『ユースフル・ゴースト』ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク
板井仁
[ cinema ]
2022年にノーマルスクリーン主催で配信されたラッチャプーム・ブンバンチャーチョークの前作『赤いアニンシー;あるいはいまだに揺れるベルリンの壁をつま先で歩く』(2020)の主人公アンは、セックスワーカーでありながら、国家に奉仕するスパイである。トランス女性である彼女の声は、誇張されたアフレコによって「女性的な声」に吹き替えられているのだが、彼女が国家の指令によって黒縁メガネのシス男性「イン」に偽装するときには、「男性的な声」へと強引に吹き替えられもする。タイトルの「アニンシー」とは、タイの古典スパイ映画の代名詞である『インシー・デーン』(中村紀彦による記事を参照。【1】)の「インシー」と、主人公がもつ複数のペルソナ「アン」「イン」が掛け合わされた混成語である。また、サブタイトルの「いまだに揺れるベルリンの壁をつま先で歩く」とは、主人公が社会において課された性規範の境界を、危うくも横断する存在であることを示唆している。ここで、「ベルリンの壁」が性規範に喩えられていることは、ジェンダーが国家や社会によって人工的に構築された境界であることを告発していると同時に、その壁の上を「つま先で歩く」しかないトランスの人々の、不安定な生存状態を浮き彫りにしながら、さらには、いずれその規範が崩壊しうるという希望をも予期している。
この「身体と声の不一致」という表現手法は、単なるクィア的なアプローチに留まらず、タイ映画史の特異な文脈にも深く根差しているという【1】【2】。1950年代から70年代にかけてのタイ映画黄金期を支えたフィルム作品では、同時録音が行われず、上映時に声優が登場人物の声を生でアフレコする文化が主流であったという。ラッチャプームは、このタイ映画の特徴を、権力が個人の主体性を剥奪し、国家にとって都合のよい属性を強制する暴力のメタファーとして用いるのである。
『赤いアニンシー』におけるこうした剥奪のモチーフは、『ユースフル・ゴースト』(2025年)においてもまた引き継がれているといえる。本作において奪い去られるのは、声ではなく肉体である。工場の粉塵公害の犠牲となったものたちの魂は、自分を死に追いやった工場の機械や、そこで生産されている家電製品に宿る。しかし、肉体が廃棄されてもなお、彼ら/彼女らの声、あるいは激しい咳き込みは忘れ去られることなく、残されたものたちに執拗に取り憑くのである。
冒頭において圧縮されているのは、粉砕され粉塵となった歴史的記憶である。白い壁面彫刻(バンコクの民主記念塔だろうか)の数ショットを経て、俵を持つ男、銃を構える軍人、砲丸を持つ男などがクロースアップで捉えられ、次いでパネル絵のように横一列に並べられた彼らの姿は、画面の手前で作業する芸術家によって塑造されていく。やがて完成し、広場の中心に置かれるこの巨大な彫刻は、のちに1940年に建立された「民主化記念碑」であることが判明するのだが、この歴史的な記念碑は、時を経てショッピングモール建設のために撤去され、破壊されてしまうのだった。砕けて粉々になったこの記念碑は、ただの瓦礫なのではない。それは、資本主義的開発の暴力によって、粉々の塵へと不可視化されてしまったものたちの、亡霊なのである。
風に舞うこの記念碑の粉塵が、古いアパートの窓から部屋へと侵入して住人のくしゃみを誘うと、この部屋に住むアカデミック・レディボーイ(ウィサルット・ホームフアン)は、掃除機を買いに出かけ、この買ったばかりの掃除機で自分の部屋の掃除をする(部屋のテレビは「社会の発展に粉塵は必要悪だ」というニュースを流している)。しかしその夜、誰もいないはずの部屋で激しい咳が聞こえて目が覚めると、レディボーイは昼間に吸ったはずのゴミが、ふたたび床に散らばっていることに気づく。それはまるで、咳き込んだ掃除機が、吸い込んだゴミを吐き出しているかのようであり、綺麗に隠蔽されたはずの歴史的記憶が、消滅することなく、亡霊となって、やがて反撃を開始することを予感させるものであった。
このようにして始まる物語は、レディボーイが掃除機会社に入れた苦情によって派遣された修理工クローン(ワンロップ・ルンカムチャット)の語りによって進行していく。クローンが語る、ある工場の奇妙な物語によれば、粉塵公害の犠牲となったものたちの魂は、自らを死に追いやった工場の機械や家電製品に宿るのだという。彼ら/彼女らは肉体を奪われてもなお、機械の内部から咳という悲痛な叫びによって、あるいは言葉によって自らを主張するのである。
亡き妻の魂が掃除機に宿り、霊となってもなお夫に尽くし、愛を確かめあうというこの映画の奇想天外な物語の背後には、ネオリベラリズムにおける残酷な包摂の論理が描かれているだろう。工場長の次男マーチ(ウィットサルート・ヒンマラート)の前に現れた赤い掃除機姿の妻ナット(ダビカ・ホーン)の霊は、体制側の大臣であるポール博士の目にとまり、「親切な霊」として救われ重用されることになるのだが、クィアであれ霊であれ、体制側の利益に奉仕する「有用な(useful)」存在であることが証明されなければ、システムに承認されることはない。マーチの兄であるゲイのカップルが、海外事業拡大に貢献した途端に親族から承認されたということなども、こうした条件を裏づけているだろう。
さらに絶望的であるのは、有用なマイノリティをシステムの内側に引き上げることによって、被抑圧者たちを分断していくその体制側の方法ではないか。ナットが、夫の電気ショック療法を中止させる対価として、工場の犠牲者であるトックの霊を排除する決断をし、ついには、自身の子どもと引き換えに、国家に抵抗した人々の夢を消去する体制側の共犯者となっていくように、包摂されたマイノリティは、自分の利益や愛のため、あるいは自分の居場所を守るために、どんどん弾圧する側へと回ってしまうのである。
先に述べたように、本作において粉塵とは、破壊された民主記念碑の残骸であり、資本主義的開発や国家の暴力によって不可視化された歴史のトラウマや犠牲者たちの亡霊のことであっただろう。ナットが、粉塵を吸い込む機械である掃除機に取り憑いたことは示唆的である。彼女は、自身もまた犠牲者であったにもかかわらず、愛するものと引き換えに、体制側に不都合な亡霊を吸い取り、人々の夢から国家に対する抵抗と反逆の記憶を清掃する治安維持装置へと変貌させられてしまうのだ。加えて、掃除機という電化製品が、歴史的に女性の家事労働やケア労働と強く結びついたものであることもまた、見逃せないだろう。
【1】中村紀彦「真正な声もまた統治されたものである:『赤いアニンシー』の副音声(一方的な注釈)」2026年7月14日。
【2】ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク、済東鉄腸「タイ、響き渡る本当の声~Interview with Ratchapoom Boonbunchachoke」鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!、2020年8月24日。