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2006年06月30日

レット・イット・ビー

 この日誌を呼んでくださっている方々から、どのチームを応援しているのか、とか、優勝はどこ、などと尋ねられることが多くなった。クォーターファイナルまでW杯も差しかかった。でも、それらの問いに解答は見つからない。どのチームも応援していない、あるいはどのチームも応援しているが最初の問いの解答。2番目の問いの解答は、分からない、しか見つからない。たとえばアーセナルはファンなので応援しているが、アーセナルがイングランドだからと言って、イングランド代表にはアシュリー・コールとソル・キャンベルともうひとり(たぶん出場機会はない)しかいないし、スウェーデンのユングベリ、コートディヴォワールのエブエとコロ・トゥレは好きなタイプの選手だ。フランスにもアンリ、ブラジルにはジウベルト・シウバがいる。チャンピオンズリーグ時代のW杯とはそんなものだ。何度も書くけれども、チャンピオンズリーグが終わって3週間後にW杯が始まり、この決勝トーナメントまでにいかにチームを作り、コンディションを上げ、たとえばイングランド、たとえばポルトガルと仮の名前の付いたチームがどうやって成長するのか、だけを見ている。そしてどのチームもそれを目的に設定し、ある程度の成果を得ている。日本みたいに初戦が何よりも大事だとは思っていない。予選は突破するだけでいい。アミカル・マッチ3ゲーム。そこでチームの問題点をあぶり出したり、これからのチームの方向が思考される。
 死のグループに入っていないチームはその点で有効な実験が行えた。眼前のゲームに負けなければいいからだ。そして負けないゲームならできる。死のグループと言われたがそれほど死のグループではなかったアルゼンチン、そして点差としては楽ではなかったが、まあまあ楽だったイングランドなどはある程度の実験をやってきた。アルゼンチンは、前半は普通にやり、後半は2人のスピードスターを入れて勝負を賭けるというやり方を試し、イングランドはもっとも先進的なスタイルをこの伝統的なチームが消化することができるのか──できていないようだが──を試してきた。
 ドイツはホームなので、実験もへったくれもない。おぼろげに見えていた自分たちをテリーヌ型に力ずくで肉を押し込んだ。本当は死のグループだったイタリアは、いろいろやってみたが、怪我人も出て、結局、体に染みついた伝統に回帰した。ポルトガルは決勝トーナメントの一回戦で相当に傷ついたから、ルイス=フィリッペはもうスクランブルをかけなくては打つ手がなくなっている。ウクライナは、シェフチェンコに一発かけるだけ。実年集団フランスは昨日キングに練習を休ませ、疲労をとることに徹したようだ。
 いちばんイージーなのはブラジルだ。ガーナ戦を見るとスカウティングをしているようだが、相手に合わせてラインの高さを決めるだけで、フォーメーションをいじる必要はハナからない。マジック・カルテットに移動はないから、エメルソンの体調を見てジウベルト・シウバに最初から準備を命じ、カフー、ロベカルの控えに早めにアップさせるだけだ。それでも、フランスのキングが、スペイン戦のようなパフォーマンスを見せれば、カカとロナウジーニョに守備力がないから、負けるかも知れない。しかし、キングは前半しか持たないのではないか。キングが後半に爆発したフランスW杯はもう8年も前で、キングは当時 26歳だった。
 だから、初戦のドイツ対アルゼンチンにしても、アルゼンチンがポゼッションできたらアルゼンチンに勝機があるが、長いクロスをドイツが放り込んできたら、アルゼンチンのセンターバックは少し背が低いし、エインセはチョンボが多い。リケルメにはバラックが当たるだろうが、ドイツにはリケルメほどのテクニックを持った選手はいないからリケルメがバラックを簡単に交わせたら、ポゼッションはアルゼンチン等々、展開は幾通りも考えられる。でも実際にゲームに入れば、そんな展開予想も裏切られるものだ。そして裏切られなければ眠い目を擦ってゲームを見ていても面白くない。だから今までの予選リーグや決勝トーナメント回戦の記憶から、ぼくも両チームのコーチになったつもりで、徹底的にスカウティングしてから見るけれども……。

 だからどこが勝つか分からない。だから見ている。それだけ。昨日はビートルズが羽田に降り立って40年だそうだ。50歳を越えているぼくはその日のことを覚えている。ぼくのクラスからもふたり武道館に行った。40周年でラジオからはビートルズ・ナンバーが何曲も聞こえてくる。どれも一緒に歌える。彼らが出ている映画もクラスメイトと一緒に見に行って、一日中映画館にいて何度も見たことを思い出す。日本代表が国立競技場で杉山の2ゴールで3-3で韓国と引き分け(もう1点を決めたのは釜本だったっけ?)、メキシコ・オリンピックのアジア予選を勝ち抜いたのはその翌年だった。ぼくは武道館には行けなかったけれど、国立競技場にはいた。

投稿者 nobodymag : 09:59

2006年06月28日

オール・ザ・キングズメン

 ブラジルの選手たちはスカウティングしているのだろうか?
 対ガーナに対して真っ向勝負では体力的に持たない、だからラインを引き気味にしてボールを取れるところで取り、一気にカウンター。このゲームはこうやって戦おうという意思統一がごく自然にできている。ポゼッションで下回っても、ここは勝ち上がればいい。それにエシアンがいない中盤で俺たちを追いかけてくる奴はいないだろう。パレイラがそんなことを話したのだろうか? おそらく何も言われなくても、その程度の戦術は選手たちに徹底されていて、何気なくそんなことが可能になってしまう。このチームのポテンシャルは本当に底知れない。ロナウドもアドリアーノも好調になった。

 そしてこの日の注目のゲーム。スペイン対フランス。どちらも予選リーグで「実験」を終え、本気。負けたらおしまいのノックアウト・システムは緊張する。
 ジズーも復帰。キングは退場せよ、もうデモクラシーの時代だ、ぼくはそう書いた。向こう見ずな若者よ、ひとり芝居をせずに、もっと皆と一緒に戦え、とも書いた。でも、他の選手たちは、キングが好きで、キングに敬意を持って接し、若者には試練を与えた上で、自然に学べばよいと考えたようだ。

 序盤はスペイン優位で進む。シャビ、シャビ=アロンソ、セスクの中盤がいい。そしてサイドアタック、次にヴァイタルエリア。だがスペインのアタックがことごとくそこで停止してしまう。右サイドのサニョルがアタックを控え、センターの強靱なふたりがスペインの新星にゲームの厳しさを教える。強靱なふたりのうちのひとりにとって、このゲームを落とすときこそ、この王国との別れの時である。最初の数分間、キングにはまったくボールが渡らない。左サイドに住処を与えられた独りよがりの若者は、いつもように強引な突破を試みるが、今日は抜ける。背後に、右に左にキングの足音を聞いたスペインの将校たちが、少しばかり若者に道を譲ってくれるからだ。そして若者が危険なエリアに押し入ろうとする頃、キングにボールが渡り始める。

 今日のキングは、専制を振るおうとしない。長年このキングと共に戦場にあった強靱なディフェンダー、そしてこのキングに影のようにつきまとい、窮地にあるキングに常に救いの手をさしのべてきた忍耐力にあふれる小兵と一緒に、まるでこの瞬間を共有することこそ、自らの喜びであったことを再発見するように、キングは、「共にあること」の最後の時間を謳歌する。
 強靱なディフェンダーの一歩がスペイン勢の足を踏みつけた失敗を若者は脅威の運動量で償おうとする。今までならば途中で止められていた突破が、前半の終了近くに成功し、若者の放った銃弾がスペインのゴールに突き刺さる。王国はまだ立派な呼吸を続けている。専制君主を王として祭り上げているフェオダルな政治制度でなく、王もまた自らの国を構成する欠かすことのできない部分であるかのように、キングは静かに自らの存在感を示し始める。

