10月12日 まとめること、まとめられないこと
[ cinema ]
朝一で観たのは『彷徨う者たち』。カリブ海に浮かぶフランス海外県グアドループの都市・ポワンタピートルに住む人たちを映した作品だ。この土地は、かつては植民地として略奪され、近年は再開発が進む場所なのだそう。ポワンタピートルに建つ建物は、ある程度の高さがあって骨組みがしっかりしているものも多いように見えるが、塗装が剥がれていたり、所々腐って錆びていたり、周りに生える雑草の手入れがされていなかったりして、目を凝らすと荒廃している。前日に観た「パレスティナーーその土地の記憶」特集の『ライト・ホライズン』で、ある場所を掃除すること、片付けることは、明日を生きていく意志みたいなものなのだと思って感動したばかりだったこともあって、手入れされることなく、時間の流れとともに朽ちていったであろう建物の哀愁が、ポワンタピートルに住む人たちの語りと重なるように思った。
「アメリカン・ダイレクト・シネマ」で観た『アメリカ合衆国ハーラン郡』。私は今回初めて鑑賞したが、ストライキ中の炭鉱労働者やその妻らに対して銃を持って威嚇を行う、スト破りのベイジルに逮捕状が出るシーンで、逮捕状を持った警官についてズカズカとベイジルに向かっていくカメラの動きにグッときた。バーバラ・コップルはこの時ストライキの集団から離れて、炭鉱会社と癒着している警官とベイジルの会話を捉えることを躊躇なく選んだのだとわかる勇ましい動きだった。
私は今回の映画祭では基本的に一人で行動していたのだけれど、知り合いに出会って少し話しては別れる、が続いていた。一人旅と言えるほど潔く一人の時間を楽しめる旅でもないのに、誰かとしっかり時間を過ごすこともできなくて、映画祭参加二日目にしていよいよ寂しさが募ってきた。ホテルのWi-Fiが繋がりづらくて、雑音で気を紛らわせることもできなかったからかもしれない。12日が山形最後の夜だったので、今夜は誰かと腰を落ち着けてご飯を食べられたら嬉しいと思っていた。でも変な人見知りが発動したために、出会い頭の知人に声をかけられないことが続いて、転校初日みたいな気分でちょっと半泣きに。「この人だったら...」と思った友人に、正直に「寂しいから一緒にご飯食べて」とLINEしたら、まず素直に「寂しい」と言葉にできたことに不思議と心のざわつきが落ち着いた。その友人は予定があって難しかったのだけれど、その友人も結城さんも一緒にご飯を食べられそうな人を探してくれて、無事見つけることができた。嬉しくて仕方ない夜になった。「こんな面倒臭い大人、最悪」と自分で自分をうざがり、心配をかけて申し訳なくも思いつつ、人に正直に「寂しい」と言えたことは今回の映画祭でとても大切な収穫だった。(浅井美咲)
前夜、香味庵クラブで飲んで、そのあとも別の店で2時半まで飲んだので午前中は予定変更して休息。会いたかったひととも、はじめて会ったひととも楽しい時間を過ごせた。
『公園』はやや距離のある固定の位置から薄暗くなりはじめた公園のテーブルを挟んだ2人の男の会話からはじまる。このたわいもない会話のなかで、その場所が台湾の公園であること、男2人がインドネシアから台湾に留学に来て博士課程修了をひかえた者たちであること、カメラの背後にいる撮影者の何らかの指示のもとで撮影に協力している最中であるとわかる。ヘビースモーカーで帽子を被った男が、書いてきたインドネシア語の詩を朗読する。台湾で働くインドネシア人の出稼ぎ労働者のロマンスの詩。朗読の後、2人は感想を言い合い、そのあともそうやってそれぞれ持ち寄った労働者たちのエピソードや詩を語り合う。誰かの思い出を共有する、誰かの物語を自分のものみたいに思えることっていいよね、みたいなことを詩人の男が言う。そして、こうも言う。貧しい出自の自分が奨学金をもらって台湾の大学で勉強できたのも、インドネシアから台湾に出稼ぎに来た多くの労働者たちのおかげだ、だから彼らの幸せは自分の幸せでもあると。誰かの物語を語る者として、透明ではいられない、その関係性の論理みたいなものを彼が意識していることがわかる。この映画は何を撮ってるんだろう、そんな話もしながら、2人は夜の公園を歩いたり立ち止まったり、また別の日同じ時間帯にやって来て座って話したりする。カメラはそんな2人を静かに淡々と撮る。今日はどんな話がある?話をするうちに、警備室を使って公園内だけで流れるラジオ番組の着想が持ち上がり、エピソードを話す次のカットで気づけば2人は薄暗い公園のなか明るく浮き上がる警備室で話している。マイクをテーブルにセットする、窓を開ける。カメラを引けば警備員が外で待っている。ちょっとした繋ぎ、ちょっとした身振りが積み上げていくものを力強く感じると同時に震えるのは、散らばっていたものが一つにまとまっていくなかに、まとまらないものがそこにあるからかもしれない。だからだろうか、詩人の男自身が口にした語られる者と語る者の、あるいはそれを撮る者と撮られる者の関係性に彼自身が消耗し、もう疲れたよ、撮影者たちはこの映画の終わり方がわからないんだと言って、雨の中公園を去っていったあとで、それを見た僕の中に震えが残っているように感じるのは。
午後の新幹線で帰ることにしたので、午前中は『彷徨う者たち』を観ることにした。カリブ海に浮かぶグアドループの歴史は支配の歴史と言えるのかもしれない。1635年にフランスに占領されたグアドループには、労働力として多くの黒人奴隷がアフリカから連れてこられた。その後、イギリスによる占領やフランスへの返還を経て今もフランスの海外県として存在している。深夜の町を歩き回りジョイントを吸うラッパー、キューバ革命に加わり今は肺癌と闘う老人、妻と別れグアドループに戻ってきた男性、それぞれがばらばらに生きているようにも見えるが、植民地支配と奴隷制の歴史が彼らのメンタルや生活に影を落としていることがわかる。
