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May 8, 2025

ケリー・ライカート×オリヴィエ・アサイヤス対談 part1

[ cinema ]

 オリヴィエ・アサイヤスとケリー・ライカートの対談の日本語訳を、3回に分けて公開する。互いの仕事を敬愛する両者の初顔合わせとなった収録は、アサイヤス『WASP ネットワーク』とライカート『ファースト・カウ』がともに上映された2019年のニューヨーク映画祭の期間に行われた。元の音声(英語)は米国のTalkhouse Podcastで聴取できる。
 アサイヤスの最新作『季節はこのまま』は5月9日に日本公開を迎え、ライカートの最新作『The Mastermind(原題)』も同月にカンヌ映画祭でワールド・プレミアが決まっている。ライカートの過去作については、ブルーレイ・コレクションの発売(7月)や東京での特集上映(6〜7月)も控えている。対談の話題は映画作りの各過程におけるそれぞれの手法をはじめ多岐にわたっており、いまの時期にうってつけの内容だ。
 パート1では、互いの作品との出会いの話題の後、アサイヤスの『冷たい水』(1994年)と『夏時間の庭』(2008年)の家――『季節はこのまま』にはそのモデルとなった実際の家が登場する――を例にロケーションの重要性が議論され、撮影前の準備をめぐっては両者の対照的な手法も明らかになる。


リード文、翻訳:和久井亮

オリヴィエ・アサイヤス(以下、OA) どこから始めたらいいか分からないのですが...。

ケリー・ライカート(以下、KR) 私もです。

OA 良いスタート地点――少なくとも私の視点では――として、これは礼儀で言うのではなく、1作目の映画を見て以来、あなたの仕事を見ることは私のアメリカ映画との関係における大きな喜びの一つです。信じがたいほど素晴らしい作品群だと思います。感情の点で最近のインディペンデント映画で目にするものとはまったく違いますし、メインストリームの映画作りを考えれば違いはさらに明らかです。あなたの映画は、ほとんど見るたびごとに目に涙があふれてしまいます。
 作品群という言い方をしましたが、私が最も共感するのは、あなたが実際に一貫した作品群を築いていることだと思います。それは深遠かつ詩的で、表面上はミニマルですが実は非常に複雑です。映画とはそういうものですよね。これで少なくとも私は顔を合わせて伝える機会が得られたわけです。きまりの悪い思いをさせていないといいのですが、ずっと伝えたいと思っていたことでした。

KR わあ。とても大きな意味を持つ言葉です。ありがとうございます。私はまず『冷たい水』からあなたの映画を知りました。当時、私はニューヨークで暮らしていて、アパートもなくあちこちを泊まり歩いていました。それで『冷たい水』の家を心の拠り所として夢見たものです。それから見直していませんが、オレンジのソファなどのインテリアがある青い部屋だけは覚えています。
 それはともかく、私が聞いてみたいのはとても実際的な仕組みのようなこと、あなたの映画の作り方についてです。

OA あの映画は、私が作った中で自伝映画に最も近いものでした。あの家は私の家ですし、あの父親は私の父親ですし、あの学校は私の...いや、あの家は私の家そのものではないのですが、私が育ったのとほぼ同種の家なんです。父親もあのような父親で、私もあのような子どもでしたし、撮影も私の高校で行いました。
 あえてはっきり自伝的なことをしたのは初めてで、10代の頃に私が抱いていた感情を再現しようとしていました。素晴らしいのは、この映画について考えるとある種迷子になってしまうことです。それを作ったのが1972年だったか1995年だったか、不確かになるんです。

KR 分かります。

OA 私にとってはまるで、思春期を再び過ごすと同時に、それに別れを告げるようなものでした。焚き火の場面を撮るときは、何と言うか、ほとんど泣きそうになっていました。燃えているのはあの子どもとしての私の存在であるような気がしたからです。

KR そういう宿題のようなものが出されたということですよね? 「私の少年少女時代」という(1994年のフランスのTVシリーズ「彼/女らの時代のすべての少年、少女たち Tous les garçons et les filles de leur âge」のこと)。

OA ええ。自伝的になることを許可されたという感じです。ある意味では発注された仕事で、自伝的映画にすることが注文でした。

KR あのシリーズで生まれた良い映画がたくさんありましたよね。『トラヴォルタと私』(パトリシア・マズイ監督)や『US Go Home』(クレール・ドゥニ監督)など、フランスの映画作家の新世代を知る良いきっかけになりました。でも、アメリカで同じお題が出されたらまったく違うものになっていただろうとずっと思っていました。うまくいかなかったのではないかと。
『夏時間の庭』はどうですか? あの映画もとてもパーソナルなものに見えました。

OA 『夏時間の庭』は...あれも同じ家ですね。

KR そうなんですか!