 スペイン勢のもっとも優秀な部分に疲労が見え始める。スペインを率いる百戦錬磨の老将軍は、自軍の中央にいるそれまで何度も自軍を救った人物と今回の戦いで功労のあった新たな人物を下げ、影のように敵軍の背後にせまる刺客と右サイドを切り裂く名人を送り込む。だが、中央に位置するスペイン軍のもっとも優秀な部分に次第に疲労の色が濃くなってくる。
 その最終の防御を司る誠意のディフェンダーが王国の速度あふれる先兵を体で止めてしまうとき、その場にキングはゆっくりと歩を進める。キングの僚友たちはもとより、キングと共に時間を過ごすことで少しずつキングの偉大さを理解し始めた諸侯たちもキングの力を信じて、相手陣の適切な位置でキングのボールを待ちかまえる。
 ゴールをかすめるように左に弧を描いたキングの放ったボールは、イングランドからイタリアへと領地を変え、かの地で攻撃を会得した長身の重臣の頭を捉え、スペイン防御兵の足に当たってスペインの堅陣へと吸い込まれていく。

 王国の復活を告げる鬨の声が聞こえてくる。キングは健在だ。老いたとはいえ、キングはわれわれのキングにふさわしい活躍を、この戦場に成し遂げている。やはりキングはキングだ。その退位の時刻は今ではない。キングの退位の祝祭を10 日ほど後で過ごしたい。スペイン勢が最後の力を振り絞ってフランス人への攻撃を続ける背後をキングは冷静に狙い、とどめの一撃をスペイン勢に与える。Vive le roi! デモクラシーを信じ続けるぼくらも思わず声を合わせて叫んでしまう。王政復古。だが、キングの健在ぶりが知られた今、諸侯たちはキング退位の花道をどのように飾り付けるかを考えればいいのだ。

投稿者 nobodymag : 10:26

2006年06月27日

カテナッチオ・ドッピオ

 ロスタイムのトッティのPK。自分でも絶対はいると思ったと話しているが、キックの体勢に入る前の表情がとても良かった。高度のプレッシャーに晒されている場面だろうが、2002年から、この「ローマのプリンチペ」も精神的に成長した。

 先発はトッティではなく、デルピエーロ。この選択に意義を唱える者は少ないだろう。ガンガン攻めてくることが予想されるヒディンク=オージーに対抗するには、アタックのみのトッティよりはアレックスのまじめさを取るリッピの選択は正しいと感じられるからだ。それにジラルディーノ、トニの左下にアレックスを置く変則的なスリートップがどのように機能するのか見たい気持ちもあった。前半は、一応フィフティフィフティの展開だが、ジラルディーノもトニもシュートを外しまくる。

 そして後半、問題のシーン。怪我のネスタの代わりにセンターバックに入ったマテラッティが1発レッド。必ずしもレッドに値しないような感じだったが、今大会のジャッジは厳しい。
 そこからがリッピ=イタリアの腕の見せ所だった。 後半はスタートからジラルディーノに代えてイヤキンタを入れていた。そしてマテラッティがレッドで退場すると、トニに代えてディフェンスのパンツァッリ。ディフェンスの人数は4人。そして中盤にペロッタ、ガットゥーゾ、ピルロ、そしてアレックスとイヤキンタ。これでオーストラリアのアタックを守りきってしまう。確かにポゼッションはみるみるうちに落ちていったが、落ちたのではなく、落としたのであって、オージーはボールを回すものの、決定的なチャンスを作ることはできない。城の周囲をぐるぐる回るだけの軍隊。あるいは、騎兵隊の周囲をぐるぐる回るインディアンのような状態。中に少しでも攻め入ると、痛い目に遭う。そんな感じ。もちろんカンナヴァッロの頑張りは本当にすごい。ヴィドゥーカを完封。まったく仕事をさせなかった。格の違いってやつだね。普通だったら焦って、ボールを前に運んでしまうところだが、ガットゥーゾをはじめ中盤の砦でいる者たちも砦から外に出てこない。ピルロも気が利いたパスを控えてクリア。

 きっと延長だろうな、と誰でもが思った停滞状態の75分。アレックスに代えてトッティ。マルチェロ・リッピは役者だね。皆が、そろそろあいつを出せよと思い始めた頃合いにそいつを出してくる。つまり「俺は勝つつもりだ」という強烈なサインを送っている。我慢が快感に変わり始める。カテナッチオとはマゾヒズムの極致だね。ロスタイム。まだヒディンクは動かない。やっぱり延長か。そんなとき左サイドバックの長身ディフェンダーのグロッソが満を持して左サイドを突破。そしてPK。イル・プリンチペのキックがオージーのゴールネットの天井をぶち抜いた。

 イタリアはカテナッチオを棄てて4-3-3できている。ディフェンスの時代ではなくアタッキング。フットボールだ。けれども昔覚えた必殺のディフェンス方法は誰も忘れていない。体が自然に目前の敵を封じ込め、ゴールマウスを封印してしまう。スカパー!に出ていた自由が丘のピザ屋のアンジェロさんは、「これがカテナッチオ、しかもドッピオね!」と叫んでいた。

投稿者 nobodymag : 23:04

2006年06月26日

レフリングについて

 イングランド対エクアドルは、本当に退屈なゲーム。こんなゲームを深夜の12時から中継されてはたまらない。眠いよ。それにイングランドの4-1-4-1はまったく機能しなかった。もちろんゲーム全体を包み込む蒸し暑さもあったろうが、それ以上に、エリクソンは人の配置を間違っている。ルーニーのワントップは、4-1-4-1には無理だ。チェコだって、コレールが怪我をしたら、このシステムは機能しない。バロシュではだめだった。つまりクラウチということだ。そしてもう一カ所の{1}はキャリックを虫干ししたが、おたおたしているばかりで自分の役割が分かっていない。ハーグリーヴズ──彼の右サイドバックもダメ──でいい。もし、エリクソンが、キャリックを「1」でルーニーを「1」でもエクアドルには勝てるだろうと踏み、ルーニーのゲーム勘を取り戻し、まだ出場機会のなかったキャリックをトライアルすることに、このゲームの目的を決めていたら、大したものだ。幸いベッカムの1発で勝ったのだから。

 そしてポルトガル対オランダ。好ゲームを期待するのは自然だ。だが、両チームとも入れ込みすぎ。ロナウドの怪我から始まり、コスティーニャのレッド等々、大荒れのゲーム。絶好調のマニッシュのシュートでポルトガルが逃げ切ったが、クォーターファイナルではデコを欠いてしまう。後半20分からはファール=イエローというぐあいでゲームになっていない。

 20枚のイエローが提示され、2枚目をもらった選手が4人。これはゲームではない。イヴァノフ主審には批判が集まっているが、ぼくも同感だ。これではどちらがベスト8に残っても最高のメンバーを見られない。審判とはゲームをコントロールする人のことで、悪人を裁く人ではない。カードを出すという特権を握っていることで、ゲームをコントロールするべきだ。カードというのは「核兵器」みたいなもので、出すぞ出すぞと脅しをかけながら、出さないのがいい。(もちろん、国際政治の舞台でそんな軍備の平衡で平和を保つ方法など終わったしまったことはぼくにも分かっているし、そんな方法を今も信じているのは、キム・ジョンイルとジョージ・ブッシュだけだ。)終始笑みを絶やさず、興奮するなよ、冷静さを失った方が負けだぜ、と諭しながら、選手から信頼を勝ち得つつ、この人の言うことに従おうという気にさせるのは良い審判だ。くれぐれも選手を見下し、俺の言うことを聞け、という態度を見せてはいけない(もちろん時には毅然とした態度も必要で、「核兵器」を発射しなければならないこともあるが、それは本当に最後の最後の手段だ)。世界中の人々が、ぼくも含めて良いゲームを期待して、こんな朝早くから起きて見ている。ゲームをぶちこわさないで欲しい。

 もうひとつ残念なこと。それはファン・バステンの選手起用だ。対アルゼンチン戦でカイトを見た人は、まだ一流には物足りない。やはりロッベン、ファン・ニステルローイ、ファン・ペルシだろうと思ったろう。何かの事情でファン・ニステルローイが先発ではないにせよ、後半押し詰まった時間帯、どうしても1点欲しいときにも、ファン・バステンは断固としてファン・ニステルローイを出さなかった。この選手にはいろいろと問題があることぐらいマンチェスター・ユナイティドを見れば分かる。でも彼は、どう考えてもオランダではナンバーワンのストライカーだ。ジーコの柳沢とアレックス偏愛には罰が下った。ファン・バステンがもしこれからも指導者を続けたいなら、私情を棄ててファン・ニステルローイを起用すべきだった。ポルトガルのルイス・フィリッペが老獪だとは言え、ファン・バステンの幼さには目を覆った。