それでも生きることを諦めない彼らの目を私は忘れられない。薬物がやめられず仲間や家族と離れて暮らすことになったラッパーはまっすぐな瞳で「人は一人で生きることはできない」と語る。ある男性は微笑みながら「自分を語ることは自分自身を他者と分け合っていくことだ」と述べる。焚火の前に座る詩人の目には炎が揺らいでいる。それは、生きるための希望、支配への抵抗の思いがまだ消えていないことを訴えているようにも見えた。
本作に登場する人々の言葉を通して歴史に触れたとき、私の立っている場所が揺らぐような感じがした。彼らが分けてくれた生を受け取って私もまた自分を分け合っていく、その小さな営みが支配からの解放に繋がっていると信じたい。
山形駅へ向かいお土産を購入したあと、新幹線に乗り込んだ。初日からいろいろあったがやっぱり来てよかった。再来年こそは新しくなった車で参加したい。(金在源)
アメリカン・ダイレクト・シネマ特集の『ギミー・シェルター』が素晴らしい。ローリング・ストーンズのライブドキュメンタリーである時点で十分に見応えのある映像になっているのだが、これはかの有名な「オルタモントの悲劇」を生み出した1969年のフリーライブの記録であり、ストーンズの演奏だけでなく、会場で起きた殺人事件までもが記録されているのである。映画のはじまりこそミック・ジャガーかっこいいなぁ!(チャーリー・ワッツも!)と純粋にストーンズの演奏を楽しむことができるが、映し出される対象がステージから観客側へとズレだしていくところから徐々に不穏さが立ち込めてくる。オーディエンスエリアでは警備を固めた暴走族のヘルズ・エンジェルズと観客が一触即発の状況であり、いつ殺人の瞬間が映し出されるかもわからない緊張感がある。一方でLSDでキマった観客たちが裸で奇行に走る可笑しさも同時にあり、その緊張と緩和にハラハラする。見事なのは、これらライブ会場で起きた出来事のほとんどをカメラが余すことなく捉えていることだ。決定的な瞬間にカメラが追いついているというべきか。犯行の瞬間だけでなく、その後の泣き喚く女の子までも捉えるミクロ感覚。クレジットを見る限りでは20名近くのカメラマンがあの会場で撮影したことになっており、ここにダイレクト・シネマとしての一端が垣間見えるのではないか。結果として『ギミー・シェルター』はすべての断面から何を選び残していくかという見事な編集の映画になっている。そして時代がそうしたように、編集台に座るミック・ジャガーがヒッピームーブメントの功罪をすべて負わされているように見えるのである。
決定的な瞬間でいうと、『公園』はその点で不満が残った。あれほどカメラが我慢強く引き画を維持しながら、あらゆる事象を呼び込むための余白を残しているにもかかわらず、結果的には作為的な演出に行き着いてしまうところに驚きがない。適切なタイミングで背後を通るスクーターの群れやラストの門の前で待ち構えている子供たちなどは飾りのように見えてしまい、この映画の核であるインドネシア人の二人の詩人が紡いだ言葉と真摯に向き合うための映像になっているとは思えない。そもそもなぜ出稼ぎ労働者たちの声を詩人の二人が媒介しなければならないかというもっとも切実な問い(それは演者自身からも発せられる)に対して監督自身が答えを見出そうとしないのだから、演出のすべてがパフォーマティブな行為であると捉えられても仕方がないのではないか。(松田春樹)
『アメリカ合衆国ハーラン郡』バーバラ・コップル。1970年代、ケンタッキー州の炭鉱労働者たちがよりよい労働環境を求めてストライキをおこす。しかしあまりにも露骨なやり方で、資本と権力は彼らのストを潰そうとする。
まるで炭鉱労働者たちの口承詩のようでさえあるプロテストソングの数々が映像をつないでいく。やがて年嵩の労働者やその家族の口から、1930年代の「血まみれハーラン」と呼ばれた時代の歴史が語られるとき、もうほとんどダシール・ハメット『血の収穫』じゃねえか、という思いもよぎる。そしてハードボイルド小説のごとき暴力を辞さない資本側からの抑圧は、70年代になってもいまだ遠い過去のものとはなっていない。おそらくピケ破りのために雇われただろう男は、顔を隠そうとさえせず、平気で銃をちらつかせ、カメラの目の前で発砲さえ起きる。腐敗した権力者が、対立候補となり得る相手の一家を惨殺する。まだ若い労働者が、至近距離からショットガンで頭を吹き飛ばされ、命を落とす。保安官は逮捕状まで発行されたピケ破りの男と和やかに話し、手錠すらかけようともせず、逆にストライキを行う労働者たちに道路封鎖を解くように高圧的に指示する。
最終的にいくばくかの譲歩を勝ち取り、それでもそれは決して最終的な勝利などではなく、戦いは続いていくことが告げられる。それから50年を経て、さすがにここまでの露骨な暴力ではなくても、いまもなお顔のない暴力は私たちの暮らしのすぐそばにある......などと無難にまとめようとして、ふと愕然とする。食糧を求める人々をドローンが爆撃したり、弱い者たちがさらに弱い者たちを標的にして叩いたり、すべてはなにひとつ隠されることなく白日のもとに晒されているではないかと。「血まみれハーラン」から『アメリカ合衆国ハーラン郡』を経ていま、私たちは、あまりにあからさますぎてあえて目を向けようとしなければ見えない暴力の直中で生きている。(結城秀勇)
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