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August 8, 2025

『よみがえる声』朴壽南、朴麻衣
金在源

[ cinema ]

IMG_2094.jpg 太平洋戦争における日本の敗戦から今年で80年を迎えようとしている。今の日本を見渡してみると、外国人排斥が叫ばれ、核武装の声が高まり、徴兵制の導入を公然と語る人々が現れ、新たな戦前のようにも感じられる。また、日本で終戦記念日とされる8月15日は、朝鮮の日本統治からの解放を意味し、韓国では「光復節」として大切にされている日でもある。しかし、現代の日本では植民地支配の歴史をなかったように語る人が増え、自分たちが近隣諸国に支配されてしまうという漠然とした不安が広がっているように感じる。そして不安を煽るような大きな声に人々は踊らされ、個人の「証言」は軽視されつつある。
 朴壽南(以下:壽南)と娘の朴麻衣(以下:麻衣)によるドキュメンタリー『よみがえる声』は戦前から戦後にかけて朝鮮や日本で暮らしていた朝鮮にルーツを持つ人々の言葉を拾い上げ、今も続く痛みとして現代を生きる人々に投げかける作品だ。壽南が40年間撮り溜めていたフィルムを麻衣と共に編集し、関東大震災における朝鮮人虐殺、小松川事件、朝鮮人被爆者、慰安婦として沖縄に連行された女性、軍艦島に徴用され炭鉱労働者として働いた人などの証言を繋いだものとなっている。そのどれもが想像を絶するものである。
 1958年に女子学生が在日二世の李珍宇(イ・チヌ)に殺害された小松川事件では、壽南と獄中の李とのやり取りから、彼が日本社会で激しい差別にあっていたことがわかる。「関東大震災時、自分たちの親は朝鮮人を殺し、彼らのお墓に手を合わせに行ったことはないのに、小松川事件後、娘のために見ず知らずの朝鮮の人々が手を合わせに来てくれた」という壽南の語りで明かされる被害者の家族の言葉からは、自らも加害者であることを歴史の繋がりの中で見つめ直す人々の姿が見えてくる。
 1919年、三・一独立運動直後の朝鮮京畿道にあった提岩里教会では、日本軍によって住民が監禁され、放火、無差別銃撃が起きた(提岩里教会事件)。事件の当事者の高齢女性は、認知症が進みまともに会話できないと思われていたが、壽南に事件のことを尋ねられると目の前で日本軍に殺される隣人を見つめることしかできなかった忘れ難い悔しさを涙とともに語っていた。
 軍艦島に14歳で徴用され、その後も日本で生きたソ・ジョンウさんは軍艦島を案内しながら、海に身を投げて自ら命を絶った同胞たちに花を手向ける。そして、朝鮮半島の方角に向かって地面に伏しながら「オモニ(お母さん)」と言葉を漏らしていた。年表や教科書からは見えてこない彼らの言葉と涙を目の当たりにして、私たちは彼ら彼女らが語る経験を「嘘だ」、「そんなものはなかった」と言えるだろうか。
 ここで語られる証言と歴史を伝えていくため、私に何ができるのだろうかと考える。本作の冒頭では、脳梗塞になる直前の壽南と麻衣の激しい口論が映し出される。映画を制作するにあたって「できるだけわかりやすく伝える」ことを考える麻衣に、壽南は強く反発する。麻衣から「何のために映画を撮るのか」と問われた壽南は、「事実を記録していくこと。どういうことがあったのか、歴史の事実を事実として一人ひとりの体験を記録することが歴史の真実」だと答える。「歴史を知っていく旅は奪われた自分のアイデンティティを取り戻す旅でもあった」という壽南の語りからは、彼女が出会ってきた人々の証言が在日二世としての壽南を形成し、彼女の「事実を記録し映し出す」という一貫した姿勢に繋がっていることが見えてくる。一方で麻衣は、日本社会でその名前をからかわれたことから日本名を使っていたが、自分が朝鮮人である事実から逃げられない葛藤を経て本名宣言に至ったという。だがそれと同時に、いじめの被害にあったと告白する。二人の映画製作に対するスタンスの相違は、同じルーツを持ちながらも経験してきたことの違いによるものであり、私たちは同じ歴史の上に生きていながら、そこには一人ひとりの人生があることに改めて気付かされる。そして、二人の主張は相反するものではなく、どちらも「言葉に耳を傾ける」ことに繋がっているのだと私は思う。
 「日本人ファースト」という言葉があっという間に社会に浸透してしまった背景には、私たちが他人の言葉に耳を傾ける余裕がなくなってきていることがあるのかもしれない。ただ、そんな時にこそ立ち止まって他者の声に耳を傾け考える冷静さが必要なのだと思う。ソ・ジョンウさんの生前の映像を見た息子さんが、父親の姿に涙を流しながら「あったことをなかったことにはできない」と語っていた言葉が忘れられない。彼ら彼女らが生きた記憶をなかったことにしないためにも、現代によみがえった声が一人でも多くの人に届いてほしい。

ポレポレ東中野ほか全国順次公開