投稿者 nobodymag : 21:56

2006年06月25日

メキシコはよかった

 延長前半マキシ・ロドリゲスのヴォレーがメキシコ・ゴールに突き刺さり、死力を尽くした戦いは幕を下ろした。面白いゲームだった。ショートパスを多用し、走り続けるメキシコの勇姿は昨年のコンフェデレーション・カップそのもので、心地よいものだった。昨年は日程の関係で不調だったマルケスが、今年はしっかりと準備をし、さらにチャンピオンズリーグ優勝で自信をつけ、メキシコのアタックとディフェンスにアクセントをつけていた。彼のゴールは見事だった。

 そのメキシコの頑張りにホセ・ペケルマンは、おたおたせず、常にアタックのサインを送り続ける。テベス、メッシの投入は分かるが、その上、アイマールまで投入。リケルメと心中のはずの自らの意志を曲げ、両雄を並び立たせなければ勝利をたぐり寄せられないと考えたのだろう。リスクを冒す。そしてリスクを冒しているのだというサインは、ピッチに立つ皆に伝わる。対するメキシコ。もちろん最後までファイティングポーズをとり、一度もノックアウト・パンチを受けることはなかった。マルケスとボルヘッティ以外ビッグネイムのいないこのチームのやり方は素晴らしい。全員が意思統一され、与えられた任務をこなし、リケルメはほぼ姿を消していた。バックラインも下がりすぎることなく、マルケスを中心に常に勇気を持って、アルゼンチンに対応した。だが、勝負をつけたのは、アルゼンチンの選手層だ。テベス、メッシがいて、そしてアイマール。彼らが70分過ぎから続々と投入されるのだから、このチームは本当にすごい。水入りの大勝負が最後の最後で寄り切りで決着という感じ。

 このゲームに限らないが、解説は人の良い井原や眠くなる木村和史ではなく、反町がいい。フットボールおたくとして何でも知っているし、その場その場でとても冷静な分析が気に入っている。「サッカー批評」誌が反町を大特集した理由も理解できる。もっともW杯前に発売されたその号で、反町が優勝候補にしたのはチェコだし、韓国も決勝トーナメント進出を予想し、アルゼンチン対オランダの予選リーグはそのゲームで決勝トーナメント入りが決まるといった彼の予想はすべて外れたが、チェコの戦術を好む彼の嗜好は共有するし、C組のコートディヴォワールは敗れたけれども、まだまだ潜在能力があることは誰の目に明らかだろう。三浦俊也と並んで、この人は、フットボールを思考している。アルビレックス監督時代の彼も評価するけれども、それ以上に、これからユース代表監督としての彼に期待したい。それに「サッカー批評」を読む限り、彼とオシムはダチらしい。もう決まったのだから、オシムにブルックネルになってもらおう。予選敗退でもブルックネルはチェコの監督続行を決断したという。2010年は南アフリカで老人監督対決を見たいものだ。老人と言えばアラゴネスのスペインは欧州予選では冴えなかったが、本戦に来ると、采配の老獪ぶりが気に入った。CXの解説をしていたヴェンゲルはトーレスこそ得点王候補だと言っていたが、アラゴネスによって、トーレスは完全にスペイン・ドメスティックのストライカーではなくなり、ラウルを完全に押しのけたような感じがする。
 スペイン対フランス。すごいね。

 いや、これからイングランド対エクアドル、それに、オランダ対ポルトガル! 日本や韓国の将来を考えている暇はない。

投稿者 nobodymag : 22:58

2006年06月24日

さあ決勝トーナメントだ

 決勝トーナメントの最後の枠にフランスとスイスが飛び込んで、いよいよ決勝トーナメント。これからが本番だね。

 韓国がスイスに敗れて結局アジアからは決勝トーナメントにどのチームも進出できなかった。予選の2ゲームを消化した段階で、韓国はスイスに勝つだろうと思ったが、ちょっとセンターバックが強いチームにかかると点が取れない。これじゃアジア4,5枠の確保は難しいだろうね。
 
 そしてフランスはジダンの欠場によって、相手がトーゴだとはいえ、非常に良いゲームとしたと思う。安定した4バックとヴィーラ、マケレレの中盤、アンリ、トレゼゲの2トップも思ったよりも機能していた。ここでもなぜ使われるか分からないのがリベリ。持ちすぎ、ふかしすぎ、パス弱すぎ。自分でチャンスを作って自分でチャンスを消している。フランスはフラットな中盤がもっともスムーズだ。ジダンをボールが経由しないと、全員が簡単なプレーを心がけている。これはいい。

 さて日本代表の次期監督にオシムが決まりそうだと報道されている。ユーゴ時代から申し分のない経歴、そしてジェフ千葉でのチームの底上げ、さらにベストセラー本……。昨日の日刊スポーツでは、ディディエ・デシャンの名も挙がっていたが、やはり彼はユヴェントスを選んだのだろうか。

 今朝からはジーコ・ジャパンの検証記事が多く執筆されている。多くの記事の共通点は、このW杯で今まで見えなかったこのチームのネガティヴな面が一気に可視化したというもの。スカパー!の解説陣のひとりは、ブラジルと同じやり方をしていては、差は永遠につまらないと発言していた。組織か自由かという二律背反で物事が語られてきたが、もうそうした議論は不毛だ。個人の力も大幅に上げなければ、コンスタントに決勝トーナメントに残れるチームはできないだろうし、個人の力は一挙に上がるものではないから、個人の力のなさを覆い隠すような戦術が求められていることは言うまでもない。

 思えば98年のチームで日本以外のチームに所属していた選手はいなかった。02年のチームにはヒデだけ。そして06年のチームにはヒデ、稲本、俊輔、高原の4人。それと伸二、柳沢の「出戻り」組。これからは国内組対海外組などといった馬鹿げた議論はもうよそう。同じパスポートを持ったもっとも優れた選手たちのチームを代表チームと呼び、彼らができる最大値を引き出す戦術を立てよう。韓国のパク・チソンを見ていると、ビッグクラブでレギュラーを張る選手はやはりすごい。ヒデにせよ、稲本にせよ常にゲームに出ることをまず目指すべきだ。その意味で、今回のチームに松井大輔の姿がないのは寂しい。彼はルマンの立派なレギュラーだ。

 前回のW杯日記には「今度はジーコだ」を書いてたくさん反響をもらった。今日辺りつぎは○○だと書いてまた反響をもらおうと思ったが、もうオシムに決まったらしいから何も書かない。でも日刊スポーツの記事がちょっと見えたときは、少し嬉しかったと小声で告白しておきたい。ぼくは、かなり長い間、ディディエ・デシャンのファンだったし、モウリーニョに真っ向勝負を挑んだデシャンは格好良かった。

 

投稿者 nobodymag : 22:59

2006年06月23日

ぞくぞくと決勝トーナメントの顔ぶれが決まってくる

 イングランドのエリクソンの実験とは異なり、オランダとアルゼンチンは「虫干し」だった。カイトがどのくらいやれるのか、メッシとテベスの2トップはどうかという試運転だったね。結果を見ると、カイトはちょっとね……。メッシとテベスはある程度、でもファンタスティックというほどじゃない。評価するにはちょうどいい相手だということ。ゲームとしての見所はなかった。0-0のドロー。

 予選リーグ屈指の顔合わせが、共に2連勝で決勝トーナメント出場を決めている、アルゼンチン対オランダのような消化ゲームではなく、真剣勝負で行われるのは嬉しい。イタリア対チェコだ。対アメリカ戦で素晴らしいフットボールをしたチェコがガーナに敗れたことが原因。チェコは、イタリアに勝たねばならない。チェコはコレルが怪我で──などと言い訳をしている暇がなくなっている。どうやってイタリアに勝とうとするのか? ブルクネルの解答はいつも通りで勝てるというもの。コレルの代わりにバロシュ。

