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May 11, 2025

ケリー・ライカート×オリヴィエ・アサイヤス対談 part2

[ cinema ]

 オリヴィエ・アサイヤスとケリー・ライカートがTalkhouse Podcastで行った対談を、3回に分けて日本語で公開している。パート2で話題に上るのは、アサイヤスの『WASP ネットワーク』(2019年)とライカートの『リバー・オブ・グラス』(1994年)の舞台でライカートの出身地でもあるマイアミや、ライカートが撮影に向けて作っているイメージの本、そして編集の工程や撮影の制約などである。

リード文、翻訳:和久井亮

KR まだフィルムで撮影をしていますか? それとも...

OA 前作(『WASP ネットワーク』)は違いました。あなたは?

KR 私も前作(『ファースト・カウ』(2019年))は違いました。

OA 予想できていた問題ですし、あなたもそうだったと思いますが、ある時期までは基本的に同じ予算でフィルム撮影ができたんですよね。

KR その通りですね。

OA どこの現像所も努力していましたし、コダックが価格を設定したり等々で、最終的な違いはわずかでした。でもいまでは現像所がどこもつぶれてしまい、特別なものになりました。高くなりました。

KR ええ、高くなりました。

OA それに私たちはキューバにいて...

KR 私はマイアミの出身なんです。

OA そうなんですか?

KR ええ。私はキューバへ行ったことはありませんが、マイアミの法執行機関の家庭の出身です。継父がFBIの捜査官なんです。

OA わあ。

KR でも84年には家を出ました。あなたの時期はそれより後ですが、見ていて面白かったです。その後ほとんど帰ったことがなく、93年に1本目の映画のために戻りましたが、その後は帰っていません。キューバのすぐ近くにいたのに、そこへ行ったことはないんです。私がマイアミに住んでいたのはまさにキューバの人々が大挙してやって来た時期でした。クレイジーな時期で、10代の頃の経験としてとても奇妙なものでした。それから...

OA いかだのようなものに乗ったボート・ピープルが来るのを見たんですね。

KR そうです。ハイチからも来ていました。その後の街の変化、政治の変化を目にし、キューバ系の人々の保守性等々に加え、ブラック・コミュニティとキューバ系のコミュニティのあいだの争いも目にしました。複雑な場所ですよね、マイアミは。そういうことで、映画も見ていて興味深かったです。

OA 私にとって少し変な感じだったのは、明白に予算上の理由で、マイアミで撮影ができなかったことです。エスタブリッシング・ショットはいくつか使いましたが、マイアミで実際に撮影をする機会はなかった。予算にまったく収まらない額だったからです。

KR 前から決して映画に友好的な場所ではないんですよ。『リバー・オブ・グラス』を93年に作ったのですが、毎日のように警察に車を止められました。彼らは私たちがお金を払っていないと思い込んでいたんです。3万ドルくらいしか予算がない映画なのに、彼らの、市の要求は...。マイアミはクレイジーな場所ですが、映画については...。時間が経って友好的になったものと思っていましたが、そうではないようですね。

OA そうではなくなった、ということだと思います。一時期は友好的だったようです。何年間か映画ファンドのようなものがあったけれど、なくなってしまった。それで私はファンタジー版のマイアミを作ったんです。90年代の設定でしたし、マイアミの場面をこの上なくばかげた場所で撮影することになりました。グラン・カナリア島とか...

KR 本当ですか? 面白い。

OA あるいはキューバで。

KR キューバ! それは笑ってしまいます。見てそれと分かるものが特になかったのですが、もう長いこと離れているので、そうなんだ、という感じでいました。でも完全に騙されたわけですね。新作の『WASP ネットワーク』は、『カルロス』(2010年)を作っているあいだに興味を持ったのですか?

OA 実を言うと...

KR 脚本も1人で書いているんですね。すみません。

OA そうなんです。

KR でもそうすると、どうやってこんなにたくさん映画を作っているのですか? フィルモグラフィーがファスビンダーみたいですよね。

OA 程遠いですが、まあ。

KR それでも2年に1本くらいは映画を作っているでしょう。どうやって...映画を作っているあいだに別の映画の脚本を書いているとか?

