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May 7, 2026

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』フィル・ロード&クリス・ミラー
金在源

[ cinema ]

 本作について何か語ろうとすると、どうしてもクリストファー・ノーランの『インターステラー』やリドリー・スコットの『オデッセイ』と比較をしてしまう。『インターステラー』のジョセフ・クーパー(マシュー・マコノヒー)は家族と人類の未来を救うため宇宙へ飛び立ち、『オデッセイ』のマーク・ワトニー(マット・デイモン)は理論と根拠に基づいて過酷な状況を生き延びた。対して、本作の主人公グレース(ライアン・ゴズリング)は、家族のために宇宙へ飛び立つ父ではなく、宇宙空間で野菜を自家栽培しながら逞しく救助を待つ男性でもない。無理やり昏睡状態にされ片道の燃料しか積んでいないロケット内で目覚めたグレースは、身寄りもなく、生き延びる意欲もそれほどない臆病で優柔不断な存在として描かれる。これは、地球を救う英雄的男性の物語ではなく、孤独で弱さを抱えた男性がロッキーという他者と出会う物語である。
 昏睡状態から目覚めたグレースが直面するのは自身が宇宙空間において孤独であるという現実である。同乗者たちは昏睡状態のまま命を落としており、グレースは残された遺品を眺めながらそれぞれの人生に思いを馳せ、一人で彼らを宇宙空間に葬る。無機質で閉塞感が漂う船内には生活音もなく、メアリーというAIしか会話をする相手がいないグレースの状況は見ているだけで息が詰まる。地球を守るため背負わされた使命を果たそうとはしているものの、強制的に地球との繋がりを失ってしまった彼はどこか諦めているように見える。
 そんなグレースの孤独を拭い去ってくれるのは、未知の知的生命体だ。言葉は通じないが、グレースはその異星人をロッキーと呼ぶ。ここで重要なのは、彼らの出会いが支配の構造に収斂しないということである。未知との遭遇は、しばしば植民地主義的欲望と結びついてきた。SF史においても、そのような物語が数多く消費されてきた。だが、グレースはロッキーを支配しないし、ロッキーも同じだ。言語、身体構造、感覚器官、文化もすべて異なるロッキーと、英雄とは程遠いグレースの間に生じるのは単なる男性同士の友情に還元できない、お互いを理解しようとする姿勢である。二人の間に芽生えるのは、自らの弱さを共有する者同士のつながりである。
 グレースとロッキーはお互いの生活環境に体が適応できず、そのままでは死んでしまう。そのため、ロッキーは常に自分の体を格子状のガラスのようなケースで保護しながらグレースの宇宙船内で生活している様子がよく描かれる。「手を取り合う」という言葉が協働を表す言語として使われがちだが、本作では物理的に手を取り合うことができない相手と、共に生きていく様が描かれている。
 ロッキーと出会ったグレースは、ロッキーの音声パターンから翻訳機を作り出し、ロッキーとのコミュニケーションを実現する。ただ、その翻訳がどこまでお互いの文化や生活を踏まえた文脈を含んだ的確なものであるかは不透明なままである。だが、翻訳とは、相手を完全に理解することではなく、ズレを抱えたまま関係を続ける営みとも言える。だからこそ、ガラス越しのハグや腕を擦る別れの挨拶、出会ったときのダンスのような身体的な感覚が二人にとって言語以上の意味を持ってくる。
 アストロファージを捕食するタウメーバを発見した両者はお互いの星へそれらを持ち帰る。片道の燃料しか持たないグレースに、ロッキーは、自らが故郷へ帰還するまでの時間が延びることを承知で燃料を分け与える。だが、途中でタウメーバがキセノナイトでできたケースを通過することを知ったグレースは、ロッキーを助けるためタウメーバをビートルズ(Beetles)と名付けられた小型の宇宙船で地球に送る。それぞれにThe Beatlesのメンバーの名前を記し、地球に送るシーンも象徴的だ。そこでは英雄的男性主体そのものではなく、他者との協働によって生み出された成果だけが送り返される。そしてThe Beatlesは当時主流だった無骨な男性像とは異なるかたちで、繊細な心情を表現するバンドとして人気を博した。The Beatlesもまた男性グループであり、1960年代の文化の中で活躍した存在であるため、男性性から完全に逸脱した存在とは言えない。だが、その名を冠した宇宙船だけが地球に帰還する結末は、それでも英雄的男性像から距離を取ろうとする本作の姿勢を表しているようにも見える。そして自分の家(ホーム)に帰らないことを決断したグレースのバックで流れる『Two Of Us』はさらに象徴的に響く。そこには、種族や性別を超えた隣人とともに歩もうとする意志が映し出されている。
 なりゆきでプロジェクト・ヘイル・メアリーに関わることになり、自らの意に反して宇宙へ飛び立ち、ロッキーとの協働の中でタウメーバを発見したグレースの人生は、いつも他者に翻弄され責任を背負わされてばかりだ。そんな彼は、ロッキーの命の危険に直面し、初めて自らの意志で地球に帰還しないという人生を選び取る。それは、世界を救った英雄になるのではなく、他者との関係性の中へとどまることを選んだとも言える。本作において、未知との遭遇は征服ではなく翻訳として描かれることを踏まえると、グレースの決断は、自らの生を他者とともに生きるために訳し直すことだったのである。

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『プロジェクト・ヘイル・メアリー』フィル・ロード&クリス・ミラー 結城秀勇