『プロジェクト・ヘイル・メアリー』フィル・ロード&クリス・ミラー
結城秀勇
[ cinema ]
ソニー・ピクチャーズのロゴが消えて赤いドットの残像が見えたところですでに盛り上がる。『スパイダーマン スパイダーバース』のときも同じようなことを書いた。ということはつまり『プロジェクト・ヘイル・メアリー』もまたドットや粒子が作品の内容自体とわかちがたく結ばれているのだ、とその時点でわかる。
なんか太陽の熱を食う謎の黒い微生物がいて、そいつらが大量繁殖して寒冷期がやってきちゃうので、人類絶滅の危機、というのが本作のざっくりした設定だろう。その微生物(というかその膨大な集合)について、主人公グレース(ライアン・ゴズリング)がまだ地球で物理の先生をやっていた頃、生徒に質問を受ける。そのとき生徒は、たしか「ドット」だったか「スポット」だったかいう名前でその微生物(の集合体)を呼んでいたはず。「それはご両親に聞いてね」と話をはぐらかしたグレースに、別の生徒が「ペトロヴァ・ラインってなんですか?」と尋ねる。これも実は前の生徒と同じことを聞いている質問なのだが、件の微生物が金星に向かって赤い帯をなして大移動してることを地球の人はそう呼んでるらしい。後で行う実験で、あらゆる周波数の光を吸収するって言ってたのになんで帯が赤く見えるの?とかは正直よくわからなかったけど、そんなことはどうでもいい。大事なのは、肉眼で見えないものの集まりが点のように見え、同時に帯であるようにも見えるということだ。
映画が進んでいくと、その黒い微生物は「アストロファージ」という名前を与えられていて、熱をとんでもない効率で質量に変えるので、恒星間移動を可能にするくらいのエネルギー源になるということがわかる。で、アストロファージで地球滅亡しそうなので、アストロファージを燃料にして、太陽系の外にアストロファージを退治する方法を探しに行こう、というのが「プロジェクト・ヘイル・メアリー」という名のやけっぱちの作戦である。いわば「人類の敵」の手を借りて人類を救おうというねじくれたプロジェクトを前に、アストロファージという生き物を憎むことなどできないし、そもそもこの映画には「敵」などいない。
でも「味方」もいない。クルーたちが死に絶えた宇宙船の中グレースがひとり目を覚ます、というのがこの映画のファーストシーンだからだ。昏睡から醒めて、なぜ自分がここにいるのかもわからないまま、上記のようなことを思い出していく、というかたちで映画は進む。あらゆるロード&ミラー関係の作品の主人公がそうであるように、グレースもまた、イメージに溺れて孤独である。そして他の主人公たちがそうであるように、別にその孤独の中で狂ったりはしない。生きるとは普通にそういうことだから。
だからグレースの最高の「相棒」となるロッキーが、視覚ではなくエコーロケーションで目の前のものを知覚していることに意味があるのかもしれない。彼らの初遭遇時の、透明な壁越しのとりあえずよくわかんないからなんかお互いに真似してみよう的なやりとりは、どう考えても親密なダンスにしか見えなくて、それだけで感動する(ロッキーの船に乗り込む前の、宇宙空間で隔てられたメッセージボトルのやりとりがすでにダンスだった)。ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』に出てくる人たちだったら衝撃な速度で、グレースはロッキーとの音声コミュニケーションを完成させていくけれど、重要なのはそれでなんの障害もタイムラグもなくわかりあえるようになったということではない。でも結局、ロッキーは透明なプラスチックバッグみたいなものにくるまっていないといけないし、彼らの間にはずっと隔たりがある、それでも一緒に踊れるということ以上に大事なことなどなにもないのだと思う。
ビートルズは歌う。「僕らふたりはレインコートを着て、太陽の中ひとりずつ立っている」(「Two of Us」)。地球のグレースの黄色いカッパや、宇宙服、ロッキーのビニールカバーを思い出させるこの歌詞は、「僕らはうちに帰っているところ」というサビに続く。でもグレースとロッキーの「うち」は別のところにあり、彼らの太陽は別の恒星だ。彼らふたりは、レインコートを着て太陽の中「standing solo」なのだ。ロード&ミラーがハン・ソロが「ソロ」になる映画の監督を途中で降板した歴史が呪いのように思い出される。と同時に、帯に見えているものはただの点の集合かもしれなくて(点に見えてるものももっと微細なものの集合なのかもしれなくて)、そこには必ず隙間があるのに、私たちはそれを日々なにげなく飛び越えている、ということに希望を覚えたりもする。
これは映画だからなのかもしれない。現実の世界なら、アストロファージを抑制する方法生み出しちゃったら、絶対軍事利用する奴いるだろ、と思う。邪悪すぎるぜ、現実。でも、あらゆるものが隙間を隔ててダンスしているだけ、ってのが現実じゃないなら、この現実ってなんなんだ?とも思う。我々がしっかりしたものだと認識して、触れていると思っているすべてのものは、原子核の周りを、隙間を隔てて、電子がダンスしている結果に他ならないじゃないか。