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July 3, 2026

『よき谷の物語』ホセ・ルイス・ゲリン
結城秀勇

[ cinema ]

 「ここは島のようだ」と住民のひとりは言う。水路と橋、線路や高速道路によって、四方を外界から分断された土地、バルボナ。バルセロナ市内でありながら、都市の一部となることを忘れたかのような、高速道路も高速鉄道もここを素通りしていく場所。「遊泳禁止」という立て札のある水路で子供たちは水遊びし、1000年以上前に築かれた橋の上を人々がいまなお行き交い、打ち捨てられた井戸にはかつておいしい水と白いウナギがいたと言われる、そんな街。
 ここはかつて人々がそうであった暮らしを思い出させてくれる、時代に取り残された郷愁を誘う場所なのか。答えはイエスでありノーでもある。むしろ異なった文化を持った人々が狭い場所で混じり合って暮らす、現代の都市の縮図のような場所なのか。答えはイエスでありノーでもある。冒頭でこの映画制作にあたっての取材に協力した人々はさまざまなことを言う。「ここには人間の生活にほんとうに必要なものがある」と誰かが言ったと思えば、誰かは「なんにもない。こんなところでいつまでも暮らしたくない!」。「昔はロマが多かった。私は彼らのことが好きだった」と妻が言えば、「おれは嫌いだ」と夫が言う。老人は、この土地は自分のすべてだと言い、こみ上げる嗚咽に喉を震わせながら続ける、「ここを悪く描くことは許さない」。
 聞いたところによればこの映画内では13ヶ国語が話されているそうだ。しかし映画を見る限り、ここが異なった人たちがなんの苦労もなく自分たちのあるがままに暮らせる理想郷のような場所だと言うのは、絶対に間違っている。見た限り各コミュニティはそれなりに分断されてもいるようだし、共同農地の使用法に文句がある人たちもいるようだし、またも建設される高速鉄道のせいでサッカー場は使えなくなるし、ムスリムの子供は学校でいじめにあってもいる。でも、弟のいじめについて話した少女たちが、お互いかけるべき言葉もないままに視線を交わす、数度繰り返される擬似的な切り返しのような編集ーーそれが同じ芝居を何度か繰り返して編集したようにどうも見えず、まるで複数のカメラが同時にとらえた映像をスイッチングしているように見えるのだがーーを見たときに、バルボナのような場所で暮らしたいと思うし、そんなこと願うまでもなくすでに私たちはバルボナのような場所に暮らしているのかもしれないとも思う。
 この映画を見ている間、長らく暮らした杉並区で先週あった区長選のことを考えたし、いま暮らしている、住人の大半が母国を離れて暮らす人々であるような団地がたくさんあり、インド料理という看板を掲げてるネパール料理屋があり、本気で日本語が通じない上海料理屋があり、昔懐かしいと感じながらもほんとはそんな味の料理なんて人生で食べたことはない町中華やもんじゃ屋や焼きとり屋がある地域のことを考えてもいた。バルボナは、私にとってそれらの地域と同様、「行ったことのない故郷」のようなどこか矛盾した場所だ。憧れや思い出の中にとどめておくことのできない、いま、これから、その場所とともにどう生きるかを考えなければならない場所。
 バッハ(ペツォールト)の「ト長調のメヌエット」がたどたどしく弾かれる中、窓に反射する風景と窓越しの住人の姿が重なり合う。ベランダで、階を隔ててまったく別の生活様式を営む人たちが隣り合う。親から相続したサトウキビが、ぜんぜん関係ない誰かの敷地に植え替えられる。人は死んで白いデイジーになる。少女は自分もそうなりたいと願う。
 映画が終わるとき、劇中で脈絡もなく何度も繰り返されてきた質問が、魔法の呪文のように脳内で響く。
 「あなたは植物に話しかける?」。


7/3ロードショー

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