 でもいつも通りで勝てる──それはブルクネルの慢心だったようだ。ネドヴェドが獅子奮迅の活躍。キレキレ。でもロシツキが消えている。素晴らしいパスとドゥリブルを持っているのに、まるで相手チームのピルロのように中盤下がり目でバランサーをやっている。負けないためなら、これでもいいかもしれないが、勝つためにはネドヴェドひとりじゃしょうがない。ネドヴェドのこぼれを拾える位置にロシツキがいなければ……。でもいない。いつもいない。
 中盤のつぶし合いからチェコにレッドが出ると、ブルクネルは1点ビハインドの後半から4-4-1にした。これでスペースのできた中盤をイタリアに完全に制圧されてしまう。打つ手なし。あるいは面子がいないのか。したたかなリッピは、インザーギを投入してまんまと追加点を奪う。万事休す。選手層が薄いのはつらい。

 そして2時間ほど仮眠して日本対ブラジル。結果は周知のとおり惨敗(1−4)。このチームの弱点がすべて露呈したゲーム。
 前半の20分ぐらいまでは、川口のスーパーセイヴの連続でなんとか傷口が広がるのを防いでいた。でも展開はべた押され。玉田の先取点でブラジルのアタックに火が点き同点にされると、後半一気に崩れた。火だるま状態。
 ちょっと詳しくこのチームの弱点を見ていく。

1. フォーメーションの問題
ブラジル相手にポゼッションできないことは子どもでも分かる。ならば、4-4-2のガチンコ勝負を挑めばこうした結果は見えていた。こういうゲームこそ、落ち着いて3バック。そしてワントップ。オーストラリアを怖がって3バックにし、ブラジルに真っ向勝負するのは暴挙。ぼくだったら3-6-1。スペースを埋め、ブラジルに自由にさせない。(「ブラジルにスペースを与えたらやられてしまう」ジーコの前日記者会見の談話。)それじゃ2点差で勝てないだろうと言われれば、その通り。でも絶対に2点差で勝てない──プレスにはそう言わなくても、そんなことは誰でも知っている。もし1点とれば、ブラジルは顔色変えて攻めてくる。負けるわけにはいかない。だから、このゲームはこのチームの有終の美でいい。引き分けを狙い、チャンスがあったら1点差で勝つ。それも後半が押し詰まってから1点とる。それがゲームプランであるべき。オーストラリアに負けて、クロアチアに引き分けて、3戦目がブラジルで、それに勝って、しかも決勝トーナメントに行くと考えるのは、1+1=100だと言うのと同じ。これがラストゲームだから、ブラジルに一泡吹かせ、選手に自信をつける。これが正解。

2. 個々の選手の問題
何度も書いているとおり、このチームは戦術で勝つことを最初から選択していない。選手個人個人の能力で相手を上回ることが勝ちに繋がるというのが国是。事実、選手の力は伸びた。アジアカップを思い出すといい。もっと早く勝負をつけられたのに、戦術的な手段をこうじないから、延長やPK戦という個人の力しか発揮できない時間に勝敗が遅延され、そして、アジア・レヴェルでは個人の力で勝った。W杯アジア予選でも同じ。ジーコは選手が判断に困ったときも助けない。W杯予選の対イラン戦で1点リードした後、俊輔がジーコに攻めるのか守るかを尋ね、満足な答をもらえなかったという逸話が「ピッチに立っているのはおまえ等だからおまえらで考えろ」というジーコの主張の証明(本当はジーコも迷っているかどうかは知らない)。
 確かにオフト時代に比べれば選手の技術レヴェルは向上している。だが、判断のスピードがとても遅い。何よりも、かなり長い時間同じ面子でやっているのに、メンバーが「同じ絵」を描けないのは大きな問題。ヒデと俊輔の描く絵とアレックスと加地の描く絵が異なる。これではチームが有機体にならない。ちなみに生まれたときから同じフォーメーションでやっている(4-2-2-2)でやっているブラジルの選手は、同じ絵を描くオトマティスムを持っている。フラットな4-4-2のイングランドでもそれは同じだろう。アヤックスの育成で育ったオランダも同じ。

3.スカウティングの問題
 1-1にされた後半、ペナルティエリア左側からブラジルがFK。この面子ではリヨンのジュニーニョがキッカー。日本チームは壁にふたりしか入らない。信じられない。リヨンのゲームを1ゲームでも見ていれば、ジュニーニョがゴール前で合わせるボールを蹴ることはあり得ない、絶対に直接狙うことが分かるはず。壁を4枚にしてもジュニーニョのFKは8割の確率で決まる。年間1000 試合見ていると豪語するジーコだが、チャンピオンズリーグには興味がないのか。ジュニーニョのFKが綺麗にゴールマウスに吸い込まれ、1-2になると日本選手は完全にファイティングポーズを失っていった。つまり、このFKはこのゲームの分水嶺だ。それに注意を喚起しないのはスカウティングが十分ではない証拠。

ではそうすればいいのか?
98年のW杯後は、経験不足が一番大きな問題とされた。ヒデがペルージャに行き、経験の端緒を示した。そして02年は自国開催だから予選リーグを勝ち抜けることが必須とされ、トゥルシエが招かれた。多くの軋轢をもたらしたが、当時でもちゅっと古くなったフラット3をスローガンにヒデ中心のチームを作り上げた。当時に伸二を始めとする黄金の世代が伸びてきた。ワールドユースの準優勝によって、伸二が高原が「海外」で経験を積むにようになる。
 そしてジーコ。トゥルシエの拘束と束縛と罵倒から解放された選手たちがジーコの「自由」を謳歌するのは当然だ。こうやれ、ああやれと何かとうるさい鬼のようなフランス人から、日本人のこともよく理解し、名前を看板にできる男の下で楽しい練習ができたからだ(ただしウザイシュート練習だけはいやだったが)。
 「海外」で経験を積む選手が増えたが、レギュラーを張れる人材はまだいない。ビッグクラブへの羨望もいいが、ヒデが成功したのが唯一ペルージャだったように、セリエA流に言えばまずプロヴィンチアでレギュラーを取り、実績を作ることからはじめる。時間がかかるが、それしか道はない。川口、大久保、伸二、稲本の失敗──おそらくヒデも失敗だろう──に学ぶこと。
 そして、もっと時間がかかるだろうが、経験と言えば、指導者側も「海外」のチームで指導経験を積むことだ。チャンピオンズリーグに出場するヨーロッパのチームのコーチに複数の日本人がいる時代が来なければ、代表チームも強くならない。

投稿者 nobodymag : 08:24

2006年06月21日

イングランドの実験

 2連勝して予選リーグ突破を決めているチームは、モティヴェーションを保つことに難しいが、一方で、3ゲーム目は決勝トーナメントを控えての実験の場ともなりうる。

 ドイツは、ホームのため、3ゲーム目も勝利を義務づけられていた。ベストメンバーでエクアドルを攻め、3-0の快勝。開始直後はドイツの堅さが目立ったが、1点先行すると一気にアタック。これまた予選リーグ突破を決定しているエクアドルはファイティング・ポーズをとるのをやめた。

 38年間無勝利というレッテルで開始されたイングランド対スウェーデン。エリクソンは、そんなレッテルに拘らず多様な実験を試みた。もっとも最初の実験であるルーニー、オーウェンの2トップ、イエローを一枚貰っているジェラードをベンチに置き、ハーグリーヴズの起用は、開始4分のオーウェンの怪我で変更を余儀なくされ、すぐにクラウチを起用。点は取れなかったもののルーニーも徐々にその動きにキレが戻っているようだ。

 次の実験は、ルーニーとジェラードの交代。この交代にはジョー・コールの調子の良さが伏線になっている。アシュリーの無駄走り──このゲームでもジョーからアシュリーに有効なパスは出ていない──がジョーのスペースを作ることになり、そこでジョーの長所が全面的に開花する。つまりアシュリーのオーヴァーラップによって、相手のディフェンス・ラインとジョーの間に生まれたスペースを利用してジョーは得意のドゥリブルで仕掛けていく。そしてジョーの見事なシュートでイングランドに先取点が生まれた。

 おそらくエリクソンの頭にはなかったろうが、絶好調のジョーを見て、アシュリーは後半に別の実験を試みる。ルーニー・アウト、ジェラード・イン。トップにクラウチを残し、4-1-4-1。チェコみたい! クラウチの下には、左にジョー、右にベッカム、中央にジェラードとランパード、彼らの背後にハーグリーヴズ。この布陣は魅力的だ。右からは正確なクロス、左からは必殺のドゥリブル。中央からはミドル。クラウチの頭から落ちたボールを拾いまくる。

