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February 8, 2019

『ミューズ』安川有果(『21世紀の女の子』より)
隈元博樹

[ cinema ]

 『きみの鳥はうたえる』を観て以来、石橋静河の二の腕がとても気になっている。僕(柄本佑)や静雄(染谷将太)の肩にだらりと着地する、あの緩やかな感じ。また、衣服の袖先から描かれる、しなやかな上腕のライン。しかし、その興味の矛先は、彼女本来が持つ肉質な部分から来るものではなく、透き通るような肌の色艶に裏打ちされたものでもない。最もこの身体の一部に惹かれてしまうのは、目に見える実態としての有り様よりも、彼女の二の腕の所作を受け止めた者たちは、自ずとエモーショナルな揺らぎを画面上に漲らせてしまうものなのだ、ということに尽きる。だからあんなふうに二の腕を肩にゆったりと乗せられてしまえば、間違いなく彼女のことを好きになってしまうし、目の前で踊り出そうものならば、彼女のリズムに合わせて無造作に踊り出したくもなるだろう。こうして他者を虜にする何かしらの強度が、彼女の二の腕には宿っているのではないだろうかと。
 しかし、この『ミューズ』における二の腕の行方を注視していると、『きみ鳥』の二の腕とは少し異なった印象を覚える。たとえば園子(石橋静河)と光子(中村ゆり)の逢瀬がきわめて断片的なシーンの連なりによって提示されるなか、あるときリビングにふたりで寝転がっていると、ふとした瞬間に光子は泪を流し、彼女は自ら園子に抱擁を求める。園子はそのまま光子の動きに反応し、自らの二の腕で優しく光子を包み込もうとするが、これまで自ら他者と触れ合うために伸びていった二の腕は、ここでは他者からの要求に素直な形で応じることに徹する。つまりは能動から受動へ。本編約8分のうちのほんの些細な瞬間ではあるが、ふたりの恋の様相を詳らかに説明するまでもなく、園子の二の腕は光子の身体を軽やかに受け入れることで、淡くも儚いひとときを醸成するかのように働きかけている。
 だから彼女たちの抱擁を見ていると、園子が海外での勉強を志望するカメラマンの卵であること、また小説家(村上淳)の妻である光子が彼の小説のモデルや週刊誌のネタとして扱われていることをすっかり忘れてしまう。彼らの背景に潜む物語の萌芽は、ふたりの抱擁によって瞬く間に削ぎ落とされ、画面に残るはふたつの身体のみ。そんな彼女たちがこの小さな映画のミューズだと言うならば、セクシャリティやジェンダー、はたまた女の子といった大枠のフレームとは、もはや窮屈な対象でしかないのではないだろうか。少なくともそのこととは無関係に、もっと長くふたりの時間を観ていたい。そして同時にそのことは、安川有果の映画をもっと長く見つめていたいと願うことでもある。

テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷にて全国順次ロードショー

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