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December 13, 2023

『きのう生まれたわけじゃない』福間健二
結城秀勇

[ cinema ]

 七海を演じるくるみの顔。この映画について書きたい理由のほとんどがそれだ。『きのう生まれたわけじゃない』を初めて見たとき、20年以上前に大島渚の『少年』を初めて見たときのように、「この顔を引き受けて生きたい」と思った。それだけで言いたいことのだいたい八割は言った。
 でも本当に大事なのは残りの二割なのかもしれない。『少年』の阿部哲夫演じる少年が「少年」であるほどには、七海は「女の子」ではない。家の前で、近所の年長の友人であるトリ子(住本尚子)とばったり出くわすシーンがある。最近農業を始めたんだと言うトリ子に七海はこんなことを言う。
「つまり、私たちふたりとも......、なんだろう、"ゆうかんな女の子"」
 幼い頃に好きだった本、『ゆうかんな女の子ラモーナ』(ベバリイ・クリアリー)からとったフレーズを自分たちに当てはめる七海に対して、トリ子はこう返す。
「女の子......、じゃなくていい、"ゆうかんな人"になろう」
 "ゆうかんな女の子"ではなくて"ゆうかんな人"になること。その発言は、後に七海自身の言葉として、確執のあった母親に対して反復されることになる。このわずか30秒たらずのやりとりは、それだけで、この作品のタイトル「きのう生まれたわけじゃない」を完璧に説明している。つまり、誰もバカにしないこと。どんな人間にも最低限の尊厳を与えること。誰にだって経験がある、きのう生まれたわけじゃない。

 思い出話ができるほど何度も会ったことがあるわけじゃない。でも福間健二さんと最後に話したときのことを少しだけ書きたい。ちょうど『さすらいのボンボンキャンディ』『にわのすなば GARDEN SANDBOX』の2作の公開を控えたタイミングで、その2本でパンフとかコメントとかでご一緒することになっていた。その2本について福間さんは、「主人公が"バカな女"じゃないのがいい」と言っていた。
 ピンとこない人もいるかもしれない。でも僕は「あ、同時代に生きてる人だ」と思ったのだった。この人は、助成金だとかその他なんかしらの理由で信じられないほど大量につくられて、いまの時期にたけなわのベストだのなんだのの話題にもひっかかりもしないので映画好きでさえその存在すら気づかない(むしろ映画好きほど知らない)、作品の都合のために女がバカにされ子供が軽んじられ老人が疎まれ貧乏人が搾取されたりする無数の「日本映画」の地獄のような光景を見て言っているんだと思った。だから僕にとっては福間健二という人は、先行する世代の詩人であり映画監督であるというよりも、失礼なようだがなにより「同時代の人」という感じだった。そしてそれは別にそのとき初めて気づいたわけじゃなく、そんなに熱心に欠かさずというわけでもなく「キネマ旬報」の星取りを読んでいたときにはすでにもうはっきりと思っていたことだった。あのときそれを言えばよかった。

 七海は人の心が読める。物語の途中でその能力はなくなって、「そんなふうに普通になって成長していくんだよ」と彼女は言われる。でも、『少年』の少年が日本の北の果てで幼い弟を前に「日本がもっと広ければいいのになぁ」と呟くように、『狩人の夜』のジョン・ハーパー(ビリー・チャピン)が幼い妹を連れて継父の追跡から命をかけて逃げ延びねばならないように、『きのう生まれたわけじゃない』の七海もやっぱり、小さなその身には担えきれないほどの重荷を背負わされて生きているのだとも言える。一年ちょっと前の「日本映画」の状況が地獄のようだったと上で書いたが、いまの世界はその比ではないほどに、地獄だ。こんな世界で人の心が読めてしまうなんて、どれほどの苦痛なのだろう。表出された人の心の声が流れるSNSを眺めているだけで、こんなにも生きていくのがつらいのに。
 それでも七海は、トリ子以外にもたくさんの人たちに出会う。なにより寺田(福間健二)に。彼女が会う人は皆、"ゆうかんな人"に見える。だって"ゆうかんな人"とは、"ゆうかんな人"になろうとしている人に他ならないのだから。
 『きのう生まれたわけじゃない』で流れる素敵な86分の時間は、きつい現実から逃れることのできるユートピアではない。先に書いたように、福間健二は地獄のような光景を見つめたうえで、この作品を生み出したのだから。幸いなことに、この映画が幕を閉じて過酷すぎる現実に戻ったとしても、それでもやっぱりそこにも"ゆうかんな人"はいる。そんな人たちの声を潰すような、「複雑な事情が〜」「バランスをとった公平な〜」「なにも知らないくせに〜」、そんな人をバカにした心ない言葉になんて返せばいいのか僕らは知っている。
「きのう生まれたわけじゃないよ!」

ポレポレ東中野にて上映中、全国順次公開