 事実、同点にされた後半、イングランドの2点目は、右に流れたジョーのクロスがクラウチの頭を越え、その向こう側にポジショニングしたジェラードの頭にピンポイント。クラウチ、ルーニーでは限られていたオータニティヴが、4-1-4-1にしたとたん数倍にふくれあがった。ジョーとベッカムは自在にポジション・チェンジする。ヴァイタルエリアで実にクリエイティヴなアタックが展開された。

 結局、終了間際にラーションの執念によって2-2のドローに終わったが、勝敗が大きな重要性を占めないこのゲームでのエリクソンの実験は多彩で興味深いものだった。イングランドも卓越したアタッカーを持たないが、もっとも誇れる中盤での選択肢が確実に増えていった。

 これから開始されるオランダ対アルゼンチンではどんな実験が待っているのだろう。1位抜けでも2位抜けでもよいのなら、このゲームでも思いつかない実験が行われることを期待している。

投稿者 nobodymag : 22:23

2006年06月20日

フランス、勝てないわけ

 朝日の夕刊が「フランスの落日」を伝えている。98年の優勝、02年の予選リーグ敗退、そしてジダンらの復帰と06年の予選──もっと詳細に見ると、ジーコの後任に取りざたされているエメ・ジャケがカントナを代表から外し、96年のユーロでのジダン、ジョルカエフの並置を試み、結局ジダンを選択し、98年のジダン中心のチームで頂点を経験し、ジャケの後継者である現チュニジア監督のロジェ・ルメールの下で、そのチームが最高のパフォーマンスを見せたのは00年のユーロ以後、このチームは常に若返りに失敗し続けている。
 02年のW杯の惨敗でルメールが辞任し、その後任にはジャック・サンティエが就任したが、04年のユーロで失敗してサンティエも辞任、その後任にはローラン・ブランやディディエ・デシャンが取りざたされたが、エメ・ジャケの鶴の一声でレーモン・ドメネクがレブルーの監督になった。ユース監督出身の彼は、チームの大幅な若返りを試みるがW杯欧州予選で苦しみ、例の「神のお告げ」でジズーが復帰、彼を追ってマケレレ、テュラムが復帰。現在の姿がある。

 人事の問題と共に語られるのがシステムの問題。98年の4-5-1(トップにはギバルシュが置かれたが覚えている人は少ないだろう)以後、アンリ、トレゼゲが成長し、そのふたりをどうやって並び立たせるかが話題になり、02年の予選敗退の原因をジズーの怪我に帰すことで一時期、システムが議論されることはなかったが、04年のユーロでのまったくクリエイティヴィティのないフットボールで再び議論が沸騰したが、それも次期監督人事にかき消されてしまう。98年と00年の成功でジャケの後継者は皆、ジズー中心のチームを理想とし、そのシステムの検証をしないまま、選手を入れ替えるだけで、システムを温存してきた。ジズーが復帰し、最後のW杯だと公言する今大会、ドメネクがやるのは過去の栄光をもう一度なぞることだけだ。

 ボールは必ずジズーを経由する。なぜか。それがこのチームの義務だからだ。ジズーが有名になりすぎた「切り返し」をする間に、アンリやヴィルトールのスペースは消され、残るのはこのチームにもっとも不似合いなクロスからヘッドだけ。アンリをワントップに据えるのなら、彼に左サイドのスペースを与えることに、他の選手は専念すべきだし、中盤でショートパスを交換しつつ、左に流れるはずのアンリの前方にスペースを与え、スペースが生まれた瞬間、彼に早いパスを出す。それが、この希代のストライカーを生かす唯一の方法だ。もし、今のままジズーからの配球に拘るなら、トップはトレゼゲの方がずっといい。

 今から2年前、デシャンのモナコがチャンピオンズリーグ決勝でモウリーニョのポルトと対戦したことを記憶している人も多いだろう。プルショ、モリエンテスを中央に、ジュリ、ロタンを両サイドに置いたアタックは見応えがあった。当時のモナコに在籍し、フランス代表に今残っている者はディフェンダーだけだ。ジュリが右サイドを疾走してロナウジーニョのパスを受ける姿は今年のチャンピオンズリーグの白眉だったことは、レーモン・ドメネク以外誰も忘れてはいまい。

 今、ピッチの中央に君臨する王はどのチームも必要としていない。重々しく移動するジズーの過去の栄光に文句を言う人などいない。しかし、否、だからこそジズーは、自ら退くことでレブルーに、その拘束から、その幻影から離れる自由を与えるべきだ。イエロー2枚で出場できない次戦の対トーゴ戦は、ジズーのいない自由を味わう最大の実験室になるだろう。だが、惜しむらくはその実験室にジュリは入室していない。

投稿者 nobodymag : 00:21

2006年06月19日

点が取れない! 日本対クロアチア 0-0

実力はこんなものだろう。0-1のゲームを川口がドローにしたのが現実。昨日イランを粉砕したポルトガルに比べるとクロアチアは相当に落ちる。けれどもひとりひとりを比べると良い勝負だろう。こうやって勝つんだという形がない日本代表は、粘るしかない。決定的なチャンスは柳沢のノーマークだったが、いつものように彼は慌ててボールは枠に飛ばなかった。これが実力なのだからしかたがない。

 けれども「勝ちたい気持ち」はオーストラリア戦よりも伝わってきた。当然だが。
 ヒデは誰よりも頑張っていた。好守のバランスをとり、ミドルを2本打ち、2本ともショッツオン。だが、勝てない。勝てないのには原因がある。もちろんメンバーの問題もあるが、それは言わずにおこう。久保がいたら……。アレックスの代わりに中田だったら……。宮本の代わりに闘利王だったら……。しかし、あえて勝てない原因はヒデだと言っておこう。彼はロシツキーでもデコでもない。ビッグクラブでベンチを温めるサブだ。これが現実だ。俊輔にしてもセリエAの田舎チームからスコットランドのトップチームに移ったにすぎない。このゲームでとても良かった稲本にしてもWBの控えだ。個人個人の力がまだまだ足りない。後半 35分をすぎると両チームともグロッキーで、10ラウンドを終え、判定に持ち込まれたボクシングの試合を見ているようだった。必殺のパンチは空を切り続ける。

 もちろん個々人の力ではなく、チームで勝とうとするなら、当然、コーチはジーコではない。でもこれはジーコのチームで、彼は個人個人の力で勝てという主義だ。そして個人の力で上回れなかった。こんなものだろう。このチームに、ロナウジーニョがいないのは当然だが、ひとりのランパードも、ひとりのエシアンも、ひとりのピルロもいない。スナイデル・クラスの中盤が数人いるだけだ。あとは屈強のディフェンダーがひとりと、ときに「神懸かり」的なセーヴをするGKがいるだけ。アジアでは勝てるだろうが──昨日、ポルトガルに粉砕されたイランを見ていてもそう思った──アウェイのW杯で快勝するのは無理な注文だ。もし決勝トーナメントに残りたいなら、ブラジルがオーストラリアに圧勝し、3戦目をヴァカンス気分で迎え、日本は「マイアミの奇跡」の再現──幸い川口とヒデがいる──を狙うだけになった。そして「軌跡」は10年に2度は起きないだろう。

投稿者 nobodymag : 00:22

2006年06月17日

コートディヴォワールに足りないもの

 セルビア・モンテネグロに圧勝したアルゼンチンには驚かされた。もちろんメッシやサビオラの溌剌としたプレイぶりも圧勝の原因だが、それよりもセルビア・モンテネグロの完敗ぶりには目を覆った。ピクシーやオシムという固有名とともに、セルビアのフットボールは、華麗で誠実なものだったはずだが、このゲームを見る限り、復興は遠い。ユーゴ内戦時代に国外にあった選手(ピクシーなど90年のイタリアW杯代表)やオシムなど指導者は別にして、同時代にユース世代であり、これから才能を開花させる年代の選手たちには大きな傷を残しているにちがいない。0-6という数字はもちろんショックなものだが、フットボールには何よりも戦争が似合わないことを教えてくれる。

