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October 15, 2021

『自画像:47KMのおとぎ話』ジャン・モンチー
渡辺進也

[ cinema ]

 「47KM」シリーズの9本目。この村を撮影するようになって10年になろうとするという。連作シリーズのいいところは、撮る対象(人、村)が年を経るごとに少しずつ変わっていっていくことと、作品の作り方もまた少しずつ変わっていくところにある。だから、そもそも何本目が良いと言うことはナンセンスであり、1本1本が比較対象となるものではない。
『自画像:47KMのおとぎばなし』の中で起きている、この村の大きな変化はまず、平家ばかりが並ぶ集落に煉瓦造りの新たな建築がまさに建てられていくことである。この映画の監督であり、毎年この村に住む親類のもとを訪れるジャン・モンチーは子供たちがいつでも気軽に遊びに来れるような場所を作ることを夢見る。
 この映画の中で起きるもう一つの大きな変化は、村の子供たちがカメラを持ち、村を撮影し始めることである。彼女たちはいつもみている風景を改めてカメラを通してみる。まずブレないようにカメラを持つことから始め、そればかりでなくカメラを通してなんとか運動を映そうとさえする。子供たちを運動を映そうとするとき、歩いている人の後ろ姿を追う。栗原みえ監督『ウェルカム・トゥ・ナーン!』でも同じような光景があったように思うのだが、なぜか子供たちはカメラを手にすると人の後ろ姿ばかり追うのか面白い。ただ、思い出してみれば、あれは写真ではあったけれども『ヤンヤン 夏の想い出』の中で、ヤンヤンが行っていたことでもある。彼ら彼女たちはカメラを通して、文字通り再び世界を発見する。
 ジャン・モンチーが持つカメラ、16歳くらいの女の子が持つカメラ、そして、10歳に満たないだろう女の子が持つカメラ。彼女が撮影している様子を別の彼女が持つカメラが捉える。それをまた別の彼女が持つカメラが捉えるような。彼女が彼女を追いかけるときそれはダンスのようになる。やはりそれは、映画の中でカメラを持たない時に起こる、彼女たちが自然と笑い声をあげながら、手や足を動かし踊る様とどこか似ている。
 カメラに映った映像を見た時の喜び、あるいは手回しのオルゴールの音を聞いた時の輝くような顔を見ていると、私たちはまだまだ世界を発見し尽くしていないのだと思える。