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May 28, 2025

第78回カンヌ国際映画祭報告(2)

ロマーヌ・ボーランジェ『Dites-lui que je l'aime』

槻舘南菜子

[ cinema ]

Photo 2 RB.jpeg 今年は、公式コンペティション部門、アフシア・エルジ『La Petite Dernière』をはじめとして、俳優による監督作品が目立つ年となった。ある視点部門には、クリステン・スチュワート『The Chronology of Water』、スカーレット・ジョハンソン『Eleanor the Great』、ハリス・ディキンソン『Urchin』と三本の英語圏の俳優による初長編、そして、カンヌプレミア部門にはアレックス・リュッツ『Connemara』が並んだ。彼らの共通項がカメラの後ろ側に立つこと、クリエーションへの強い欲望を根底に置いているのに対し、特別上映部門、ロマーヌ・ボーランジェ『Dites-lui que je l'aime』はそれらの作品と趣が異なる。ボーランジェは監督兼俳優としてカメラの前に立つのはもちろん、彼女の映画制作への欲望は自身の物語から発せられているのだ。
 ボーランジェはシリル・コラール『野生の夜に』(1992)で若手女優として注目を浴びた後、女優業と併行し、近年元パートナーである俳優のフィリップ・ルボとの共同脚本&監督作品『L'Amour flou』(2018)を発表している。この作品は、別れたカップルが破局後も同じ屋根の下に子供たちとともに住み続けているという、彼らの実生活を主題とし、両者の主演はもちろん、彼らの実子であり家族、友人の俳優たちも実名で出演したコメディとなっている。そして、新作となる単独監督作品では、政治家として活躍するクレモンティーヌ・オータンが映画女優であり早逝した母親のドミニク・ラファン[*¹]に捧げた自伝的物語『Dites-lui que je l'aime 』を映画化しようと試みる。この企画は当初、完全なフィクションとして構想されたが、制作過程の中でボーランジェに自身の過去へと向き合うことを余儀なくさせる。それは彼女もオータンと同様に早逝した母親を持っており、母性の基準を持つことなく母親になったオータンの物語との類似性に圧倒され、オータンと自身の体験を接続しようとすることになったわけだ。
 こうして、オータン役にセリーヌ・サレット、ジュリー・ドパルデューあるいはエルザ・ジルベルスタインが予定されていたが、最終的に本人が出演し、彼女との対話を通して、ボーランジェ自身の記憶がなだれ込んでいくドキュ-フィクションの形をとることになった。また、そこに至るまでの過程も作品の中に取り込み、遠い昔に葬った母親との記憶を掘り起こし、見知らぬ母親の姿をジグソーパズルのように探す旅を始める。それは呼び起こされた母親への暗く痛ましい記憶に果敢に立ち向かうことでもあるのだ。母親であるマルグリットはボーランジェが9ヶ月の時に家を出て行ったため、その後彼女は父親であり俳優であったリシャール・ボーランジェの元で育つ。そして、彼女が14歳の時に突如亡くなってしまうのだった。
image0.jpeg 母への沈黙の時間は、オータンが自著を朗読する声に突き動かされるように動き出す。たびたび挿入されるオータンの幼少時代、ドミニク・ラファンとの記憶を補完するフィクションの部分は、再現映像からほど遠いものだ。またラファン演じる女優は、ドミニク・ラファンとはまったく似ていない。むしろボーランジェの母親の記憶と交錯し、両者にとっての共通した母の肖像として機能しているように見える。ボーランジェは実の息子の手を借りながら、生前母が残した日記、手紙、文章を解きほぐし、避け続けていた父親による自伝「Quinze rounds」を開くことになる。
 孤児院で生まれた母を育てた女性、腹違いの双子の兄弟、家族に出会い、母親の人生を追体験し、自分の子供時代の母親を発見していくボーランジェ。そして、若き母の人生は80年代の映画史とも交錯する。母はモデル業の傍ら映画の世界に強く憧れていたのだった。端役として出演した作品の一本であるジュリエット・ベルト&ジャン=アンリ・ロジェ『Neige』(1981) の劇中、スクリーンに映る若き母をただ見つめるボーランジェの姿は感動的だ。また、ソルヴェーグ・ドマルタン[*²]とも親しく、ヴィム・ヴェンダースは、1987年10月、編集長を務めたカイエ・デュ・シネマ400号を、当時亡くなったばかりの彼女に捧げたことでも知られている。オータンとボーランジェがそれぞれの母親を巡るテキストを発する肉薄した声は重なり、記憶を巡る物語は終わりを迎える。
 『Dites-lui que je l'aime』は、決して美学的な斬新さを持つ作品ではない。だが、これほどまでに個人的な強い衝動を持って撮られた作品は、今日、それこそがもっとも必要とされるべき初長編に他ならない。今年のカンヌで見たどの若手監督の、そして、いかなる自伝的主題を扱う作品をも越えて、この作品ほど強烈な必然性を持って生まれた作品はなかった。


[*¹] 70年代から80年代にかけ、クロード・ミレール、ジャック・ドワイヨン、カトリーヌ・ブレイヤ、クリスチャン・パスカル、マルコ・フェレーリ、ルドルフ・トーメ、クロード・ソーテ作品に出演したが、33歳の若さで心臓発作で早逝。作品のタイトル『Dites-lui que je l'aime』は彼女が主演したクロード・ミレール作品のタイトルでありオマージュでもある。

[*²] ヴィム・ヴェンダース監督の当時のパートナー。『東京画』(1985)の編集を担当、『ベルリン天使の詩』(1987)で女優としてデビューし、『夢の涯てまでも』(1991)ではヴェンダースと共同で脚本を執筆した。


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