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June 4, 2025

第78回カンヌ国際映画祭報告(3)
槻舘南菜子

[ cinema ]

UN SIMPLE ACCIDENT Jafar PANAHI.jpeg 第78回カンヌ国際映画祭が閉幕した。最高賞であるパルムドールは、映画祭開催以前から囁かれていた通りジャファール・パナヒ『Un Simple Accident』に輝いた。パナヒのフィルモグラフィにおいて良作とは言い難い本作の受賞には、審査委員長であるジュリエット・ビノシュとアッバス・キアロスタミとの関係性と、彼を巡る政治的状況が強く影響したことは想像に難くない。ある日、自動車修理工である主人公は義足の男を見かけ、過去に自身を拷問した看守ではないかと疑念に駆られ、復讐するか否かに葛藤する。この作品は明瞭にパナヒ自身に起きた投獄体験から発せられており、イラン政府の厳しい弾圧の元で製作されたという文脈を持っている。残念ながら芸術それ自体の価値よりも、政治的メッセージの象徴を重要視するのは、国際映画祭審査の傾向から考えれば珍しいことではないとも言える。一方で、政治や社会からは無縁に思われるヨアキム・トリアー『Sentimental Value』のグランプリ受賞は対照的だ。ベルイマンを模したつもりであろうが、登場人物たちが流す涙は単なる表層であり、あらゆる困難は最終的には調和に向かう。そのオプティミズムの局地には、ベルイマンの持つ深淵も苦悩もない。
 対し、審査員賞にヨーロッパの若手監督、オリヴァー・ラクセ『Sirat』とマシャ・シリンスキ『Sound of Falling』が名を連ねたのは喜ばしい。両者とも独自の美学を持ち、安易な物語性に着地しようとはしないラディカルな姿勢は部門を越えて今年のカンヌで高く評価されるべきだろう。また、監督賞と男優賞をダブル受賞したクレベール・メンドンサ・フィリョによる『L'Agent Secret』は、彼のフィルモグラフィにおいて渾身の一作とは言えないが、これまでのブラジルを巡る小さな、あるいは寓話としての物語から、直接的にブラジルの独裁政権の暗部を描く新基軸と言える作品ではあった。女優賞は、アフシア・エルジ『La Petite Dernière』(クイアパルム賞も受賞)に初主演したナディア・メリティに輝いた。信仰と欲望のあいだで揺れる主人公ファティマを映画初演とは思えない堂々とした佇まいで演じたが、言葉で語られる欲望は決定的なまでに画面には映っていない。エルジが監督&自ら主演を務めた初長編『君は愛にふさわしい』(2019)が持っていた自由さは、作品ごとに幾何級数的に失われ、新作では仏産業のコードに嵌った驚きのない普通のフランス映画になってしまっており、残念でならない。脚本賞は、新作が完成すれば例外なくカンヌにノミネートするジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ『Young Mothers』が受賞した。今年の批評家週間開幕作品のローラ・ワンデル『L'intérêt d'Adam』はダルデンヌ兄弟がプロデュースし、完全に彼らのスタイルを踏襲した括弧付きの「新人」映画であることを見ても、90年代から自国の「映画」を更新しようとしないベルギーに未来はあるのだろうか。そして、ビー・ガン『Ressurection』には特別賞が与えられた。この作品は撮影と編集が同時進行する彼のスタイルと中国政府による検閲とが相俟り、開催直前に追加された。ビジュアルの強さはあるものの、その混乱が明らかに投射されており、例外的に設けられた「特別賞」という場所はこの作品にとって相応しいだろう。

 監督週間部門は前年に増してさらに新人監督に焦点を当てたが、驚くべき発見は皆無であった。とりわけ仏製作&仏共同製作作品に関しては、セレクションの基準を疑わざる得ないクオリティであった。だが、その中でも、ロイド・リー・チョイ『Lucky Lu』とハサン・ハディ『The President's Cake』は、同部門のセレクション全体を俯瞰すると比較的端正な作品ではあったと言えるだろう。前者はカンヌ公式短編部門にノミネートされた『Same Old』と共通する主題ーー異邦人としてNYに住み、Uberで生計を立てるーーをチャン・チェン主演に長編化した作品である。現地から呼び寄せた妻と子が到着する直前に、アパートも自転車も失った主人公の時間刻みの奮闘はスリリングではある。だが、降りかかる災難もその結末も予定調和にしか感じ取れなかった。また後者は最も優れた初長編に与えられる「カメラドール」を受賞した。フセイン政権下、大統領の誕生日を祝うケーキの材料を探すために奔走する少女の小さな冒険をカメラが追う。キアロスタミを思わせる子供の巧みな演出は見事であるものの、ウェルメイドの域を出ていない印象だった。一方、監督週間本来の在り方を体現した最も過激でパンクな精神に溢れた作品は、ナダウ・ラピド『Yes!』だろう。近年、外国に生きる自身を投影した数本の過去作から、新作ではイスラエルから見えるガザの風景を、国内で暮らす主人公の男女を通じて告発していく。この作品は公式コンペ部門の最終リストには残っていたものの、尺や政治的問題などゆえにセレクションされず、最終的に監督週間として異例の追加作品となった。またロバン・カンピヨ『Enzo』(昨年逝去したローラン・カンテと共同クレジットされた作品)においては、彼らの主張する「独自性」が追悼という文脈であることからも、公式部門から落選したこのような作品によって補完されているといった事実は、皮肉以外の何者でもないだろう。

Imago 批評家週間.jpeg 初長編&二作目を扱う批評家週間は、前アーティスティックディレクターのシャルル・テッソンが退任後、アヴァ・カーエンによる新体制の二期目となった。彼女は年々、仏映画産業に媚びたライナップを強化しており、今年はそれが短編部門にまで大きく侵食し始めている。奇を衒ったのみで括弧付きのオリジナリティに留まったラチャプーン・ブーンブンチャチョケ『A Useful Ghost』のグランプリ受賞には驚きを隠せないが、昨今のセレクションの傾向を鮮やかに裏切る作品として、デニ・ウマル・ピツァエフ『Imago』(フレンチ・タッチ賞受賞)を発見できたことは大きな驚きだった。この作品のファーストシーンは、ブリュッセルに住む監督本人が母親からの電話に応対するシーンから始まる。彼女は家族の故郷チェチェンの国境から30キロほど離れたグルジアに土地を買い、息子がそこに定住し、結婚することを望んでいると言う。彼女の言葉に導かれ、1990年代、チェチェン難民が移住地としたパンキシに赴き、様々な出会いを経て自身のアイデンティティに向かい合っていく作品である。ドキュメンタリーが批評家週間のコンペティション部門にノミネートすること自体が珍しく、さらにこれだけ個人的かつ繊細さが評価されるのは、現在の批評家週間の文脈から考えると奇跡的だと言えるだろう。また、ポーリーヌ・ロケの初長編『Nino』は初長編&フランス映画として、また今年の全部門を通じても良作の一本だと言える。癌を宣告されたテオドール・ペルラン(ルイ・ロデレール財団俳優賞受賞)演じる青年が最初の化学療法を受けるまでの数日間を描く。ペルランの感情を押し殺した演技とロケの繊細な演出は、アニエス・ヴァルダ『5時から7時までのクレオ』を彷彿とさせるような死への恐怖と不安、その絶望を強く感じさせた。

公式部門受賞結果
批評家週間受賞結果

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