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October 31, 2022

《第35回東京国際映画祭》『フェアリーテイル』アレクサンドル・ソクーロフ

[ cinema ]

ソクーロフの映画には「超時間性」とでも呼べる特質がしばしば備わっている。たとえば、『エルミタージュ幻想』(2002)は全編ワンカット撮影という現実の時間の極端な制約の中にありながら、数百年に及ぶ想像の時間がそこに重ね合わされていた。また、私の大好きな『精神(こころ)の声』(1995)でも、やはりドキュメンタリーの形で歴史の局限的な場面としての戦場を記録しているにもかかわらず、生命の気配のない岩山...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 4:27 PM

October 30, 2022

《第35回東京国際映画祭》『ザ・ウォーター』エレナ・ロペス・リエラ

[ cinema ]

 レイヴパーティーは一夜にして人の波をかたちづくる。その黒いうねりのなかで踊る若者たちは、夜明けとともに瓦礫然とした大量のゴミを残して去ってゆく。まだその余韻を保ちつづける何人かの若者たちは、引き寄せられるように川へと向かい、もはやすっかり朝になった土手に腰を下ろし、この退屈な村から抜け出したいという漠然とした将来像を語りあう。しかしそうした未来の話は、そのうちの一人が川に浮かんだヤギの死体を見つ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:05 PM

『さすらいのボンボンキャンディ』サトウトシキ

[ cinema ]

 たやすく踏みつけられるやさしいものが逆襲するとか、へこたれないで生きのびるとか。彼女ら、彼らがそこに居続けてくれるだけで世の酷薄さに対してひとつ勝てたと思うし、そのたたかいを自分のなかにも引き取って引きずっていきたい。映画監督サトウトシキの作品世界というのはそういうものだと、『さすらいのボンボンキャンディ』を観てあらためてそう思った。  女優のほたるさんが企画・プロデュースして公開したオムニバス...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 11:16 AM

October 29, 2022

《第35回東京国際映画祭》『This Is What I Remember』アクタン・アリム・クバト

[ cinema ]

 記憶を失くして二十数年ぶりに故郷に帰ってきた老齢の男と、彼を迎える息子一家や旧友の老人たち、そして元妻の物語。だがドラマやそこから窺われるテーマなどよりも数々のショットが印象に残る。画面の構図の厳格さとか、フォトジェニックで情緒的な一枚絵としての美しさとかではなく、被写体とカメラとの距離感、そしてワンショットの中で流れる時間が好ましい。巻頭の、白く塗られた木々の根もとだけをとらえた無人かつ無音の...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 11:19 PM

《第35回東京国際映画祭》『この通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』ジョアン・ペドロ・ロドリゲス、ジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ

[ cinema ]

 人の姿をした孤独な魂が急に人であることをやめて、明後日の方向に飛び去っていくのを取り逃すまいとするように、厳かな固定ショットやゆるやかな移動撮影を見せていたカメラが、取り乱したようにパンやティルトをする。等間隔に街灯が並ぶ整備された小綺麗な歩道では、愛する幼な子に外の景色と風を感じさせるべく、ベビーカーを押した男女が行き交うばかりで、まるでミケランジェロ・アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』(1...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:10 PM

October 28, 2022

《第35回東京国際映画祭》『輝かしき灰』ブイ・タック・チュエン

[ cinema ]

 ベトナムの都市ではなくメコン・デルタの田舎が舞台ということもあり、画面に次々と現れる見慣れない景色や風物がまず目を引く(見ている私の勝手なエキゾチシズムや観光趣味と言われればそうかもしれない)。家々は川に面している、というよりいくらか水に浸かるくらいそれに接続していて、人々は舷側が水面ぎりぎりの高さしかない小舟を生活の足にしている。鬱蒼として視界を極度に制限する熱帯雨林は家並みの間に広がっている...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 2:41 AM

October 27, 2022

《第4回 映画批評月間:フランス映画の現在をめぐって》『ドン・ジュアン』セルジュ・ボゾン

[ cinema ]

 結婚式の当日に結婚相手が現れなかったロラン(タハール・ラヒム)は、その後出会う女性の片っ端から、失踪した恋人ジュリー(ヴィルジニー・エフィラ)の面影を求めてしまう。......と書けば誰しもヒッチコックの『めまい』(1958)を想起してしまうような序盤部分だが、実際に映画を見ているときの感覚はだいぶ違う。『めまい』においてもオリジナルとコピーの転倒が起こるとはいえ、『ドン・ジュアン』のそれはさら...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 6:45 PM

《第35回東京国際映画祭》『ザ・ウォーター』エレナ・ロペス・リエラ

[ cinema ]

 水が女に入ってくる、水が女に恋をする、水が女を連れ去っていく、奪い去っていく......スペイン南東部のある小さな村で女性たちが語り継ぐ神話は、村に大洪水がやってくるたびに、宿命をもって生まれてきたある女たちが消え去ってしまうというものだ。きっと水にさらわれるか、対決する運命にあろう、主人公のアナを見つめていると、外から女たちに影響する水だけではなく、女たちが自らの身体に抱えんでいる内なる水も存...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 11:34 AM

October 20, 2022

『アフター・ヤン』コゴナダ

[ cinema ]

  近い未来、「テクノ」と呼ばれる人型AIロボットが一般家庭にまで浸透した世界を描いた『アフター・ヤン』では、ある日突然動かなくなったテクノ、ヤンに一日あたり数秒の動画を記録する特殊なメモリバンクが埋め込まれていたことが発覚したことから、本来感情を持たないはずのヤンに感情が存在したのではないかという謎が深まってゆく。  ジェイクは、ヤンのメモリバンクに保存されていた数多の動画を一つ一つ再生してゆく...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 11:18 PM

October 8, 2022

《第4回 映画批評月間:フランス映画の現在をめぐって》『恋するアナイス』シャルリーヌ・ブルジョワ=タケ

[ cinema ]

 花屋から勢いよく飛び出してきたかと思えば、早送りの映像を見ているのかと思うほど素早く鋪道を駆け抜けてゆき、アパートの入り口を突き破るように通り抜け、エレベーターには目も暮れず階段を駆け上がり、部屋の前で待つ妙齢の女性に声をかける。部屋に入ってからも忙しなく辺りを行ったり来たりし、部屋の管理人だと思われるその妙齢の女性は呆然と立ち尽くすしかない。手持ちカメラも完全にフォローすることはできず、仕方な...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 7:41 PM

October 2, 2022

『大いなる運動』キロ・ルッソ

[ cinema ]

 映画冒頭、ボリビアの首都ラパスの光景がロングショットで映し出されるのと共に、目覚まし時計のアラーム、クラクション、犬の鳴き声、街全体を行き交うケーブルカーの駆動音といった、活気あふれる都市の喧騒が左右のスピーカーから鳴り響く。しかし、カメラが都市へと近づいて行くのに並行して、鳴り響いていた街のリズムは徐々に間伸びしていき、最終的には、リズムを失ったドローンミュージックへと変貌していく。ラパスの中...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 12:40 PM

October 1, 2022

『コルシーニ、ブロンベルグとマシエルを歌う』マリアノ・ジナス

[ cinema ]

 ある古典的な楽曲を演奏する際、基本的な進行、メロディ、リズムさえ守られていれば、その他の細かい部分の解釈は演奏者に任されるのが常だろう。アルゼンチンの歌手、イグナシオ・コルシーニの1969年のアルバム『Corsini intepreta a Blomberg y Maciel(コルシーニ、ブロンベルグとマシエルを歌う)』内の楽曲「La Guitererra de San Nicolás(サン・ニ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 3:05 PM

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