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April 12, 2019

『ワイルドツアー』三宅唱
渡辺進也

[ cinema ]

 山口情報芸術センター[YCAM]のバイオラボを舞台に、山口市の周辺の草木を集めるワークショップが行われる。スタッフの「もしかしたら新種が見つかるかもしれないよ」という言葉に、突然ワークショップの行われている一室の世界が広がりはじめる。採取した草木がDNA鑑定にかけられて解析が進められると、そこで一気に身の回りにあるものが最先端の技術とつながる。身の周りにあるものがもっと大きな世界に、そして最先端とつながっていること、まずそのことにとても感動する。
 メインキャストの3人は森の中を分け入っていき謎の(?)建物をみつけ、また女の子たちは急斜面の山を助け合いながら登りそこで夕日の沈む素晴らしい風景に出会う。また二人組の男の子たちは海や川辺の岸沿いにしゃがんで何かを探そうとしている。彼らが海で見つけた石はとても美しい。でも、彼らはその石を比較的あっさりとスタッフでもあるうめちゃんに与えてしまう。きっと彼らにとってはその石そのものよりも発見することが楽しくて、だからあげたそばからまた次の発見に向かう。
 彼らが発見したものはもしかすると山口市でなくても見つけることができるかもしれない。いや、それはきっとどこにでもある。だから、ほんとに些細な場面がとても良かった。ひとりの女の子が山を登る途中に大きい岩をみつけて「岩だ!」と仲間たちに言う、その場面がとても良かった。雪に埋もれたトラックのタイヤを見て「すげえ」と言う男の子がとても良かった。雪にまとわれているとはいえタイヤはタイヤでしかないし、岩はきっと何十年、何百年とずっとそこにあったものなんだろうけど、そんな当たり前のことを言っているのがとても良かった。それが良かったというのは、彼ら彼女らが発見していくことを自分が一緒に追体験しているというよりも、あるものがそこにあることをちゃんと見ているのを、彼ら彼女たちと同じようにスクリーンを通して自分でも見ていると言うことのなのもしれないと思った。それは自分たちが映る映像をモニターでみている彼らと同じようにみているということかもしれない。
 この発見ということは草木や風景、物といったことだけではなくて、誰かのことを好きになるとかそういったことでもある。一緒にいることで、話すことで、冒険することで、一緒にiPhoneの小さな画面を見ることで、恋に落ちるというよりは、彼らは恋を発見しているようでもある。『ワイルドツアー』では、ラブコメみたいな恋の予感が漂い始めたのを感じるよりも先に、恋を発見してしまった彼らをみることになる。彼ら彼女たちは自分がみることで、肌に感じることで世界を発見していく。その発見すること、発見したことはきっとどこにであっても、またいつの時代にでもある。また誰にでも発見できることでもある。だからこそ、とても大事なことを発見しているとも思う。
 上映後のトークショーで、五十嵐耕平監督が『泳ぎすぎた夜』のときに主人公の鳳羅くんを監督と呼んでいたというエピソードを聞いて、それがとても印象に残った。『ワイルドツアー』でも出演者の彼ら彼女たちとモニターで撮影された素材を見ながらが自分たちで考えていったとのこと。それに彼ら彼女らはカメラを持った撮影者でもある。それも発見だろうか。前に俳優の人が「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの、舞台は俳優のもの」と話しているのを読んだことがあって、それはそれでそういうものなのかと思ったんだけど、「俳優が監督」という言葉に、また映画っていいなというような豊かさが広がったように感じた。


『ワイルドツアー』
3月30日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー
https://special.ycam.jp/wildtour/

『泳ぎすぎた夜』は4/13(土)に新文芸坐にて上映あり。
http://www.shin-bungeiza.com/program.html


・三宅唱+YCAM「ワールドツアー」@第11回恵比寿映像祭 三宅唱インタビュー

・『ワイルドツアー』三宅唱 結城秀勇

・「ワールドツアー」三宅唱+YCAM 結城秀勇

・『泳ぎすぎた夜』五十嵐耕平&ダミアン・マニヴェル監督 インタヴュー