« previous | メイン | next »

July 14, 2022

『レア・セドゥのいつわり』アルノー・デプレシャン
松田春樹

[ cinema ]

 テムズ川に架かる二つの橋を写した二枚の静止画がスクリーンを分割し左右に分かれていくと、暗闇に佇むひとりの女がいる。その女が愛人との馴れ初め話をカメラに向かって語り始める時、彼女の周囲には明かりのついた鏡があるだけで、その場所がロンドンのどこであるかは明示されない。鏡に取り付けられた幾つもの電球とデスク上に散らかったメイク道具だけが辛うじてその場所を楽屋なのではないかと思わせてくれる。しかし女の話を聞く限りにおいては、どうやら彼女自身が女優であるというわけでもない。女の話が終わるやいなや、彼女の前に初老の男(フィリップ)が現れ、突如周囲の暗闇は褐色の岩壁へと変化する。そこで二人は注意力テストという名の目隠しをしながら部屋の様子を描写するゲームを始めるのだが、女が窓の形状を語り始めると、今度は岩で囲われていたはずの部屋が鮮やかな光の差す書斎へと姿を変える。その後も彼女が次々と部屋の詳細を言葉で描写するとともに、カメラはその隅々をクロースアップで捉えていく。
 この一連のシークエンスにおける空間のトリックはこれまでのデプレシャン作品に共通する「世界は存在するのだろうか?」という懐疑主義に依拠したテーマから来るものだろう。冒頭で女がいる楽屋の暗闇や周囲の岩壁は世界の不十分さを示しており、女がカメラに向かって言葉を紡ぎ始めることで初めて世界が構築されていく。チェコの愛人が登場する場面も同様で、フィリップと女の背後にはまずスクリーンプロセスがあり、彼女の言葉に合わせてスクリーンの映像が変化していく。つまりカメラが捉えている世界は仮の姿であって、あくまで言葉に付随する二次的なものでしかないのである。
 フィリップは初老の作家であり、妻を持ちながらもこの書斎を通して複数の女性と関係を持っている。冒頭の名もなきイギリス女性は注意力テストでの回答ぶりやフィリップに宛てた手紙の文面から非凡な知性の持ち主であることが伺える。フィリップは女に惹かれる理由が家庭の不満ではないと述べ、彼自身が文化的に孤独であり、彼女がそれを補う存在なのだと告げる。しかしフィリップが次々と彼女へ質問を投げかけるのは、彼女の機知に富む答えがいずれ創作の役に立つということを知っているのだろうし、それこそ彼が複数の愛人と密会を続ける大きな理由でもある。彼が欲しているのは身体ではなく言葉であり、愛人たちとの対話が彼自身の経験された知覚、つまり悟性となって積み重なっていく。この映画の世界が言葉に付随する二次的なものでしかないのは、そうしたフィリップの作家としての悟性を表しているからだと言える。
 そもそも原作であるフィリップ・ロスの小説『いつわり』が全編台詞のみで書かれていることも上述した世界の在り方に大きく関わっている。人物の名前すら記されていないそのテキストは誰と誰が会話をしているのか、一体どこでどんな風に会話をしているのかはわからない。ただテキストを読み進めることによってこそ、人物の言葉を通して世界が明らかになっていく。デプレシャンがそうしたテキストに忠実になろうとした結果が冒頭のシークエンスであり、この映画全体のミザンセーヌとなったことは言うまでもない。ただここで問題にしなければならないのはテキストとデプレシャンの相性の良さに留まることなく、映画としての新たな側面があるかどうかである。仮に言葉から全てを始めるにしても、映画の場合、テキストの行間が文字通りの空白にはならず、それは暗闇や岩壁となって画面に映る。この映画の世界が仮にフィリップの悟性に過ぎないとしても、その暗闇や岩壁が我々の目にはたしかに映るように、その世界を映像として見届ける観客にとってはまた別のものとして知覚されるのではないか。
 たとえばフィリップは自身がフェティシズムと語るようにあくまで言葉に欲情する人物であった。しかし、四章の冬でフィリップと女が言葉なく接吻をするシーンの素晴らしさはどうだろう。発情したレア・セドゥの吐息だけが聞こえる中、夕日に照らされた彼女の肌にフィリップの手が重なり、その手を彼女が力強く握り締めるあの感触。その後のセックスは互いがどれだけ多くの言葉を積み重ねようとも到達し得ない快楽をその肌と吐息に備えている。雪が降りしきる真冬にも関わらず一糸纏わぬ姿の男女の交わりからはその肌の温もりすら感じることができる。明らかにこのおぼろげな世界で印象的に浮かびあがるのはレア・セドゥの身体であり、言葉そのものではない。「頭の形が好きだ」というフィリップの台詞が慎ましくも感動的なのはその言葉とともにその形を見ることが即座に許されているからである。ラストで女が告げる「優しかったから」という台詞が我々にとっても単なる「思い過ごし」でないとするならば、それは言葉だけがあったからではなくて、秋から冬にかけて通り抜けていった数多の現実を我々がたしかにこの目で見たから、というほかない。

8/5(金)21:15よりWOWOWオンライン、その他 Amazon Prime VideoU-NEXTにて配信中


【関連記事】
  • 『ルーベ、嘆きの光』アルノー・デプレシャン|池田百花
  • アルノー・デプレシャンによるジャン・ドゥーシェ追悼
  • 坂本安美の映画=日誌|カンヌ国際映画祭2019からパリへ(2) 『ルーベ、ひとすじの光』(英題:Oh mercy!)アルノー・デプレシャン
  • カンヌ国際映画祭2019からパリへ(1) シネマテーク・フランセーズにおけるアルノー・デプレシャン全作特集
  • 『イスマエルの亡霊たち』アルノー・デプレシャン|結城秀勇
  • 『僕の青春の三つの思い出(僕らのアルカディア) Trois souvenir de ma jeunesse - Nos arcadies』アルノー・デプレシャン|坂本安美
  • 『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』アルノー・デプレシャン|結城秀勇
  • アルノー・デプレシャン Skypeトークショー@アンスティチュ・フランセ『ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して』をめぐって
  • 東北の、仙台の友人たちへ アルノー・デプレシャン
  • アルノー・デプレシャンからのメッセージ
  • 『クリスマス・ストーリー』アルノー・デプレシャン|梅本洋一