『DREAMS』『LOVE』『SEX』ダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督インタビュー 「観客に共同制作者(co-creator)になってもらうために」
[ cinema ]
ノルウェー出身のダーグ・ヨハン・ハウルゲード監督の特集上映「オスロ、3つの愛の風景」が開催される。『DREAMS』『LOVE』『SEX』から成り立つこの三部作は、夢、愛、セックス、というたがいに切り離すことのできない3つの要素に纏わる考えを、何ひとつ決めつけることなくただ優しく語る。スクリーンに映るもの/映らないもの、言葉で語ること/語らないこと、といった3作品に共通する視聴覚の表現を中心にお話を伺った。
ーー『DREAMS』『LOVE』『SEX』はそのうちのひとつを語る時に、他のふたつが自然と関わってくるテーマだと思います。そのためいずれも『DREAMS』『LOVE』『SEX』という言葉が浮かび上がってくるわけですが、それぞれの作品にこのようなタイトルを付けた理由をお聞かせください。
DJH 実は『SEX, DREAMS, LOVE 1』、『SEX, DREAMS, LOVE 2』...というタイトルでも良いんじゃないかと思った時さえあったんですよね。もちろん他の作品に他のタイトルをつけても成立はするわけです。ただ、個人的には『SEX』『DREAMS』『LOVE』の順番で見てほしい。あと、ノルウェー語だとフォントや文字の並びがすごく良い感じなんですよ。加えて実際に脚本を書いた順番もその順番でしたし。ただ、3本ともある種同じテーマなんだけれども、違った視点からそれが描かれている。違ったかたちで物語が綴られていることに意味があると考えています。
ーー「違った視点、違ったかたち」というお話がありましたが、3作品はそれぞれ違う世代に焦点が当てられてると思います。やはりこれらは、『DREAMS』『LOVE』『SEX』というタイトル設定に何らかしらのかたちで影響を与えているのでしょうか。
DJH タイトルとはあまり関連性はなくて、それぞれ異なる世代を撮るというアイディアは、むしろ一緒に仕事をしたい役者がいたというところから始まっています。みんな人生のそれぞれのポイントにいて、それぞれの悩みがある。例えば『SEX』に出てくるカップルのように、40代後半や50代になると結婚してからそれなりの時間が経ち、セクシュアリティに対する独自の考え方があったりします。それよりも若い人や年上の人だったりすると、もちろんその考え方なんかは変わってきますよね。なので、タイトルに関しては、世代よりもむしろ一緒に仕事がしたいと思う様々な世代の役者が大きく影響しています。
ーー一緒に仕事をしたい役者がいたということですが、それは役者と脚本、どちらが先だったのでしょうか。
DJH 役者が先でした。僕は自分が誰と仕事がしたいのかを分かっているので、彼らのことを思いながら脚本を書きました。みんな昔から知っている人たちだったので、それぞれの「こういう役をやってみたい」と話していたことをキャラクターに反映したりもしていたし、僕自身彼らがまだやったことのないと思うものをあえて脚本に書いたりもしました。役者というのは、違った挑戦を受けることで、自分の仕事により奥行きを持てるのではないかと考えているからです。
ーー『DREAMS(夢)』は回想シーンのように見せられることはなく、『LOVE(愛)』はそもそも見えないもの、『SEX(セックス)』に関しては直接的な描写がありませんでした。このように見えない/見せないことに関して意識されたことはありますか。
DJH 僕は台詞を考える時、見えないからこそ観客に想像してもらえるように意識しています。特に『SEX』の場合がそうだと思います。直接的なセックスシーンがないけれど、セックスやセクシャリティについてたくさん話してるから観客も想像してくれると思います。『DREAMS』にもそういうところがありました。実際に何があったのかは明確には分からないんだけど、ヒントを登場人物たちが落としてくれている。少女(ヨハンネ)が何を恋い焦がれているのか、どんな思考をしているのかということは、彼女の言葉を聞くことで観客が内的イメージを持ってくれると思います。またそのことは読書をしている時の体験と同じだと思うんです。本もまた行間に何があるのかが大事で、読者の立場としてもすべてを書かれたものとして読みたくはないですよね。やはり自分で埋めたい、想像したいところがあるべきだと思うし、究極的には映画を見る時も本を読む時も観客には共同制作者(co-creator)になってほしい。最終的には自分で想像することで知ってもらうことを目指しているからだと思います。それでちょっと思い出したエピソードがあるのですが、10歳ぐらいの時に読んだすごくハラハラドキドキする、ドラマチックな児童文学があって、その本を数年後に見つけて読み直したんです。そうしたら、自分が思っていたストーリーやエピソードがそこにはまったくなかった。全部自分の想像だったと分かって、それがまた面白いなって思ったんです。
ーー「想像」と関わることなのですが、3作品とも主要な登場人物の姿がはっきりと映される前に、彼らの声から映画が始まっているという点で共通していますよね。
DJH それは意図的なものでした。もし声を聞けばその想像が正しかったか、正しくなかったかは別として、これは誰なのだろうと想像しますよね。そういった意味で声というのはパーソナルなものだと考えています。声を聞いて想像することは、実際の顔を見た時よりも伝えるものが多かったりするのが面白いと思い、意図的に声から始めることにしました。
ーー『DREAMS』と『LOVE』はヴィスタで撮影されており、『SEX』はシネマスコープで撮影されています。また、『DREAMS』では手持ちカメラでの撮影が多かったように思います。ひとつ前の質問から翻って、何かを見せるということに関しては意識されたことがありますか。
DJH それぞれが違う視覚言語を持った作品にしたいと思いました。同じことを3回繰り返したら、観客を退屈させてしまいますから。とくに『SEX』に関しては、フォーマルな形式美みたいな部分があるかなと思っています。一方『DREAMS』は、すべてヨハンネの心の中で起きていることなので、可能なかぎり主観的なものにしたかった。そのためにはやはり、手持ちカメラが合っているんじゃないかと思いました。また、私たちのイマジネーションは往々にして現実を少しだけ美化することがあります。ソフトフォーカスを使った理由は、そこでそういった美化を視覚化したようなロマンチックな雰囲気をつくるために、ソフトでカラフルな色彩設計というのも意識したからです。『LOVE』は割と映画的なところがあるというか。他の2つと比べると叙事詩というと少し違いますが、より幅広くたくさんのキャラクターが出てくる作品なので、撮り方やアスペクト比も通常の映画に近い内容になってるかなと思います。
撮影方法に関連してもうひとつ話すと、僕らはフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画に長く影響を受けてきました。ワイズマンって、人と人とのあいだのすごく長い会話を撮りますよね。その時にカメラをどこに置き、人物たちとどのような距離を取るのかというのがとても重要です。その結果、観客はキャラクターを親密に感じるけれども、同時にその人の脳内に自分がいるわけではない。だからこそある種の客観性を持って、自分自身が「この人はどういう人なのか」と考えるための距離も同時に見えてくるんです。それを目指した結果かなって思っています。『SEX』では、キャラクターと少し距離を取りながら、背景も同時に映しています。そのことによって、彼らの置かれている環境も同時に見せ、何に注目するのか、何に興味を持つのかということを観客に委ねている。それから先ほど話した顔より先行する声。会話をしている時に聞き手を見せないことが重要だったのは、声だけだからこそ感じる親密さ、近さが、見えるよりも見えない方にあったりするんじゃないかと思っているからです。
協力:梅本健司