『山田くんとLv999の恋をする』安川有果
隈元博樹
[ cinema ]
たくさんのハートと数字たちが、冒頭から画面上を覆い尽くしている。それらは本作の一翼を担うネットゲームの世界観もさることながら、様々な感情が何かしらの情報として可視化された状況であることに他ならない。またタイトルからも分かるとおり、この『山田くんとLv999の恋をする』は恋の物語である。だからLv999という状態がある種のハイステータスであると認識した上で、ここでは恋そのものが視覚化され、数値化されうる世界であることをひとまず理解することになるだろう。ゲームと現実、つまりはバーチャルとリアルの切り返しや往復によって展開されていく物語であること。そのことが目の前を飛び交うハートの群れ、あるいは登場人物たちのHPやレベルなどを示す数字を通じて浮き彫りとなっていくのである。
大学生の茜(山下美月)は、ネットゲーム「Forest Of Savior」(FOS)を通じて知り合った男性と付き合っていたが、一方的に別れを告げられてしまう。しかも彼の新たな恋人は、同じゲームを通じて知り合った相手だから尚更だ。傷心の茜はパソコンを立ち上げるや否や、自身のキャラクターのレベルを上げるためにオンライン上の「狩り」へと出かける。そこで「ギルド」と呼ばれる仲間であり、高校生プロゲーマーの山田(作間龍斗)と出会うのだが、ほどなくして開催されるゲームのリアルイベントで二人は出会い直し、ゲームのキャラクターとも似て非なる存在と世界を通じて徐々に惹かれ合っていくことになる。やがてギルドによるオフ会や山田の通う学園祭への参加などを通じて茜と山田との恋愛模様が中心に据えられ、二人の恋がゲームという非現実的な世界を入り口に、現実としての恋がいかに成就していくのかを私たちは見守っていくことになるのだ。
とはいえ、些末な疑問として私が感じたのは、茜は山田のことを「山田くん」と一言も言わないことである。もちろんタイトルには「山田くん」という敬称が付いている。だけど茜は彼よりも年上だからなのか、ややぶっきらぼうに彼のことを「山田」と呼び捨てにする。となると、山田とLv999の恋をするのは、もしや茜ではないのかも?......といった疑念が浮かぶわけである。ではLv999の恋をするのはいったい誰なのか。どうやらその謎を解明するためには、我々も彼らのように難攻不落の強敵である山田を対象に、RPGの世界へと身を投じなければならないようだ。
山田はとにかくモテる。最強だ。彼が通う高校ではもちろんのこと、茜の大学の友人である桃子(甲田まひる)、また同じギルドの瑠奈(月島琉衣)など、本作には冷ややかな態度ながらも親身な彼に好意を寄せる人物が登場する(にもかかわらず、恋愛に興味ゼロという山田が何とも憎らしい......)。なかでも「委員長」ことゆかり(茅島みずき)は、中学生の頃から山田のことを秘かに想い続けてきた人物である。しかし彼女は、自らの恋心を抱いたまま、彼にその気持ちを伝えたことは一度もない。山田に恋い焦がれてはいるけれど、彼に想いを伝えては玉砕していく周囲の光景を見るにつけ、自身の気持ちを伝えるための一歩をなかなか踏み出すことができない。山田くんを好きになればいつか傷付くだろう。そのことでゆかりは自身の気持ちを押し殺そうとするのである。だから本作では、茜と山田がともに向かい合うシーンは散見される一方、ゆかりはつねに山田と横並びになるか、彼の背後に立つことしかできない。
しかしそんななか、同級生である岡本(前田旺志郎)の言葉に背中を押され、ゆかりはついに山田の前に立つことになる。塾帰りの土砂降りの中で、彼女は彼に想いを告げるのだ。告白の翌日、ネットゲームの世界で相対する好敵手のように、ふたたび真っ直ぐに対面する。元々高身長であるせいか、二人はやや高い目線で見つめ合い、山田はゆかりの気持ちに答えられないことを伝える。ただし、そこにはどこか晴れ晴れとしたゆかりの姿があり、ある種何かの呪縛から解き放たれたような心地さえも覚えてしまう。そのような状況の中で迎えるゆかりと山田の姿を真横からほぼ左右対称に捉えたカメラは、どのような結末を迎えようが迎えまいが、本作において最も清々しい瞬間を捉えたショットであると言っても過言ではないだろう。
思えば安川有果のフィルムには、一度は何かしらの状況や境遇によって周囲に引き裂かれてしまうものの、やがて各々が辿り着いた大きな一歩によって自他ともに解放されていく女性たちの姿が描かれているように思う。例えば、『ミューズ』(2018、『21世紀の女の子』の一篇)における若き写真家の園子(石橋静河)は、単に彼女のモデルとなる光子(中村ゆり)に惹かれるだけでなく、夫の小説で描かれる「ミューズ」としての彼女を解放へと導く人物であった。また『よだかの片想い』(2021)では、頬にアザを持つアイコ(松井玲奈)と彼女を題材に映画を撮ろうとする飛坂(中島歩)との葛藤に揺れつつ、最終的には不慮の事故で同じく顔に火傷を負ったミュウ先輩(藤井美菜)とともに、あるがままとそうでない自分を受け入れていく女性の姿が描かれていた。そしておそらくそのことは、長編一作目の『Dressing Up』(2012)において亡き母親の真の姿に迫るべく、夢現の状況をもサバイブしていく少女(祷キララ)の姿にも重なることだろう。
このように『山田くんとLv999の恋をする』では、決して実ることのない恋愛であると分かっていながらも、包み隠すことなく好きな相手へと告白を果たすゆかりを通じて、何にも代えがたい解放という名の経験値が体現されている。だからこそLv999の山田と相対したのは、彼と結ばれることになった茜だけでない。破れた恋がもたらすもうひとつの経験値を手にしたゆかりも同じである。目に見えるハートや数字の大きさだけでは計り知れないLv999の恋を、彼女も遂げたのではないかとさえ想像するのだった。
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