 そしてコートディヴォワール対オランダ。1-2。コートディヴォワールは同スコアで2連敗し、決勝トーナメントはアルゼンチンとオランダの進出となった。コートディヴォワールが内戦状態にあることは周知の通り。ドログバ、トゥレを始めとする主要な選手は全員ヨーロッパでプレイしている。対アルゼンチン、対オランダ共にコートディヴォワールの方がよいフットボールをしていたことはゲームを見ていた人ならほぼ共通して持つ感覚だろう。だが、勝てない。老兵アンリ。ミシェルのせいかもしれないが、端的にシュートが入らない。シュートのタイミングが悪い。打つべきところでドゥリブルし、シュートのタイミングでパスを選択している。コンビネーションのプレイが少なく、ほとんどが個人による突破からチャンスを作っている。アフリカの選手というと「身体能力」という言葉が枕詞になっている。確かに全員「身体能力」は高い。普通は、それが荒削りでチームプレイが戦術が身に付けばもっと上まで行けると言われてきた。カメルーン然り、ナイジェリア然り。だが、今回のコートディヴォワールは、そういう常套句が成立しないチームだと思っていた。何せチェルシーやアーセナルの主力が、主要なメンバーなのだ。中盤の底のヤヤ・トゥレはオリンピアコス、先発のFWコネ兄弟はPSVとニース。アフリカでプレイするのはチュニジアにいるGKのみ。彼らにとっては代表チームでプレイするよりも所属チームでプレイする方が楽しいだろうし、代表としてアイデンティティを持つよりも、彼らはフットボールの才能によってノマードとなることを選んでいるのではないだろうか。もちろん同じ育成施設(これについては何度も報道されている)出身ということはあるだろうが、かつてのフランス代表のドゥサイイや現代表のヴィーラを見れば判るように、アフリカを代表してプレイする意識がそれほど大きくないのではないか。もしもコートディヴォワール(軍事)政府がフットボールチームを国連等への和平の口実として利用したいのなら、もっとカリスマ性のあるコーチを連れてくるできだろう。このチームがどんなフットボールを志向しているのか最後まで判らなかった。ポゼッションし、シュートは打つが入りそうもない。ディフェンスをどうやって崩して、どうやってフィニッシュするのかついての意思統一がない。アルゼンチンのペケルマンの指導力、オランダのファンバステンのカリスマ性がこのチームには不足していた。

 そしてオランダには失望した。ロッベンがエブエに押さえられると、フリーキックしか点が取れない。ファンニステルローイは明らかにオフサイドだった。クライフはどう思っているのだろう?

投稿者 nobodymag : 20:56

2006年06月16日

俺はおこったぞ!(ジェラード)

 打っても打ってもトリニダード・トバゴのゴールネットを揺らすことができないイングランド。スウェーデン戦の再現? エリクソンは後半次々にカードを切る。まず精彩を欠いているオーウェン・アウト、期待のルーニー・イン。これでサポーターは納得するだろう。キレのないオーウェンだったら、ここらでルーニーにゲーム勘を戻させるのもいいだろう。骨折あけのルーニーがすぐに活躍できるほど、このゲームは甘くない。ゴール前の人混みでスペースを見つけるのも大変。エリクソンの真の狙いはここから。ジョー・コール、アウト、ダウニング・イン(前のゲームで批判したジョー・コール、アシュリー・コールのコンビネーションはこのゲームは悪くなかった)。そしてキャラガー(このゲームでは出来が良かった。ガリー・ネヴィルよりもずっといい)・アウト、レノン・イン。右ではサイドバックを右のウィンガーに代え、左はミッドフィールダーのそのままの交代。では右サイドバックは誰? なんとベッカム。

 このゲームの後半、キャラガーもアシュリーも上がりっぱなしで、現実的にリオとテリーの2バックで十分。その前をジェラードがカバーし、センターバックのひとりが上がると、アシュリーがカバーする布陣だった。だからベッカムの右サイドバックというのは、彼にクロスの余裕を与えるためだ。事実、レノンが何度も右サイドを突破する動きをし、ベッカムの前にぽっかりスペースが生まれ始める。

 中央から両サイドからガンガン攻めるイングランド、ランパードはルーニーをも追い越してセカンドアタッカー状態。でもこの人混みだ。上からボールを落としてくる──つまり大きなクロスをクラウチしかないな、と誰でも考えた瞬間、レノンからベッカムへバックパス。ベッカム、フリー。絶妙のクロスがゆっくりとクラウチの上方へ。これを決めなくちゃ、おとこじゃないぜ。ドンピチャの一発。これが83分。あとはキープで決勝トーナメントだ。

 でもそれじゃ我慢できない奴がいた。前回のW杯を直前になってパブで喧嘩して棒に振った若者、今ではリヴァプールの宝に成長したジェラードだ。それまでアタックはランパード、俺はディフェンスと役割分担していたが、もう我慢できない。俺にもボールをくれよ。ロスタイムだ。もう本気出していいよね。最初は味方と重なってシュートコースが消されたが、リターンをもらって、左に切り返し、そのまま左足で左隅へドーン! 2-0。

 トップが頼りないイングランドでは何と言っても俺とおまえ──ジェラードとランパードだよね。悪い、デイヴィッド、君のクロスもいいよ。それにしてもトリニダード・トバゴ、よかったね。ヨーク、久しぶりだけど、マンU時代でもアンディ・コールよりも君の方がよかったことを思い出したよ。誠実なプレイは大好きだ。

投稿者 nobodymag : 10:44

2006年06月15日

スペインの本気はいつ?

 誰の目から見てもスペインはウクライナに対して素晴らしいゲームをした。なにせ4−0。ブラジルがクロアチアに1−0、スイスとフランスが引き分けといういかにもW杯らしいゲームが多い中で4−0はすごい。ウクライナにひとり退場者が出たとはいえ、全員のパススピードが速く、ボールと人が連動し運動していくスペインのフットボールは大好きだ。ロングボールでシェフチェンコの一発だけが狙いのウクライナのアタックはプジョルが完全に押さえ込み、ショートパス、ミドルレンジを織り交ぜながら、中央にサイドにボールを運動させていくアタックは心地よい。
 この組(他はチュニジアとサウジアラビア)は比較的楽だが、1位抜け争いでは、スペインが完全に優位にたった。そして、楽な展開のためか、次々に控えのメンバーがピッチに送り出されたが、先発とまったく遜色がない。

 だがこんなゲームは連続してできるものではない。この日のスペインを見たサウジやチュニジアは、もっともっとスペインの中盤にプレッシングしてくるだろうし、まずは負けないフットボールを展開しくるにちがいない。パスコースを分断し、中盤が激しくなると、シャビやシャビ・アロンソのパスがぶれてくる。すると前戦が孤立してくる。今日のようなゲームはなかなか反復しない。もし、それがサウジ相手でもチュニジア相手でもいいが、同じような完勝が繰り返されるとすれば、スペインは、本当に強いチームだと言えるだろう。かつてのスペインの常套句である「無敵艦隊」を思い出すのは、次のゲームが終わった後で良いだろう。

 それに比べて、フランスはどうだろう。勝てない、点が取れない。選手の流動性が乏しい。ジダンがマケレレがテュラムが帰ってきても、停滞感は目を覆うばかり。動いているのはリヴェリくらい。思い出してみれば、フランスの停滞は今に始まったことではない。2002年の予選敗退でも、ユーロ2004でもこの停滞は同じで、デシャンとプティ(ヴィーラ)に支えられたジダンが奔放にチャンスメイクした1998年や、特にユーロ2000と比較すると、停滞どころか後退だけが感じられる。

 そしてブラジルは? カカのビューティフルゴール1発で勝った。守備を固めたクロアチアを攻めあぐんだが、万が一クロアチアが同点にしたなら、ブラジルの力はもっと引き出されたろう。フランスの不出来に比べれば、緒戦のブラジルはこんなものだろう。次戦、もしオーストラリアが対日本戦のように攻めてくるとすれば、ブラジルはオーストラリアに3−0くらいで勝てるだろう。打ち合うのを控えたクロアチアは、比較的ブラジルのアタックを防いではいたが、これでは引き分けることはできても、勝てはしない。

投稿者 nobodymag : 00:10

2006年06月14日

韓国は強い!

