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May 14, 2019

『救いの接吻』フィリップ・ガレル
池田百花

[ cinema ]

 愛について語り合い苦悩する男女。愛とは、人生とは、物語とは......。フィリップ・ガレルの映画では、そんな会話をとめどなく続ける人々の姿がこれまで何度も描かれてきた。『救いの接吻』でも、映画監督の夫が、女優である妻をモデルにした役を他の女優に演じさせようとしたことから、ふたりの愛は終わりの危機を迎え、彼らは苦悩し、愛や人生、物語についての対話が繰り返される。ここで映画監督の夫を演じているのはフィリップ・ガレル本人で、当時の彼のパートナーであったブリジット・シィがその妻を、さらに実際の息子であるルイや父親であるモーリスも、フィリップ演じる主人公の息子や父親を演じている。
 映画を観ていてまず率直に目を惹かれたのはまだ幼いルイが登場する場面で、この物語に唯一登場する子供である彼は、実体のない愛に翻弄される大人たちの注意を、いま、ここに引きつける強度のようなものによって異質な存在感を放っているように感じた。特に、物語の中盤で雨が降る浜辺が映し出され、画面の奥から夫と妻が歩いてきてその前をルイが三輪車に乗って全速力でこちら側に走ってくる場面は、彼が三輪車をこぐ姿の愛らしさはもちろん、その鮮烈さゆえに強く印象に残った。そして一心不乱に三輪車をこぐ彼が図らずとも画面を一直線に横切るこの場面を境に、物語のほうも、ここからこの家族の関係がそれまでとは違う方向に切り替わっていくのではないか。
また『救いの接吻』では子供だったルイも、フィリップ・ガレルの近年の三部作の一本目に当たる『ジェラシー』では幼い娘を持つ父親を演じ、ここでの彼もかつての父親と同じように愛の終わりに直面することになる。そもそも『ジェラシー』はフィリップ・ガレルの父モーリスの実話がもとになっており、それを当時の父と同じ年齢だった息子ルイに演じさせたものだった。彼の映画では、こうしていくつもの世代を継承しながら実人生と映画の中の人物が生きる人生が絡み合い、作品内の人々は絶えず愛について、人生について、物語について語り合う。
『救いの接吻』では、形がないがゆえにいくら対話を重ねても捉えることのできない愛について、フィリップ演じる主人公が父モーリスとこんな会話を交わすシーンがある。愛とは人生であり物語であって、その愛が唯一形あるものとして残ったのが子供である。だからもしふたりの愛が終わってしまったら子供だけが物語から抜け出ることになるのだ、と。ただ実際には『救いの接吻』で子供だったルイも父親と同じく映画という物語の世界にとどまることになり、彼らにとって映画はそのまま自分たちの人生となっている。そこで『ジェラシー』のエンドロールを思い出すと、ここで「目を閉じて、奇妙なこの世界を忘れて」、そして「心を開いて」と歌われているように、彼らがこれまで映画という物語の中に生きることを選んできたのは、物語の中にこそ真に自分たちが解き放たれる世界を作り出すことができると信じ、そしてその中で愛や人生について問い続けようとしたからではないか。そこには、自分たちの人生を愛するためには何よりもまず物語が必要なのだという一貫した意志が息づいているように思う。

5/17まで東京都写真美術館「フィリップ・ガレル監督特集」にて上映中

  • 『恋人たちの失われた革命』フィリップ・ガレル 田中竜輔
  • 『現像液』フィリップ・ガレル 結城秀勇
  • 「第21回カイエ・デュ・シネマ週間」フィリップ・ガレル「現代の恋愛についての3部作」 - 坂本安美の映画=日誌
  • フィリップ・ガレル/ザンジバール/ジャッキー・レイナル
  • 『愛の残像』フィリップ・ガレル 高木佑介
  • 『ジェラシー』フィリップ・ガレル 奥平詩野
  • 『小さな仕立屋』ルイ・ガレル 結城秀勇