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December 3, 2025

『旅人の必需品』ホン・サンス
荒井 南

[ cinema ]

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書棚の前のテーブルに向かい合わせに座った二人の女性が、二部作の小説について話している。うち韓国人の女性(キム・スンユン)は「おすすめは第一部だけ?(But We only read first part?)」と、もう一人の女性でフランス人のイリス(イザベル・ユペール)に尋ねる。第二部は第一部と違っているからと第一部のみを勧めるイリスは、続けて、今日は外へ出てみないかと促してみる。韓国人の女性は手をこめかみの近くに当てながら「たぶん...(Maybe...)」と、薄笑いを浮かべながら答える。海外からの客人との会話で、すべてが分からないわけではないものの、ときどき言葉が出てこなかったり、語彙がすぐに浮かばなかったりする──そんなときに見せる、どこかごまかすような、よくある困惑の笑顔である。その後、韓国人の女性がピアノでフランツ・リスト『愛の夢』を弾いた後にベランダで交わされたイリスとの問答は、また違った様子を見せる。ピアノを弾き終えてどう思ったか聞かれ、「幸せ」「メロディがきれい」と話す彼女に、しかしイリスは「心の奥では何を思ったの?(What's did you feel deeper?)」と畳みかける。彼女の頭の中に浮かんだ語彙を尋ねているのではない。そこで韓国人の女性はようやく、上手く弾けない自分への苛立ち、と応答する。ここでイリスははじめてインデックスカードに文章を残し、彼女に手渡す。「私の中のこの人は誰?」「私は他人になりたい」。韓国人の女性は亡き父を称える言葉が刻まれた碑の前で、碑を金銭面で援助したことで、父の名が大きく刻まれていることを恥ずかしいと答える。涙ぐみながら「父は私を本当に愛してくれたから」という言葉と彼女が抱いた恥ずかしさの間には、金銭面での大きな援助と刻まれた名の大きさが比例している俗っぽさへの恥ずかしさを見て取るのは推測でしかないが、それ以上に、突然彼女の複雑な愛情が喚起されていることに、先のやりとりが二人の会話に兆したきわめて大きな変化を目撃する。イリスはフランス語で「私はこっそり通る」「本当の父はここにいるのか?」と翻訳し、インデックスカードに書いて女性へ渡す。このとき女性がイリスから手渡されたフランス語はもはや、頭の中の語彙を自らの感情に近づけるべく心の奥を探り、そこから生まれ書き残された言葉であり、頭の中で変換されて打ち出されていく外国語ではない。心のままに口から流れ出る、ポエティックな感情の言葉となる。