 ごめんなさい。韓国対トーゴは、「ジーコ・ジャパン」についての様々な論評をネットサーフしながら、片目で見てしまった。その論評については後で書くことにして、韓国対トーゴを見ていてちょっと驚いたのは、韓国が3-4-3だったこと。アドフォカートが昔のオランダの夢を追っているのかと目を擦った。するとトーゴが先制!昔の夢を追ってはいけない。山本昌邦(解説)は、アデバイヨールのワントップに対応するために3バックにしたのでは、と言っていたが、アデバイヨールは2列目に下がっていたから、このシステムはまったく機能しなかった。それで、後半はアン・ジョンファンを入れて、4-2-3-1。ボールが回り出し、皆、生き生きし始めた。もう韓国の勝ちだろう。予想通り、FKと安のシュートで逆転勝ち。そしてロスタイムは、FKを得ても、しっかりボール回し。貫禄だよね。昨日のジャパンのドタバタぶりとは大違い。先回のW杯4位がフロックだと言われていたけれども(ぼくもそう思っていた)、パク・チソンを中心にしたこのチームは強い!スイスにも勝つだろう。

 そして「ジーコ・ジャパン」への論評の論評。ほとんどが「然り」だ。ヒディンクとジーコの差。後半の采配を見れば当然。でも、今までも采配で勝ったゲームはなかった。一昨年のアジアカップでも選手の頑張りだ。かなりの選手が修羅場を経験し、「世界」を踏んでいるのに、最後まで頑張れない。どうしてだろう? 中盤を支配されはじめたとき、中田や俊輔が打開できないのか? 選手たちもドタバタして、自分たちでやり方を変えられない。どうしよう、来るぜ、来るぜと思っている内にやられてしまう。落ち着け! ここはキープだ!と思ってもクリアが精一杯。暑いから? ディフェンスばっかでいやになったから? ロッカールームの雰囲気は暗いと宮本が言っていたが、どうしたらいいのか、誰も判らなかったんだから、暗いよね。中澤ひとりが頑張っていた。その通り。皆、疲れていた。その通り。でもこのゲームのために60ゲームもこなしてきたんだ。頑張れないのか?
 論評を読む限り、「大人になった」はずのこのチームはまだまだ「子ども」だった。このチームへの論評も「子ども」だった。海外に雄飛したはずの「同胞」も救世主になれなかった。ジーコは苦しいときに助けてくれないことくらい、ずっと前から判っていたろう。ぼくと同じ年のこの人に試合中できることは皆と一緒に喜ぶことだ。彼は、「神は自ら救い給う者を救う」と4年間言い続けてきたはずだ。同点になったら、「お手上げ」じゃだめで、それでも何とかしようと思うチームに育ったはずだろう。ジーコに決定的に備わっているのは「カリスマ性」で、彼に戦術を求めても無駄だ。戦術のあるヒディンクは1年でチームに「ど根性」を植え付け、後は「俺が助けてやる」と態度で示している。ジーコは、ピッチにいるのはおまえらで、ゲームをやるのはおまえらなんだから、自分たちでやれよ、とずっと言ってきた。俺がうまいのはFKだぜ、シュートだぜ、といつも見本を見せてきた。どうだ、ヒデや俊輔よりも俺のがうまいぜ、と見せつけてきた。ちくしょう、あいつに勝たせてもらってるじゃねえ、俺たちの力で勝つんだ。

シュート練習するぜ、ジーコより俺のがうまいぜ、ゴール入れるぜ。
ゴール前でフリーの味方を探すなんてやめるぜ。ゴールが見えたら、思いっきりシュートするぜ。入らなくでもシェーネー、シュート打たなくちゃ、点なんてはいらなえからな。
チームの他のやつらに指示出す暇なんてないぜ、俺が決めてやる。いちばんうまいのは俊輔でも伸二でもねえ、俺だから差。ジョホールバルでもそうやって勝ってきた。
かかって来いよ、FKもらうぜ、そうしたら俺がゴール決めるぜ。ジーコの鼻をあかしてやるぜ。
ディフェンス任せろよ。パスの出所を押さえなくても、俺がみんな止めてやる。

「大人」の選手なら、そう思ってクロアチアやブラジルにかかっていくしかないね。今さらジーコがだめだって叫んでも遅い。俺は叫び続けいたと責任逃れするのも卑小だ。イングランドはエリクソンで勝ったのか? ブラジルはパレイラだから強いのか? フランスのドメネクなんて最低の野郎だぜ!

投稿者 nobodymag : 00:15

2006年06月13日

6月12日  惨敗! 日本対オーストラリア 1-3

 本当に幸運なことに後半39分まで1-0のリード。それも川口のファインセイヴの連続が招いたラッキーに過ぎない。ゲームの後、岡田が言っていたが、このまま行くのではないかと誰もが思ったろう。ぼくも例外ではない。だが、この結果だけを記すと「惨敗」だ。ゲーム終了までの9分間(ロスタイム3分)で3失点。前掛かりになり、足が止まり……。
 スタッツを見たわけではないので、正確な分析はできない──なにしろ今0:41、ゲームが終わって何分も経っていない──が、シュート数ではオーストラリアがおよそ3倍、ポゼッションでは6:4といったところだろう。最終的な点差は実に正直だ。でもW杯は勝つことが重要であって、負けては今までの強化も水泡に帰す。

 これまで何度も書いてきたが、日本の長所は中盤にある。ジーコのスタートは「黄金の中盤」だった。今日のメンバーにしても福西、中田、俊輔のトライアングルがこのチームの命運を握っていたはずだ。柳沢にしても高原にしてもシュートは入らない。彼らはむしろチャンスメイカーであって、2列目から顔を出すはずのヒデや俊輔が得点するのが、このチームの理想だろう。だが肝心の時間帯、ヒデも俊輔もゲームから消えていた。このゲームで絶好調だった福西だけが、同点にされた直後、惜しいシュートを放った。
 華麗な中盤が垣間見えたのは、前半にリードした直後だけで、ゲームの主導権を奪った時間は現実にほとんどなかった。駒野、アレックスの両サイドからのアタックは見られないではなかったが、彼らをヒデや俊輔がフォローしシュートに持ち込むシーンは偶然決まった俊輔の得点シーンだけだった。今日のヒデはボルトンでボールを失うヒデに重なって見えた。ときおり身体能力の向上を見せた俊輔だが、彼が良い位置でフリーキックをしたのは1度──それも壁に当たった──だけ。ピッチの中程をぐんぐんパスが回るフットボール、そう去年のコンフェデの対ブラジル戦の前半のようなフットボールは90分間見ることができなかった。

 何度かオーストラリアからオフサイドがとれたが、それでも中盤からプレスがかかり、コンパクトなフットボールがまったくできていない。もともとそんなつもりがないオーストラリアは別だが、中盤のショートパスからサイドへ、というアタックもまったくできなかった。相手がロングボールで来るのが判っていたからか、ディフェンスラインは前半も後半も深すぎた。

 つまりゲームの中でのクリエイティヴィティは、日本になかったし、ロングボールを放り込み、ひたすらパワープレイに徹するオーストラリアにもなかった。

投稿者 nobodymag : 00:31

2006年06月12日

6月12日 C組の光芒

 トリニダード・トバゴの鬼気迫るディフェンスがスウェーデンの勝ち点2を奪ったゲームの直後、予選リーグでもっとも注目すべきゲームのひとつアルゼンチン対コートディヴォワール。

 周知の通り結果は2-1でアルゼンチン。2点はどちらもリケルメが起点。コートディヴォワールの1点は終了間際のドログバ。結果だけ書けば、アルゼンチンの完勝だが、実際のゲームは6:4でコートディヴォワール。つまりコートディヴォワールは内容で勝って結果で負けたということ。それがフットボールだ。

