『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』デスティン・ダニエル・クレットン
結城秀勇
[ cinema ]
とにかく前作の話を覚えていない。あんなに感動したのに。レッドブルみたいななんとかシャークとかいう栄養ドリンクを買うくだりでは、どういう展開を見せようとしてんだ?と混乱する。ああ、MJ(ゼンデイヤ)たちはピーター・パーカー(トム・ホランド)のことを忘れてたのね、そんな話もあったねとぼんやりと思い出すころには、別の疑問が首をもたげる。別の次元からスパイダーマンたちがやってきて、帳尻を合わせるために登場人物の記憶を消す、なんていう明らかに特別回の「これっきりのネタ」を、4年越しーー大学入学して卒業するまでの期間ーーひっぱるなんていったいどういうことなんだ?
だからサブタイトルとはうらはらに、ぜんぜんシリーズのリブートとという感じがしない。ジョン・ワッツが高々と「ブリッツクリーグ・バップ」を鳴らしたくらい適当に新シリーズを始めればいいのに、とか思ってしまう。でもたぶん、これこそが今作ーーそしておそらく今シリーズーーのテーマなのだ。過去の蓄積が終わらないし消えないこと。サム・ライミ、マーク・ウェブ、ジョン・ワッツ、とつないだタスキを、きっと生真面目にクレットンは受け取ろうとしている。これまでのシリーズの切り替え時には、新しいピーター・パーカーで同じスパイダーマンをやることに意味があった。しかし今回は、同じピーター・パーカー同じMJで、違うスパイダーマンを始めなければならない。
ムキムキになったトム・ホランドの体にまとわりつくスパイダースーツのシルエットはやたらとずんぐりむっくりで、表面の色合いもやけにレトロ(たぶん目の大きさも小さくなってる気がする)なので、まるで60年代のアニメのスパイダーマンみたいに見える。マスクを被っていたほうが表情豊かで、脱いだら憂鬱な無表情だったトビー・マグアイアのように、トム・ホランドはマスクの下では身体の変調に苦しんでいる。アンドリュー・ガーフィールドのように装置なしで蜘蛛の糸出せるようになっちゃったり、目玉が全部黒目になっちゃったり、変化はすべてスーツの下で起きている。そしてまたしても『スパイダーマン3』の悪夢が甦るほどに、みんながみんな自分自身と闘っている(ついでに「スパイダーバース」シリーズの『ビヨンド〜』も心配になってしまうのだが、前作といい今作といい、MCUとスパイダーバースは互いにプレッシャーをかけあっているのか?)。
たぶんそのすべての結節点にあるのが、ジーン・グレイ(セイディー・シンク)の能力なのだろう。X-menのジーン・グレイってもっと問答無用に最強のサイキックというイメージなのだが、まだ未熟(これからプロフェッサーXと会うのか?)だからなのか10m制限とかがあったりする。でもそこが、この映画に、身体を乗っとる、というよりも、身体を受け継ぐ、という印象を与える。この映画が受け継いでいるのは、スパイダーマンという肉体の上に覆い被さるイメージではなくて、トム・ホランドという肉体のほうなのだ。そしてそのことにクレットンはだいぶ意識的なのだと思う。
ジーン・グレイの能力は、10m以内にいる対象の意識を乗っとる。そして乗っとった先にある10m以内の人間の意識を次々と乗っとっていける。でもそこに感じるのは、他者をコントロールできる自在さよりも、いったいなにに自分を投影すればいいのかわからないという戸惑いのほうなのだ。ジーン・グレイはピーターの助けなしにその寄る辺なさに耐えることができないのだが、ピーターはいとも簡単に、その投影のマジックを実現してしまう。フランク=パニッシャー(ジョン・バーンサル)の発案による、スパイディファンをすり抜けて退院する方法だ。
明らかに『イントゥ・ザ・スパイダーバース』のピーター・パーカー追悼集会を下敷きにしたと思われる、病院の前でスパイダーマンを心配する人々の中を、フランクが演じるスパイダーマンの影を借りて、ピーターは悠々とすり抜けていく。そして父親に抱かれた幼児と目配せして、親指と人差し指と小指をピンと立てたウェブシュートポーズを密かに交換する瞬間ほど、クライマックスの戦闘中の、「スパイダーマンとピーター・パーカー、お前はどちらなんだ?」という問いに対する、「両方だ」という答えを体現する映像はないだろう。このとき、傷ついた顔でくしゃっと笑うトム・ホランドの顔が、ぜんぜん誰かは思い出せないけど、80年代とか90年代初頭にこういうアメリカ人の俳優いたよね?と思わせる表情で最高だ。
で、すべてがひと段落した後、夕暮れにたそがれるみんな、みたいな感じで、それぞれ別の場所にいる、トム・ホランド、ゼンデイヤ、セイディー・シンクの順につながれるあのモンタージュこそ、この映画のやりたかったことなのだろう思う。なにひとつ「特別」な能力なんてなくったって、私たちは、10m以上遠く離れた関係ない人々の精神に、なにかのつながりを見出すことができる。映画を見る意味なんてそれだけで充分だろう、と思う。
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