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June 1, 2026

『スパイダー・ノワール』ハリー・ブラッドビア、ンジンガ・スチュワート、アレシア・ジョーンズ、グレッグ・ヤイタネス
金在源

[ drama ]

 フィル・ロードとクリス・ミラーが製作に関わった『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のマイルス・モラレスが「運命に抗う者」であるなら、『スパイダー・ノワール』のベン・ライリー(ニコラス・ケイジ)は「運命に囚われた者」と言えるだろう。また、マイルスが「未来をどう生きるか」を問い続けるスパイダーマンだとすれば、ベンは「あのとき違う選択をしていれば」を繰り返し思い描くスパイダーマンである。そして、ベンにとってスパイダーマンの力は、自身を過去へ引き戻す呪いでしかない。本作のスパイダーマンは、光沢のあるスーツに身を包み、ビルの間を軽やかに飛び回るスパイダーマンとは異なり、1930年代独特のスーツとトレンチコート、分厚い生地でできたマスクを被り、着地もおぼつかない。そこからは疲労や重さが感じられる。その重さは外見だけのものではない。ベンは戦争の記憶や失われた人生への後悔を背負いながら生きている。これは、力を得て成長するヒーロー譚ではない。疲労に満ち、過去を引きずりながら、それでも戦うことをやめられない男の物語である。
 ベンは第一次世界大戦中、人体実験によって生まれた蜘蛛人間に噛まれ、能力を得た過去を抱えている。彼にとってスパイダーマンの能力は戦争の記憶と喪った恋人の記憶に直結しており、思い出したくない過去でもある。「大いなる力には大いなる責任が伴う」という有名なスパイダーマンを代表するフレーズがあるが、ベンは「力がなければ責任は伴わない」と口にする。戦争さえなければ、バーで酒を飲んでいなければ、能力さえなければ...繰り返し挿入されるベンの記憶とイメージは、彼が過去に囚われていることを示している。スパイダーマンではなく、普通の人間として生きたい彼にとって、その力は足枷でしかない。だが、それでも彼は周囲の要望に従い、スパイダーマンとして生きる。
 悲劇の中にあって孤独な存在はベンだけではない。彼を取り巻く人々もまた、それぞれ異なる運命や傷を背負っている。そして本作は、その違いを乗り越えて相互理解に至る物語ではない。ベンをサポートするジャネット(カレン・ロドリゲス)、ロビー(ラモーン・モリス)、フランキー(キャリー・クリストファー)もまた性差別や人種差別、貧困といった社会の問題に直面しながら生きる者たちである。彼らもベンと同様に孤独を抱えて生きている。だが、それぞれが直面している社会課題や葛藤がお互いに共有されることはない。彼らは互いの傷を完全には理解できないまま、それでも関わり続ける。
 ベンを支える者たちが社会の周縁に置かれた人々であるならば、それは敵対するヴィランたちも同様である。彼らもまたベンと同じように従軍し、人体実験によって人生を狂わされた存在だ。能力が目覚めると同時に寿命が縮んでいく彼らにとっても、力は呪いであり、その背後には戦争の暗い影が横たわる。彼らが暴力へ向かうのは、単なる悪意だけではない。人生を奪われ、残された時間さえ限られた者たちの絶望がそこにはある。そして、同じ場所で能力を得たベン自身もまた、ヴィランたちと同じ地平に立つ存在である。
 しかし、忘れてはならないのは、ヴィランたちは戦争によって人生を狂わされた被害者であると同時に、戦場において誰かを傷つけてきた存在でもある。それはベンも例外ではない。作中、彼自身も銃を手に敵兵と戦う姿が映し出される。本作に登場する人々は誰も潔白ではなく、誰も完全に正しくない。彼らはそれぞれの運命に翻弄され、傷を抱えながら生きている。正しさが揺らぐ世界の中で、人々は互いを完全には理解できない。それでも彼らは孤立するのではなく、支え合うことを選ぶ。そしてベンもまた、その不完全な関係の中でスパイダーマンとして行動する。
 ベンが抱く、スパイダーマンとして生きることへの揺らぎと、加害性と被害性が混ざり合う曖昧さは、終盤の市民との衝突で頂点に達する。追い詰められたベンはバーで市民たちの嘲笑にさらされる。そこで彼は初めて、スパイダーマンとして生きる苦悩をむき出しにし、怒りを爆発させる。悲哀を背負いながら、自らを解放して戦う彼の姿は見ている者の胸を打つ。市民へ暴力を振るうスパイダーマンはヒーローとして決して模範的な振る舞いではない。だが、本作はそこで彼を裁こうとはしない。怒りと悲しみを抱え、スパイダーマンを求める人々と嘲笑う人々の間で引き裂かれながらも、ベンはスパイダーマンというアイデンティティから逃れられない。
 これまで「親愛なる隣人(Friendly Neighborhood)」というフレーズがスパイダーマンを表す代名詞として用いられてきた。だが、『スパイダー・ノワール』はその言葉の前提そのものを揺るがしている。ベンは「親愛なる存在」ではない。過去に囚われ、自らを傷つけ、傷つけられてきたベンは決して理想的なヒーローとは言えない。マイルス・モラレスのように運命に抗うこともできない人間である。ベンは、ジャネットやロビー、フランキーの苦しみを本当の意味では知らない。彼らもベンの戦争体験や喪失を理解することはできない。それでも、それぞれに背負った運命の中で関わり続ける。もしスパイダーマンが「親愛なる隣人」であることを意味するのであれば、ベンはスパイダーマンとは言えないだろう。しかし、本作が提示しているのはその逆だ。互いを理解できず、自らの苦しみから逃れられないままであっても、人は他者と関わり続ける。『スパイダー・ノワール』が描くのは、それでも他者を見捨てることができないスパイダーマンなのである。

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