うのは不可能なのだ。
 そして結論は冒頭に遡り、行ってみるほかない、ということになるのだが、最後にひとつだけ付け加えておきたい。私たちは貴重で珍しい、なにか有難い映画だけが見たいわけではないのだ。一般劇場では日本初となる『CLEAN』の上映を成し遂げたこの第一回爆音映画祭においてこそ、そのことを声を大にして言いたい。私たちは見られる機会のほとんどない映画として『CLEAN』を見たいのではなくもっと普通の映画として見たい。マギー・チャンの歌声とニック・ノルティの掠れた声が確かに対をなすのを体感できる「普通」の音響で。爆音上映はそうした欲求への困難な闘争であり、特殊性へ向けてのあるいは排他性を含んだ行為では決してない。そうした部分を背後に隠しつつ、雑多な作品を「おおらかに」包み込む第一回爆音映画祭へ、やはり私たちは足を運ばねばならない。爆音上映は個々の作品の潜在的なレンジを押し拡げるが、第一回爆音映画祭は爆音上映の潜在的なレンジを押し拡げようとしている。
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