OA というよりもこの場合でいえば、私は時々規模が大きめの映画を作りたいんです。現代史を取り上げる映画、あるいは少なくとも取り上げようとする映画を作りたいと思っています。

KR それでもあなたが作ると親密な映画になりますね。

OA ええ。それでも予算はずっと大きく、ロジスティクスも複雑な映画です。

KR でも、クルーは同じですか?

OA クルーは同じです。

KR わあ、いいですね。素晴らしい。

OA 私の仕事のしかたでは海外で撮影することが多いので、各部のトップはいつも一緒に仕事をしている人たちのままにし、地元のクルーを使っています。素晴らしい人々に出会えてとても良いです。ただ、『WASP ネットワーク』のような映画の場合、資金を集めるのにかかる時間が長いんです。脚本はしばらく前に完成させていました。

KR そうだったんですね。

OA 別の映画を1本作れるだけの時間があったわけです。それが突然、思っていたより速く事が展開しました。常に俳優の空き状況に左右される点ですね。『冬時間のパリ』(2018年)を去年の夏の初めに完成させ、次にかかる前に少し平穏な時間を過ごそうと思っていました。でも突然、この映画にはペネロペ・クルスが出ていますが、彼女のスケジュールに1月か2月の枠ができました。急遽『冬時間のパリ』の公開と新作の準備の両方に対処しなければならなくなり、忙殺されてしまったんです。もうあんなことは二度としないつもりです。

KR 彼女も素晴らしかったです。でも、あの飛行機のショットもまさか...あそこも飛行機に乗る当日に考え出したのですか?

OA いやいやいやいや。

KR ですよね。

OA あれは違います。やり方も分かりません。あの時だけは違っていて、拷問のようでした。出来上がりには満足していて、視覚的に...大変な労力をつぎ込んだので、誇らしく思っています。

KR 素晴らしいと思います。

OA デザインをして、再度デザインをし、再々度デザインをし、会議があって...というのは、この映画では予算の問題と終始格闘しなければいけなかったんです。大予算の映画に見えますし、実際大予算でした――1000万ドルくらいで普段の私の映画よりはずっと多かったのです――が、その倍の額があればやりやすかったと思います。私たちはほとんどあらゆる物事について解決策を見つける必要がありました。特殊効果の予算も切り詰める必要があったので、あの場面で使われている特殊効果は見て想像されるよりも、あるいは考え始めた当初の私の想像よりも、ずっと少ないのです。

KR でもそれが親密な映画に感じられる理由かもしれませんね。何というか、すごく良い意味で、大規模な小規模映画という感じがします。

OA でもあそこのデザインを直す作業はストーリーボード作りに近く、私にとっては...

KR やりたくない作業だった。

OA やりたくない作業、大嫌いな作業でした。いくらか拷問のようでした。私にとって、ショットをデザインし、再デザイン、再々デザインをすることは、映画作りの楽しみの一部を殺してしまう感じがします。

KR 本当ですか? 私にはそれが非常に楽しく思えます。私は映画のための本を作るのが好きで、何というか、楽しんでいます。コラージュのようなものです。

OA 写真をまとめているということですか? 色々なイメージをまとめている。

KR イメージです。他の映画からだったり、絵画からだったり、写真だったり、どこからでもあり得ます。それから、私の好きな画家が友人にいるのですが、彼と一緒に撮影場所に行き、デッサンを描いてもらうこともあります。クリス・ブローヴェルトが加わる前に、会話を始めるための本を作っておきたいんです。皿洗いなど何かすることをしながら答えを考えられますよね。ただ座っているのではなく、運転中などに。撮影を進めているあいだも、夜は帰宅して画像を並べ替えています。カット・アンド・ペーストみたいなものでしょうか、そういうのが好きなんです。手で触れられるもので...

OA どんなものを撮るかについて、事前に考えがあるわけですね。

KR その通りです。実世界以外からの画像から始めて、ロケーション探しが始まったら自分が撮った写真を別の本に貼り付けます。何冊にもなる本を運んでいるので、皆にからかわれるんですよ。撮影にたどり着くまでには内容が頭に入るので、もう本は必要なくなります。だからどちらかといえば...

