10月9日 山形国際ドキュメンタリー映画祭2025開幕
[ cinema ]
オープニング上映はダイレクト・シネマ短編集。上映前のマーク・ノーネスさん、生井英考さんによる解説が素晴らしかった。 丁寧な内容はもちろんのこと、ノーネスさんがフレンドリーな調子で話す英語を、生井さんがただ訳すのではなく、自分の言葉として再構成し、フリースタイルな感じで言い直していたのが印象的だった。その掛け合いから、「アメリカン・ダイレクト・シネマ」というプログラムが、しっかりとプログラマーたちの目線が揃ったうえで組まれているのだと伝わってくる。
ダイレクト・シネマ特集は、プログラムごとにテーマがあり、順を追って見ていくことで、成立以前の動向やアメリカ以外の状況も踏まえつつ、代表的な作品から変わり種までを網羅できる構成になっている。オープニング上映の目玉は、最後に上映される『パノーラ』。謎の肩書きをいくつも名乗り、虚勢を張る黒人男性が、カメラに語りかけるうちにやがて疲弊していき、ついにそれまで隠していた感情を噴出させる姿が捉えられていて凄まじかった。ただこの作品がダイレクト・シネマと現代美術、ポップカルチャーとの関わりを主なテーマとするプログラム10に組み込まれていたため、そのプログラムの流れのなかでどう『パノーラ』を受け止めればいいのだろうと、少々戸惑いを覚えた。
最初の一本『解体美術館』。ガラクタを寄せ集めたような不可解なオブジェが、自ら火花をあげて崩壊していく様子が映し出される。作者ジャン・ティンゲリーがオブジェの横に立っているときは、その全体像をなんとなく把握できるのだが、オブジェが稼働し、あたりが煙に包まれると、スケール感が急に曖昧になり、まるで公害を撒き散らす巨大な工場を見ているかのような気分になる。『誰かに愛されなければ君は誰でもない』。あやしげな結婚式のドキュメンタリー。冒頭で「どこまで行くんだよ」と会場に向かう車中で文句を垂れていた参列者の男が、式の終わりにディーン・マーティンの同名曲を甘く歌い上げ、映画の最後を持っていく。途中で婿の衣装を男友達が整えてあげる場面も印象に残っているのだが、それは次の『カットピース、1964/1965』と、戸惑ったとはいえ最後の『パノーラ』の記憶と結びついているのかもしれない。『カットピース』では、舞台で座り込んだオノ・ヨーコの服が通りすがりの人々(を演じる人々)に裁ち鋏で切り刻まれていき、『パノーラ』の黒人男性は手書きの文字が背中に刻まれたボロボロのシャツを着ていて、カメラに背を向けるたびに笑いを誘う...というように人々の衣服とそれに伴う身振りに自然と目が引き寄せられた。(梅本健司)
今年こそこの映画祭に参加するため、なんとか仕事を調整した。高速道路を使えば金沢市から山形市までは約450kmとのことなので、数日前から続く異音と謎の振動は気になってはいたが車で行くことにした。高速に乗ってスピードを上げると車体の振動が徐々に大きくなっていった。それでもアクセルを踏み続けていると、100kmほど進んだ黒部宇奈月温泉駅を通り過ぎたあたりで大きな破裂音とともに車が傾き、スピードが一気に落ちた。なんとかPAに入り状況を確認すると、タイヤがバーストしており、リアバンパーも破損していた。このまま山形へ向かうのは無理だと判断せざるを得なかった。業者を呼んで応急処置をしてもらい100km引き返して帰宅した。
このまま山形入りを諦めようかとも思ったが、すぐに新幹線のチケットを取り飛び乗った。一番安い方法で山形に向かうはずが、車を買い替える羽目になっている自分の状況に心が押し潰されそうになりながらもなんとか12時間かけて山形に到着した。
健司さんからのお誘いでウェルカムパーティーへ行くことにした。そこで、これまで直接お会いできていなかった方々と会うことができ、ようやく山形に来てよかったと思えた。その後、事前に教えていただいた「山形五十番飯店」に行くことに。あまりの寒さだったので(上着を忘れた)、酸辣湯麺と餃子を注文。やっと長い一日が終わった。山形国際ドキュメンタリー映画祭1日目、ただ移動しただけの日記となってしまった。(金在源)