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December 17, 2021

『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』ポール・ニューマン
養父緒里咲

[ cinema ]

_©-1972-Twentieth-Century-Fox-Film-Corporation.-Renewed-2000-Twentieth-Century-Fox-Film-Corporation.-All-rights-reserved.-e1637120736651.jpg 少なくともこの長い題名を見ただけでは、何のことやらさっぱりわからない。だけどこの知的で秘密を孕んでいそうな語感の良さに、観る前から不思議と惹かれるものがあった。そしてこの映画を観終えたとき、その感覚は間違っていなかったのだと確信することができた。
 冒頭から母親のベアトリス(ジョアン・ウッドワード)は、何やらウィッグをいくつも試着し、冷たい無表情で自分の姿を見つめる。またある場面で、彼女は車のドアを開けて座り大きなくしゃみをする。ベアトリスは明らかに「ハックション」と発音しており、アメリカではくしゃみは「アッチュー」であることを義務教育で習った私は思わず笑ってしまった。そのことはまったくの余談ではあるが、そんなベアトリスに"Bless you"と声をかけてくれる者は存在しない。彼女はこのくしゃみがもたらす不幸の兆しを自身の手で振り払おうとするも、自身の見た目について誰に声をかけられるでもなく、たったひとりで車の中に居座っているだけ。この時点で、スクリーンには彼女が鬱屈した寄る辺ない虚無の人生を送っていることがすでに暗示されているかのようだ。
 夫に先立たれ、人生に絶望したベアトリスだったが、彼女には喫茶店を開くという素朴な夢を持っている。ただそんな夢さえも否定してくる周囲に対し、一貫して皮肉や嫌味を撒き散らしてしまう。またとある老婆の介護の仕事を引き受けるも、最終的には責任を放棄してしまい、自立という仄かな希望は遥か彼方へと消えていく。男に乱暴に扱われた挙げ句、童話の中の少女のように草原に迷い込むというシーンにおいても、彼女が助けてくれる者は誰ひとりおらず、自らの手で抱きしめることでしか自身を慰めることができない。声をかけてくれた高校時代の同級生である警官に対してすら、彼女は嫌味を含ませた思い出話をすることしかできず、いかに彼女が愛に飢えた孤立無援な立場にあるのかということが示されている。
 映画の後半、ベアトリスは高校時代に面白おかしな事ばかりをして周囲を笑わせており、時には羽をつけて登校するような「イカれたベティ」として知られていたことが明かされる。そしてその光景は、そのまま長女のルース(ロバータ・ウォラック)へと受け継がれていく。たとえばルースが日常的な発作として悪夢にうなされる度、ベアトリスはルースに"Apples, Pears, Cucumbers."と何度も一緒にリピートさせては落ち着かせる。そうしたおかしな看病は、ルース自身が母親のベアトリスに似ていくことを嫌悪しながらも、どこか母親が辿ってきた不遇を強いられている場面であり、まるで血縁がもたらす根の深さを表しているようでもある。またこのシーンは、のちにルースが学校の寸劇で周囲を笑わせる存在になっていくことからも、驚くほどに完璧に、そして面白おかしく演じ上げるといった意図的な模倣に留まらず、無意識に母親と同じような人生それ自体から避けては通れないことを示唆している。
 他方で、次女のマチルダ(ネル・ポッツ)はその二人に手を貸すものの、彼女らとは距離を取ることで科学の実験を粛々と遂行していく。映画の冒頭からして、彼女は土に何かを埋めている。ちなみにこれが題名の通りキンセンカ、マリーゴールドの種なのだが、マチルダは絶えず科学の授業に熱心に取り組んでおり、その実験の一環としてキンセンカの種を植えているのであった。やがてその成果は「キンセンカにあらわれるガンマ線の影響」という研究へと結実し、校内で受賞を果たすこととなる。ここでのマチルダの発見とは、最もガンマ線を浴びていない種は普通の見た目に育つのだが、適度に浴びた種はまだらの八重咲きといった突然変異が起こり、なかでも最も浴びた種は枯れるか育たなかったということだった。つまり姉のルースと母親のベアトリスはこの映画の中で最もガンマ線を浴びてしまった存在であり、彼女たちにとってのガンマ線とは破滅的な家庭環境や悲劇、あるいは社会における抑圧に対する比喩なのだ。だがマチルダは、ガンマ線に期待される可能性によって自身の世界を変え、そこには美しい変異=「まだらキンセンカ」が生まれることを発見した。それは同時に、ルースやベアトリスを始めとした多くのガンマ線を浴びてしまったすべての人々に対するひとつの希望でもある。
 マチルダの授賞式後、ケバケバしいスパンコールを身につけたベアトリスが現れる。マチルダが受賞者に選ばれたことを知った彼女は、狂気を孕んだ血気迫る勢いで"My heart is full."と何度も叫ぶのだが、彼女の本来の姿とも取れる行為はことごとく眼前の聴衆に笑われてしまう。しかしこの人前でのイカれたユーモアの復活は、美しい変異を遂げたマチルダに対するベアトリスの最も真摯な形での返答であり、またこのことをきっかけとしてベアトリスにこれから起こるであろう突然変異の可能性であるように思えてならない。そしてこのような再起とは、たとえ抑圧という名のガンマ線を浴びてしまったとしても、誰にでも起こし得るものなのではないだろうか。そのことをこの映画は伝えようとしている。

特集上映「70ー80年代アメリカに触れる! 名作映画鑑賞会 in 京都みなみ会館」にて上映

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