OA そうですよね。

KR 何か作業をしているということ自体が、作る映画や自分のすべきことを理解する助けになるのだと思います。

OA そういうことは私も、時代物のときにだけやったことがあります。だいぶ前に『感傷的な運命』(2000年)を作ったのですが、あれは19世紀の初頭の設定でした。磁器の工場を再現し、コニャックの商売を再現することになったので、視覚的に大量のものを吸収する必要がありました。加えて私は本を翻案していたので、映画へのアプローチとしてまったく違う方法になりました。自分が書き手ではないため、偽りのないしかたでどのように過去を表現するか、というのは私にとって興味深い問いでした。自分とまったく関係がない世界、自分がいなかった世界なので、当時の人々がどのように話し、動いていたかも、どういう世界観を持っていたかも、眠っているときにどんな夢を見たかも見当がつかない。それらがない異質な世界なわけです。そのため、できる限り多くの画像、感情、感覚、事実等々を吸収しなければなりません。最終的には、脚本が私のイメージの本、あるいはメモなり注釈なりになりました。2つの脚本が並行して存在したという感じです。

KR 映画が終わったら何をしますか? 休みを取るか、編集室に直行するか。

OA 場合によりますね。

KR フッテージを見るのですか? それとも初めは...

OA いえ、場面1から始めます。毎日のラッシュは見ません。あなたはどうか分かりませんが...。

KR まったく見ません。見られません。

OA 見たくないですね。

KR ええ。見られる人は心理状態がまったく違うのだと思います。感覚として、脚本との関係で意図した通りのものを組み立てよう、という意識ですか? それとも...

OA いえ。

KR 場面順に編集をしていますか?

OA はい。

KR 冒頭から始めているんですね。

OA 冒頭から始めて、気に入らないものは除外します。

KR それは後で見直すのですか? 一度除外したものは...見ない。

OA 気づいたのですが、最初のうちの私はいつも寛大すぎで、徐々に手厳しくなっていくんです。

KR 撮影は時系列順ですか?

OA 違います。ぜひそうしたいところですが...。ダルデンヌ兄弟のやり方がそれなんです。ダルデンヌ兄弟は時間の順で撮影しています。もう一度やりたいと思ったら、撮影期間はずっとすべてのセットが使えるそうで、すごく羨ましいと思います。

KR とても羨ましいですね。

OA 映画はそうやって作られるべきですよね、本当は。

KR ええ、それが夢ですね。

OA 映画における恥辱の1つだと思うのですが、午前中は映画の最初の場面を撮影して、午後には結末を撮影するなどということがありますよね。私にとっては『カルロス』を作っているときが最悪でした。わけが分からなくなっていたんです。

KR あれは実際、とても大変だったでしょうね。

OA あれはクレイジーな撮影で、(主演の)エドガー・ラミレスはかわいそうでした。彼はあるショットを撮るために口ひげをつけてやって来て、いったんセットを離れてからあごひげをつけて戻ってきたりしていました。午前中の私たちは東ドイツにいて、午後はハンガリーにいたりとか。

KR それは3つのエピソードをまとめて撮影したからですか? 1本の映画のように撮ったと。

OA 私にとっては1本の映画なんです。

KR ええ、でも3つの撮影に分割するように言われたわけではなかったんですね。

OA いいえ、まったく。1本の映画、1つのまとまりを持った5時間半の映画というだけでした。その後で3つの部に分けることになったんです。そういう枠だったので...

KR そこは後からやったんですね。ただ5時間半で1本の映画として取り組んだと。

OA ええ。撮影期間は95...何もかもがまったく規模に見合っていなかったんですよ。

KR 撮影期間は何日と言いましたか?

OA 撮影は18週間でしたが、長くはありません。結局は6週間が3回ということですから。

KR でも、すべてを毎日ゼロから作り出すとなると、非常に消耗しますよね。そんなに長いあいだ、どうやってクリエイティヴでいられるのですか?

OA 分かりません。自分の持っているトリック一式があり、1つずつ使ってすべてを出し切らざるを得なくなる、といったところでしょうか。

KR なるほど。

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