 以前、人は母語でしか落ち込むことができないという説を耳にした記憶があるが、たしかに言い得ている。何か言葉を話そうとして言い淀むとき、私たちは感情に対して適切な言葉を探している。外国語の場合は、その〝適切さ〟までの距離が深奥で遠大で、どこまで離れているかすら分からないこともある。言いたいことが頭にないし心に浮かび上がり、それを自分の持ち合わせた母語のボキャブラリーの中の適切なある言葉を探し、それを最もふさわしい外国語に翻訳し、慎重に発声する。外国語を話すときの反応はこんな具合で、次第にこれらがひと息にできるようになるわけだが、つくづく言葉を習得するプロセスは不可思議だ。
 母語という概念は、より厳密にはfirst language(最初に習得した言語)、native language(最も自然に話せる言語)、mother tongue(国籍や文化的・民族的背景)と分かれている。first languageもnative languageもmother tongueも日本語である日本人は多く、それを当然のように考えてしまっているのかもしれないが、むしろ稀であって、世界の多くの人にとって言語はもっと広いグラデーションの中にあるものだ。本作で二度差しはさまれる尹東柱のエピソード--彼の詩碑と、彼の名文を記した図書館を前に「日本の刑務所で亡くなったんです」とはっきり言及されるシークエンスがある。尹東柱は日本統治下に活躍した詩人で、独立運動に加担した容疑により従兄弟で活動家の宋夢奎とともに福岡刑務所に収監され、拷問の末亡くなった(刑務所では日本軍による朝鮮人捕虜への生体実験が秘密裏に行われていて、二人もその末に命を落としたという指摘もある)。韓国で母語が剥奪された時代の犠牲の象徴たる尹東柱を登場させ、母語ではない言葉を習得する行為には必ずしも幸福があるわけではないこと、言語とともに暴力的に感情を奪われた記憶を、本作は誠実に併置している。
 『旅人の必需品』は、三つの言語によって劇が進行する。イリスが韓国人の登場人物たちと会話する際に使う英語、イリスが彼らの心の内奥の言葉として表現するフランス語、韓国人キャラクターが会話をするシーンで使われている母語としての韓国語だ。とりわけウォンジュ(イ・ヘヨン)とへスン(クォン・ヘヒョ)、その娘ソハ(カン・ソイ)とのシークエンスは韓国語と英語が交錯し、言語に対する劇中人物の感情との距離が浮き彫りになる。ウォンジュとへスンのフランス語教師として訪れたイリスは、一般的な教科書による学習ではない理由を説明する。つまり「アイスクリームが食べたいです」「郵便局はどこですか」などという子供じみた会話を練習するのではなく、インデックスカードに重要で個人的なことを書かせるのは、「外国語を心を込めて話すと、心がいつしか適応していることが分かる」のを体験してもらうためだという。しかしその後、イリスが実際に教えた経験がほとんどないと告白したため、面喰らったウォンジュはすかさず「私たちはモルモット(guinea pig)というわけね」と笑みを浮かべつつも辛らつな一言を投げかける。イリスは「私は内臓を出したり、何かを奪ったりしない」と言い返すも、ウォンジュは「でもお金は奪うわ」と固い。教師経験の浅いイリスの「実験台」という意味でウォンジュから発せられた〝モルモット〟という言葉に対し、イリスとウォンジュにおける認識や感覚、感情の距離が、二人の会話の齟齬となったまま、ウォンジュはソハに、彼女がかつて習得したフランス語を話すように促してイリスとフランス語で会話させ、イリスのフランス語を試そうとする。ソハが自分はフランス語を話せないからと拒み、齟齬が宙に浮いたまま三人はさらにマッコリの杯を重ねる。
 ホン・サンス13作目の『あなた自身とあなたのこと』は、自分の知らないところで誰かと酒を飲んでいた噂を理由に恋人ミンジョンを問い詰め、痴話げんかの末に自分の元を去ってしまった恋人をあてどなく探す芸術家ヨンスの彷徨を描かれたが、その傍らでミンジョンと瓜二つの女性がまったく別の女性として登場し、男性たちと酒を飲みかわし、ヨンスとも出会い直す-再会ではなくあくまで"初対面"として-という不可思議な事象が進行する恋愛譚だった。何度問いただしても「自分はミンジョンではない」と主張する彼女に対し、ヨンスは初めて出逢った相手としてもう一度ミンジョンを愛する。恋人同士の再会が、まるではじめて出会う別人同士として演じ直されるというまるでつじつま合わせを放棄したシチュエーションが、それでもロマンティックに見えたのは、ホン・サンス作品において"知らない"ということが美徳のひとつとされているからだ。『旅人の必需品』もまた同じく、私たちの最も身近にあって最も影響を与える言語をめぐり、"知らない"という美徳の得難さをイリスという存在で語る。イリスは滞在中に身を寄せている韓国人青年イングク(ハ・ソングク)の家で、予定なく訪れた彼の母(チョ・ユニ)に見咎められてしまう。イングクの母は、イングクとイリスが知り合ってまだ日が浅いこと、イリスの過去を何も知らないことをあげつらい、二人の関係を感情的に問い詰める。本作での家族、特に母親たちの干渉的なふるまいは滑稽なものとして映し出されている。ウォンジュはソハがフランス語を話せないことを、イングクの母はイングクがキムチを普段食べずにパンを好むことを知らない。母親たちが縋る一縷は、「親として私は娘/息子のことを知っている」という自身の希望的観測でしかない。家族という狭い共同体の中での〝知っている〟という認識を、韓国語を話さず、徹底して他者である旅人イリスの存在が著しくゆさぶる。イングクの家でイリスは、彼がキーボードを弾く時に「記憶に陥る誘惑に抵抗するの!」と演奏を中断しないように声をかけ、体の接地状態を確認する電子機器が何度踏んでも自身の接地の値が"0"にならないとぼやき、イングクの足を上から踏みつける。何を意図しているのか一見判断できないセリフといい、何を算出しているのか分からないこの機器といい実に奇妙なシークエンスだが、その後イングクが母親に言う「俗世に住みながら道を磨く人、死ぬというその事実を忘れずに生きる人、事実に基づいて生きようと努力する人」というイリスの評価に不思議な説得力を与えている。"知っている"という認識を持たず、平らかであろう、"0"である存在。 我々にとって、常に他者である旅人、常に他である彼らの言語が必要な理由である。

11月1日(土)よりユーロスペースほかにて上映中

ホン・サンス監督デビュー50周年「月刊ホン・サンス」開催中