OA というか、同じ家、同じ家に結びついている家です。あの映画を書いたのは、母がもう長くはないということを私が感じ取ったときです。脚本を書いた頃はまだ存命でしたが、80代の後半で、88歳かその程度でした。彼女はそれまでずっと、実際よりだいぶ若い女性のように振る舞っていました。実年齢より20歳は若く見えたんです。それがある時、外出をしたがらなくなりました。電話でこの展覧会を見に行こう、あれをしよう、これをしようよと言っても、いや、そういう気分じゃない、そういう気分じゃないという感じでした。私が感じたのは、彼女が人生一般について、興味を失いつつあるということでした。そして、彼女の死後に撮影をしました。執筆はある種先取りのようでした。その映画の撮影と...(少し息を震わせて)すみません。映画の中で彼女を演じたエディット・スコブの撮影には、どこか先取りのようなところがあったと思います。

KR 撮影をしたあの家のことは知っていたのですか?

OA 私がこの映画を作ることになるだろうと確信したのが、あの家を見つけたときでした。なぜなら脚本を書いていたときは、あなたも脚本を書くので同じ感じ方かもしれませんが...

KR ええ、場所を見つけますよね。

OA 感覚として、書いているものが現実のことで、実際に起ころうとしているとは思えないんです。

KR 場所は役立ちますね。

OA 見つけると突然、結晶ができるように具体化するんです。ああいう家を探しても見つけられずにいたので、もしかしたら映画を作らなかったかもしれない、もしあの家を見つけていなかったら、映画を作るエネルギーもなかったかもしれないと思います。でもあの家を見つけた途端、この映画を作ることが意味をなすように思えました。あなたも同じようなことが...

KR 私は場所がないと書けません。脚本に取りかかったらすぐ、いわば意味をなさせるために、外へ出て場所を探したくなります。

OA それは執筆しながら行うのですか?

KR はい。執筆を始めると、時にはジョナサン・レイモンド――彼とは多くの作品を一緒に作ってきたのですが――彼が先に何かアイディアを持っていることもあります。でも場所を見つけ始めるまでは、あなたも言っていたように、私はあまり集中して作業ができません。そのため、脚本の作業をするときは、常に同時にロケーション探しもしています。それからやっと、より自分のものになるような執筆が始められる、という感じだと思います。

OA 私の場合はそれよりもう少し層が分かれていて、というのは、私は執筆中にそれをどう撮るか、それがどういう見た目になるかは一切考えていないのです。執筆中は自分が監督であることを忘れるようにしています。執筆だけをするんです。

KR あなたのカメラは動きが多いので、ずっと気になっていたんです。ああいう動きはいつ...

OA 撮影前の朝に考えています。

KR 本当ですか? 面白いですね。そうですか。

OA 私が本当に思うのは、私の映画は何層もの重なりでできているということです。つまり、ある層は脚本で、別の層はキャスティングで、また別の層はロケーションの選択、これは究極的にはキャスティングにかなり近いのですが...

KR そうですね。

OA そこへさらに、すべてが現実のものになる瞬間である映画作りの、実際のエネルギーがあります。私は、撮影を始める前に映画やショットのデザインは一切しません。大抵の場合、映画がどういうものになるかは見当もつきません。いつでもきまりが悪いものですが、この映画ではどういうムードを求めているのか、参考になるものはあるか、絵や写真などを見ておいてほしいか、などとカメラマンに聞かれても、基本的に私には何もないんです。ゼロなわけで、自分でも映画に求めるスタイルは見当もつかない状態です。そういうものは映画自体からから育っていかなければいけないと考えています。

KR でも当然、あなたもプロダクション・デザイナーや衣装監督と仕事をしてきたわけですよね? キャスティングやロケーション探しの時にも、視覚的なイメージができ始めているはずです。でも、そこにカメラの動きは含まれない。

OA まったく含まれません。本当に撮影現場に行く前の朝にショットのデザインをしています。だいたい1時間半くらいかかるでしょうか。私が怠惰なのか、何でもぎりぎりにやるだめな男子生徒の精神があるのか分かりませんが、追い詰められた状況でないとショットのデザインは始められないんです。

