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November 2, 2021

『劇場版 きのう何食べた?』中江和仁
千浦僚

[ cinema ]

 一応説明すれば、「きのう何食べた?」は、2007年に講談社のモーニングに連載され同年に単行本の1巻が出てから現在まで18巻が出ているよしながふみ氏による人気漫画で、40歳代のゲイカップル、筧史朗(弁護士。親と親しい人物以外にカムアウトしていない)と矢吹賢二(理容師。カムアウトしている)の生活を、料理上手でまめな筧史朗がつくる日々の献立、食生活から描く物語で、2019年に全12回のドラマとして放映されて人気を博したものの同キャスト、製作陣による劇場版が2021年11月3日より公開される。筧史朗、通称シロさん役に西島秀俊。矢吹賢二、通称ケンジ役に内野聖陽。脚本安達奈緒子。
 私はずっと日常的にテレビドラマを見る習慣がない(あまりテレビを見ない)のだが、「きのう何食べた?」は見ており、その理由はよしながふみによる原作漫画を妻が所有していて読んでいたため気になった、あと西島秀俊氏の姿は常に見たい、このドラマにおける内野聖陽氏の変身ぶりに惹かれた、というようなもの。
 某映画雑誌の短評で本作を紹介する際にも書いたことだが、現在の日本映画界の問題のひとつ、テレビドラマの映画化がその放映時の視聴者をアテにしすぎているために映画をその物語の入り口とするいちげんさんのお客に不親切すぎないか、映画が単独の存在としての語る力を弱くしていないか、がここにもあったと思う。実は私自身はこの「きのう何食べた?」物語世界については結構通じてしまっていて、自分の体感としては、設定や話がわかんねえなあ、ということはないのだが、それだけに気を回してしまって、映画が開かれていないのでは、とか、前提過多の説明不足になってないかは心配してしまった。
 自分はよしながふみのあまり良い読者でなく、読んでいない作品もいくつかあるくらいだが、氏がBLというアングルから始めながら、単なる煽情を超えて、新たな世界の見え方や気づかれていなかった人間の実像を提示する域にまでその表現や主題を到達させていることはわかる。濱口竜介監督作『PASSION』(2008)のクライマックスの対話が行われる直前の場面で、河井青葉と岡本竜汰演じる男女が、「漫画、何読んでいたの?」「よしながふみの漫画」というやりとりをしたことを妙に鮮やかに記憶している。
 さて、『劇場版 きのう何食べた?』を観てハッとさせられた場面、本稿を書こうと思った動機について。
 この映画では、西島秀俊演じる弁護士筧史朗が、ホームレス老人が容疑者とされる殺人事件の弁護に関わるというエピソードがある。原作漫画だと単行本5巻の#40、6巻の#44(通算の話数が # で示される。各話の題名はないスタイル)。これは殺人というより事故的なものであるらしいのに老人は一審で出た有罪判決に対し、「どうせ俺みたいなものの言うこと誰も信じちゃくれないんです」と言って控訴を断念するところ。ここで映画は原作漫画にないニュアンスとして、どうせ俺みたいなもの、という自己卑下、被差別の感覚をわがもののように受ける西島秀俊の顔のカットを入れてくる。エピソード全体も、原作は、民事裁判が主な仕事の事務所で、現所長の跡取り息子である同僚弁護士が刑事事件をやりたがり、筧はその補佐役として立ち会っていくなかでその同僚の熱意を内心称える、というものだが、映画はそこもちょっと変わって、諦めちゃいけないんだ、みたいな、法律に携わるものとしてそういう諦念は望ましくない、また控訴するよう説得しようか(それ以上は描かれないが)、みたいな感じになっている。そこは曖昧だが、とにかくあのカットは強かった。原作にはない。シナリオにあったのか、演出でつけたのか。西島氏の芝居も良かった。この物語が一見ゆるふわ日常系でありながら、根本的に重大な社会の課題や差別構造をも問題にしていることを思い出させた。
 カムアウトしていない弁護士が、不当な有罪判決を受けながら控訴することを自己卑下によって諦めているホームレスに秘かに同一化する......。これは原作漫画にあり、ドラマでも押さえておくべき逸話として描かれていた、筧の母が筧に「史朗さんがゲイでも犯罪者でも母さんは受け入れるわよ」と述べること、結局無意識的に同性愛者を犯罪者と同一視しているではないか、というところにつながる。(ところで、この母親、筧久栄 役を梶芽衣子がやっているのが絶妙な感じがする。梶芽衣子とは何といっても「女囚さそり」であり、それは引きちぎった刑事の腕を振り回しながら街を駆け抜け、日の丸に向かってドスを飛ばし、国会議事堂前において女囚間で出刃包丁をバトンパスしていた反体制ヒロインであった。その彼女が息子に先述のような励ましをする、恥ずかしいことじゃないんだからカミングアウトなさい!と言うのは、そういうこと言いそう、そして、そういう明確な立ち位置表明が必須と考える世代があるが現在はちょっと違うのでは、という制作側の批評性を感じる)
 シロさんとケンジはさりげなくも粘り強く、共に暮らすことを守っていく。それは意外と闘いのようなものである。何と闘っているのか。
 原作とドラマでは、重要なポイントとして同棲を始めるきっかけが回顧として描かれるが、原作漫画では、勇気を出してケンジに「ウチ、来る?」と聞くシロさんと、それを聞いたケンジの画のあとに「結婚ちゅーものがない日本のゲイにとっては一緒に住むって事がまあひとつの区切りな訳で。」というト書きが入る。また、この漫画全篇のなかでも非常に印象的な、遺産を相手に残したいために養子縁組を考えるテツさんとヨシくんというカップル(ドラマでは菅原大吉と正名僕蔵が演じた)の話もある。劇場版の語り起こしとなっているふたりの京都旅行は、正月にシロさんの実家へケンジが行く・行かないということに端を発している。
 それだけ、ということではないが、「きのう何食べた?」の世界、主人公らの認識や振る舞いは、現在の日本で同性婚が法制化されていないということに多く因っているとも言える。
 国政政党7党に、市民団体「みんなの未来を選ぶためのチェックリスト 衆院選2021」がおこなったアンケート中の「同性婚の法制化に向けて取り組みますか?」という質問には自民党のみが否定を示す△をつけ(他党はすべて○)、「『憲法24条は、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定められており、現行憲法の下では、同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されておりません』というのが政府の立場であり、わが党も同様に考えています。また、一部自治体が採用した『パートナーシップ制度』について、国民の性的指向・性同一性に対する理解の増進が前提であり、その是非を含めた慎重な検討が必要あるものと考えます。」という補足説明を付している。( https://choiceisyours2021.jp/
 政治家が一瞬だけ主権在民を思い出し、市民からの問いに答える姿勢を見せる選挙期間中、これに似た問いただし、ポリシーアンケートが多く行われ、各政党は様々なイシューに対する方向性を明らかにせざるを得なかった。とりあえず衆院選は終わったが、今一度これらは見て記憶しておくべきことだろう。
 本作について、かなり無粋で、あまり語られなさそうなことを語った。しかし、このタイミングで、いや、本来ならもうちょっと早く書いておけばよいことだったが、それを記した。『きのう何食べた?』は、より慎重に、より丁寧に、自助的にのみ、幸福を証明していかねばならない人物たちの物語でもあった。

11/3より全国公開