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March 14, 2018

『15時17分、パリ行き』クリント・イーストウッド
結城秀勇

[ cinema ]

『ハドソン川の奇跡』のサリー(トム・ハンクス)が劇中ずっと苦悩しているのは、彼のとった不時着水という行為の選択は他の映像(失敗していたかもしれない着水、及び他の空港に着陸することが可能だったかもしれないこと)に置き換え可能なのかどうかという問題のためであった。一方で、苦悩というほどの悩みとは無縁そうな『15時17分、パリ行き』の3人組が体現しているのは、彼ら自身がその他の映像と置き換え可能なのかどうかという問題だ。なぜ彼らでなければいけなかったのか、なぜあの電車でパリに向かわなければならなかったのか。その問いだけが、世にも稀な事件の当事者たちを主役としてキャスティングするという異例の配役のただひとつの理由だろう。
結論から言えば、『15時17分、パリ行き』という映画自体が示しているのはーー『ハドソン川の奇跡』のそれとは違ってーー置き換えは可能だということだと思う。むしろそれだけを示すために本人たちが演じる必要があったとすら言える。彼らがパリに行くのは次の日の電車でもよかった。そもそも誰もパリに行きたいなんて言っていないのだから、行かなくてもよかった。パリは彼らにとって、セルフィをバチバチ撮りまくったローマやヴェネツィアやアムステルダムとなんら違いのある場所ではない(劇中のアムステルダムのクラブ場面はパリで撮影されたのだという)。彼らの観光客っぷりは、トレヴィの泉だろうがジェラート屋だろうが均質な映像の中に閉じ込めていく。ヴェネツィアであんなかわいい子に会ったのなら、もっと置き換えのきかない運命を感じたってよかっただろうに!
だが、ここで書いたように置き換え可能な映像がフレームの外部にあるかどうか自体はどうでもいいことなのだ。そのうえで『ハドソン川の奇跡』のフライトレコーダーの中にある「振る舞いの正しさ」のようなものを『15時17分、パリ行き』に見るとすれば、どこにあるのか。あまりにもあっけなく過ぎ去りすぎて最初に見たときには気づかなかったが、やはりそれはテロリストに立ち向かうくだり、そして続く3人がめいめいに独立した事後処理を見せる場面にあると思う。
予告編でも使われている、あの「行け、スペンサー!」という声は誰のものなのだろうか。スペンサー本人の甲高い声よりも低く聞こえるこの言葉は、彼の心の声だと解釈するよりも、隣にいたアレクの声だと考えるほうが自然な気はする。だがそうなのだとしたら、テロリストのもったAKが不発でなかったら確実に撃たれていたタイミングでスペンサーを飛び出させておいて、あとでAKを分解しながら「マジでラッキーだったな」と呟くあの無責任さはいったいなんなのか、という気もする。では考えを飛躍させて、「行け、スペンサー!」と言ったのは3人組がパリへ向かうのを遮らなかったなにか大きな力、つまり"神"の声なのかと考えてみる。だとすれば神様もアレクがそう言った場合と同じくらい無責任だ、ということになる。
声に従って飛び出したスペンサーから、テロリストまでの距離はあまりに遠い。空間の奥行き知覚が欠如しているためにパラレスキュー部隊に入れなかったスペンサーは、そのことをどれだけ認識していたのだろうか。パンフレット所収の文章で青山真治と樋口泰人がそろって指摘するように「イーストウッド的な遅さ」がそこにはない。じりじりと引きつけてゆらりと姿を現わす「遅さ」がない。あまりに早く飛び出しすぎて、適切な距離感もつかめない。
空間の深さをうまく知覚できないスペンサーは、片目だけでスコープを覗いていた『アメリカン・スナイパー』のカイル(ブラッドリー・クーパー)を思い出させる。その距離の消失によって彼は160人もの人間を殺し、やがて彼自身も殺されることになる。だが『15時17分、パリ行き』では、奥行きの消えた空間でも、誰も死なず、誰も殺さない(弾が不発だったのはAKだけでなく、アレクがテロリストの頭に突きつけた拳銃もそうだったように見えたのは気のせいだろうか?引鉄が引かれ遊底が動き、それでも弾丸が発射されなかったように見えたのだが)。
空間から深度が消えた世界は、ランドマークや観光スポットばかりが点在するフラットな平面となって、同じ場所にゆっくりと止まる必要などなくなっている。そこを足早に通り過ぎていくだけの「普通の人々」が、奇跡的に誰も死なず、誰も殺さずに済む。それは大きな運命の力とか無責任な神様のおかげであると言うよりは、イーストウッドがその「遅さ」と引き換えに彼らを救うのだと言ったほうがいいのかもしれない。思えば、役者として本人が登場するしないに関わらず、常に自分とは似ていない誰かを救うのがイーストウッドの映画であったはずだ。そして、本人が姿を見せるときには常に、救うべき誰かよりも、倒さねばならない敵のほうに似ていた、ということもまた、いま思い出すべきなのかもしれない。


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