KR 面白いですね。正直に言って、アメリカの女性にそのような仕事のしかたはできないと思います。撮影監督は、監督が答えを持っていなければ、自分の答えをかなり早くに押し付けてくるでしょう。しておかなければいけないことが多くて...とはいえ、私も年を取ってきたのでやりやすくなりましたし、同じ撮影監督と何度も仕事をしていて、彼は素晴らしいのですが。クリストファー・ブローヴェルトという人で、彼は真のパートナーだと思っています。でも以前の私が答えを知らずにいる風に見えようものなら、シグナルとしてとても...。そのことについて考えていました。時々ならその場で何かを変更することもできますが、まず一人でそこに行き、始まる前に知って、知って、知っていなければいけないといつも感じます。

OA それはミア・ハンセン=ラヴに私が感じていたことです。彼女とは10年以上でしょうか、一緒に暮らしていたのですが、おそらくまったく同じ理由から彼女はショット単位のような準備をしていて、とてもとても精巧な準備を宿題としてやっていました。私にはできそうにもないことです。
 私の場合、これは段階的に起こったことです。映画を作り始めた頃はこういう仕事のしかたではなく、撮影前の宿題としてもっと多くの作業をしていました。映画作りのプロセスは有機的なものだと思うようになったのは、段階的な変化に過ぎません。何であれ周りで起こっていることに合わせて常に変化できるようにしているのです。
 『冷たい水』はある種の転換点だったと思います。何と言えばいいか...場面を撮影しているのではなく、人生のある瞬間を再現しているという感覚があったのです。問題は撮影の素早さ、効率、一貫性などではなく、ただ目の前で起きていることを捉えようとすることにありました。というのは、何人もの子どもたちと仕事をしていたからです。主な登場人物は2人ですが、子どもたちは何人もいます。皆楽しんでいました。1970年代の服を着ていて、それは当時クールなものでしたし、マリファナを吸うふりをするのもクールなものでしたし、夜も外で過ごしていました。子どもたちにとって素晴らしいことだったわけです。楽しんで過ごしていた、あるいは少なくとも一時的に違う人生を過ごしていました。私は、自分がショットのことを気にしていないことに気づきました。私が気にしていたのは、そこで起こっていることを捉えるために、最も流れが滑らかで適切な方法を見つけることでした。その時以来私は、次の日に撮影するものはすべて、前日に撮ったものに基づいて決めようと決心したのだと思います。

KR 興味深いです。

OA 1日単位で変更を行う可能性を自分に与えることにしたんです。いまでは極端なところまで来てしまい、リハーサルさえしていません。

KR 私もリハーサルはしません。でも時に、自分だけで閉じこもりすぎてしまうことがあります。例えば何かアイディアがあるときにロケーションが変わったりすると、私は行き詰まってしまい、あなたの言う滑らかな流れが望むほど感じられなくなるのです。皆のいる前で考えるのは得意ではありません。考えるのは一人のときにしたいのですが、撮影が進んできて、自分の...。これは何度も同じ人たちと仕事をしてきたおかげですが、現場が人前でも多少は安心して考えることができる空間に感じられるようになりました。以前の自分に比べてということですが、それもまた経験などによるのでしょう。
 でも、あなたは撮影中に編集のことは考えていないのですか?

OA 考えていません。

KR まったく?

OA まったくです。ショットの撮影途中でそのショットを変えることがあります。あるショットを撮影していると、リハーサルはしていないわけですが、うまくいくと感じるものとうまくいかないと感じるものがあります。それに合わせて変更したり、台詞を加えたり、動きを加えたりします。時には――いつもではありませんが、多くの場合は、最後のテイクは最初のテイクと極端に違っています。別物になっているんです。私にとっての問題は、周囲の人々のクリエイティヴなエネルギーを吸収することです。それは私が同じ人たちと仕事を続ける理由でもあると思います。あなたにとっても同様だと思いますが、映画作りは集団的な形態の芸術であって、周囲の人々のアイディアを吸収しますよね。皆に提案を出す自由を与えないといけません。

KR 同感です。

OA 彼らは突然、自分では思いつけないけれど場面に完全にぴったり来るものを与えてくれます。もちろん自分で取捨選択はするわけですが。時には衣装を担当する人が私の想定とはまったく違うことを思いついてくれて、私は「確かに。違う角度から見ていたけれど、君が完全に正しい。それでうまくいく」と言います。それがカメラマンならなおさらです。何一つ固定されていないということが分かれば、皆に貢献の余地があるということが分かってもらえるのです。

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