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May 30, 2022

第75回カンヌ国際映画祭報告(5)リトアニアの新しい才能、ヴィタウタス・カトゥクス監督インタビュー
槻舘南菜子

[ cinema , interview ]

ヴィタウタス・カトゥクス(Vytautas Katkus)は撮影監督としてキャリアを重ねた後、2019年カンヌ国際映画祭批評家週間短編部門に初監督作品『Community Gardens』がノミネートされた。ソビエト時代に形成された農村共同体に生きる人々は、ノスタルジーの漂う現代とは異なった時間、空間を生きている。そこに帰京してきた主人公が覚える、彼と家族、共同体との強い違和感。とりわけ、父親や地域に生きる旧友との平行線を辿る関係、その断絶に呑み込まれていく姿を16ミリフィルムの驚くべきカメラワークで捉え、カンヌ後、世界中の多くの映画祭で絶賛された。二作目『Places』では、再び同じ主人公が都会での孤独を生きる姿をユーモアを交えて描き、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門の短編部門へのノミネートを果たす。そして、このたびの新作短編『Cherries』はカンヌ国際映画祭公式短編部門にノミネートされ、さらには批評家週間部門による今年のNext step賞(批評家週間短編部門にノミネートした監督が参加できる、初長編企画を支援するための企画コンペティション)にも選ばれている。同賞を受賞したばかりの彼にお会いし、話を聞いた。


ーーどのようにして映画に関心を持ったのでしょうか。

ヴィタウタス・カトゥクス(以下、VK) 映画が子供時代に僕の人生に大きな影響を与えていたとは言えません。時々、友人たちと映画館に足を運びましたが、シネフィルではなく、単に楽しむためでした。もともと長い間、ITや技術を学んでキャリアを築くことを考えていたんです。でも、ある時からルーティンの生活ではなく、もっと自由に場所を変えてできる仕事をしたいと思いました。その後、映画好きの友人たちに出会い、創造的というよりも技術的に見えたので、映画監督ではなく、撮影監督を目指すことにしました。時間が経つにつれて、二つの職業に交錯するものがあると理解し始めたんです。撮影監督としてキャリアをスタートさせましたが、カメラを介してシンプルな物語を撮りたい欲望に駆られたんです。好きな監督は複数いますが、最近は、蔡明亮、ハーモニー・コリン、エドワード・ヤン、ブリュノ・デュモン、ルクレシア・マルテルから多くのインスピレーションを得ています。勇敢な決断を下す、あるいは、独特な解決策を模索する監督に惹かれます。


stills_CHERRIES (5).jpgーー新作『Cherries』と『Community Gardens』には、多くの共通点があるように見えます。父と息子の関係、場所、そしてあなたの映画の登場人物は、『Places』も含めていつも世界や人々とのズレを感じているように見えます。

VK 『Cherries』は、個人的な父親の関係と時間の経過を巡る友人との会話から着想を得ました。二作品は、確かに父と息子の関係や庭など多くの類似点がありますが、『Cherries』では、場所以上に、二人の関係性に焦点を当てたいと思いました。私自身と私の父が主演しています。そのため、自分で撮影を担当しなかった初めての作品でもあります。長年、父親を撮影したい気持ちはありましたが、リスクが大きいと思っていました。他の俳優を探すことも考えましたが、僕にとってある種現実の部分が作品に存在することが重要なんです。ならば、僕自身も出演すべきだと考えました。父は最初は嫌がりましたが、フィクションのキャラクターを演じるわけではないことを説明し、最終的には承諾してもらいました。おそらく、リハーサルは彼にとって一番きつい作業だったと思いますが、僕にとってもそうでした。庭を選んだのは、父にとってとても安心できる場所だからです。リラックスして演じてもらうことが重要でした。僕は、世界や人々とズレていることを全く否定的なものだとは思ってないんです。多くの人が何らかの形で世界から切り離されているはずですし、必ずしも目に見える形とは限りません。僕にとって、そこからくる孤独とは、ある種の個性、強さだと考えています。

ーー初短編から一貫して16ミリで撮影されていますが、このフォーマットにこだわる理由はありますか。

VK 僕の作品の物語はかなりミニマルと同時にドキュメンタリー的な要素があります。フィルムは、現実感や自然さと共に、時間を超越した魔法のようなスタイルを与えてくれます。ショットに現れる埃やノイズは、完璧ではないからこそ本物であることを示しています。その不完全さが好きで、それこそがミニマルで現実的な感触を強めると信じています。また、フィルムの撮影では、スタッフの集中力が違います。彼らもどのくらい費用がかかるのかを知ってますからね(笑)。適切なフレームを決めるためには、もちろんリハーサルに多くの時間を費やします。少なくとも私にとってフィルムは、映画を編集や音、色調調整の作業部屋以上に、撮影現場において大きな意味を持つんです。

ーー『Cherries』の最後のシーンには驚きました。どのように撮影されたのでしょうか。

VK ピエル・パオロ・パソリーニの『テオレマ』(1968)からインスピレーション受けていますが、僕の作品では、特に宗教的な意味はありません。このシーンを技術的にどのように撮影したのかは、あまり言いたくないんです(笑)。実はこのシーンだけはセットで撮影され、ポストプロダクションによって完成させたとだけ言っておきましょう。

ーー準備中の初長編(The visitor)について話していただけますか。

VK まだ、シナリオの初期の段階ですが、これまでの作品の延長線上にある、場所とそこに生きる人々の関係性についてがテーマです。孤独には強い意味があり、慢性疾患のようなものだと思っているんです。
stills_CHERRIES (4).jpg『Cherries』シノプシス
最近、定年退職したばかりの父親は庭でさくらんぼを摘むのを手伝ってもらおうと息子を呼び寄せる。父親はさくらんぼ狩りを早く終えようと急がず、息子と一緒に作業としようとしているようだ。さくらんぼは変わらず、彼らの背後に残っている。
カンヌ国際映画祭公式サイト


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