 けれどもコートディヴォワールの敗因は実にはっきりしている。アルゼンチン相手にもポゼッションが可能だし、左サイドからのアタックは常に有効だった。シュートまでは行くがシュートが入らない。あるいはアルゼンチンの巧妙なディフェンスに、コースが消されてしまう。アタックに関して足りないものはふたつ。ひとめは、右サイドからのアタックが足りなかったこと。エブエが不調だったのか、チーム戦術だったのかのは判らないが、アーセナルでは効果的な右サイドアタックを仕掛けるエブエが実におとなしい。アルゼンチンは、左からアタックされるのを判っていながらかなり左サイドを破られたので、3回に1度は右を使えば、ヴァイタルエリアがもう少し広く使えたのではないか。
 そしてふたつめ。これはディフェンスに関わるが、パスの供給源になるリケルメにもっとハードなディフェンスをすべきだった。昔ながらの職人気質で中盤でタラタラとパスを繋ぐリケルメ。ぼくは好きになれない選手だが、スペインの片田舎でぼちぼち技術を磨き続けている。こいつにプレッシャーをかければ、チャンピオンズリーグでの記憶が新しいように、PKさえ外してくれる。昔ながらの職人に気分良く仕事をされては、驚くように美しい作品を残されてしまう。職人芸の時代は去ったことを身を以て体験させなければ、職人には時代の変化を感じることはできない。(別の比喩を使えば、スタジオシステムなんか、もうない。今は全部ロケで映画を撮ることをリケルメに教えてやることだ。)
 換言すれば、コートディヴォワールにはやや敬意が欠けていた。自らのカッチョ良さに溺れて、夜店のガラス細工も悪くはないのだという敬意が欠けていた。まったくのガチンコ勝負を挑み、内容では勝っていることを実感したのが悪かった。相手にも良いところがあり、それを丁寧に消してやる手間を省き、身体能力を基礎にしてモダンフットボールを貫くと、職人たちの逆襲に遭うということだ。ヴィーラにそっくりのプレイをするコロ・トゥレの弟のヨヨ、君はもう少し泥臭いプレイをしろよ。

 そしてオランダ対セルビア・モンテネグロ。これはオランダの圧勝。と言うよりもロッベンの圧勝。「ドイツは暑いね」とうそぶきながら、左サイドを疾走するロッベンの姿はオランダの表象だ。ファン・バステンは、ペケルマンがアルゼンチンをリケルメのチームにしたように、オランダをロッベンのチームにしている。チェルシーのロッベンがモウリーニョの約束事の犠牲になり、ぶつぶつ文句を言うことを許してもらえないのを見て、ファン・バステンは、ロッベンに文句を言いながらでもいいからしっかり仕事をすること。そうすれば誉めてもらえることを教え込んだのだろう。アタッカーは誰よりも誉めてもらいたいものだ。ファン・ニステルローイもファン・ペルシーもロッベンのためにだけ存在している。そして勝てば皆、嬉しいものさ。結果は1-0だったが、内容では10-0。

 C組ではセルビア・モンテネグロだけ少し弱そうだ。

投稿者 nobodymag : 09:00

2006年06月11日

6月10日 イングランド対パラグアイ  1-0

ドイツにも暑さがやってきたようだ。フランクフルトのスタジアムには夏の濃い影が落ちている。何十年かぶりで優勝候補に挙げられているイングランドの緒戦がパラグアイであることは面白い。堅守のチームに対してイングランドの「華麗な中盤」がどう機能するのか。

右にベッカム、左にジョー・コール、そして中央にランパードとジェラードを配した中盤は、どこのチームにも見劣りしない。ロングボールでトップに合わせる伝統のイングランドスタイルなど過去のものだ。これもまたモウリーニョ、ベニテス、そしてエリクソンといった外国人コーチの指導の賜だろう。

だがゲームはぼくらの予想に反して展開する。開始4分にベッカムのFKが相手ディフェンダーの頭に触れてゴールインし、肝心のディフェンスががたがたするパラグアイ。イングランドの一方的なポゼッションで、ゲームの緊張が一気に薄れていく。「華麗な中盤」どころか、誰も彼も、キーパーのロビンソンまでもロングボールでトップのクラウチの頭に合わせるばかり。オーウェンの走力も、ジェラードの両サイドへのロングパスも忘れられてしまう。皆、個人技に走り出す。ひどいのはジョー・コールだ。彼の左をアシュリー・コールが上がっても、一度たりともパスを出すことはない。敵陣に10メートルほどのところで「得意」のドリブルからフェイントを繰り出す始末。ボールは展開されない。ときおりランパードとベッカムがミドルを放つが、それらもゲームの停滞を破るものではない。そして前半終了。

後半は皆の動きが止まり、したがってパラグアイの攻勢。だが、パラグアイの攻勢もリオとテリーの前に何度もはね返されるだけ。エリクソンはたまらずオーウェンに代えてダニングを送り出すが、彼もまたアシュリー・コールとお語気が重なっている。フラットの4-4-2では、何よりも両サイドバックの上がりが重要なのに、冒頭の得点でイングランド選手の真剣さがすっかり失われてしまった。ランパードもジェラードも本来の力の10%も発揮していない。それにオーヴァーラップのないアシュリー・コールなど、ただの小柄なサイドバックだ。幸い破綻なくゲームが終わり、イングランドはなんとなく勝ち点3を手に入れ、エリクソンも「暑いから仕方がない」と言う始末。イングランドはまだチームの体をなしていない。

投稿者 nobodymag : 00:14

2006年06月10日

6月9日 開幕

W杯を初めて見たのはいつだったか? 1966年のイングランド大会だったと思うが、より正確な記憶をたどると、70年のメキシコ大会で、やはり「後半は来週ご覧いただきましょう」の「三菱ダイアモンドサッカー」だったと思う。「肉を切らせて骨を切る」のドイツ。フォクツ、ベッケンバウワーといった面々、そしてジャイルジーニョ、ペレらのいたブラジル。金子勝彦アナ、岡野俊一郎解説とともに思い出す。それからW杯はずっとテレビで見ている。
そして、2002年の記憶がまだ薄れてはいない昨日、ドイツW杯が開幕した。組織委員長のベッケンバウワーの白髪が、ぼくも歳を取ったことを思い出させる。リベロという名詞を彼とともに初めて知ったのはやはり70年のことだったか。「三菱ダイアモンドサッカー」はぼくらにとって「世界への窓」だった。それからフットボールは変容した。W杯も変容した。最高峰の大会はW杯ではなく、もうチャンピオンズリーグであって、「国民国家」を背景にしたW杯など不要だ。そんな意見が出てきてすでに10年は経ったろうか。W杯が不要かどうかは別にして、最高峰のフットボールがチャンピオンズリーグであるのは論を待たない。事実だ。ポルトガルのデコ、日本のアレックスをはじめ、多くのブラジル選手が別の国籍を獲得していることを考えても、W杯の国別対抗戦の「国家」は、「国民国家」さえ形骸化していることを知らせてくれる。
だが、ぼくはW杯が好きだ。たとえば開幕戦に登場したコスタリカなどは、おそらく予選リーグで敗退するだろうから、わずか3ゲームのために、何年も強化し予選を戦ってきたことになる。これは「晴れの舞台」であって、彼らを見ていると、晴れがましい。チャンピオンズリーグの緊張感とは異なるフットボールがここにある。
それはどんなフットボールなのか? 2002年のW杯ジャーナルにも書いたが、1ヶ月の間、優秀な選手たちが普段とはまったく別のチームに所属して、別のフットボールをする。その実験室がW杯なのであり、その実験の結果がすぐさま日の目を見るのがこの大会だ。バルサ育ちのアルゼンチン人のメッシが、ボカ育ちでビジャレアルで仕事をしているリケルメとどうやってフットボールをするのか、というのが、たとえば問題のひとつだろう。そしてときにその実験は、ぼくらの想像の外側にある驚くべき結果を生むこともある(もちろん、いつもではないし、むしろ失望の方が多い)。いつもゴダールを引用したくなる。「信じがたいものを信じること、それが映画だ」というあの言葉だ。「映画」に「フットボール」を置き換えたくなることは言うまでもない。

だが開幕戦は、何の「信じがたいこと」も起こらなかった。ドイツは攻撃的に戦い4点取り、そして2点とられた。日本戦でも露呈したディフェンスの弱さは対コスタリカ戦でも解消されていない。特に柔なのはセンターバックだ。バラックが出場して彼がマークされると、この日のように点を取ることはできないだろう。翌朝スカパー!で去年行われたオランダ対ドイツを見た。そのゲームはドローで終わったがドイツは、両サイドまでも簡単に破られていた。まずディフェンスから入るという鉄則をクリンスマンは忘れているか。決勝トーナメントでは期待薄だ。オープニングマッチに対コスタリカ戦を持ってきて、自チームの弱さを覆い隠すことは、「興業」としてはよいかもしれないが、フットボールとしては、現実逃避だ。レーマンもアーセナルのディフェンダーに守られれば、何とか失点は防げるが、突っ立っているだけのドイツセンターバックの影から湧いてくるシュートはとても防げないだろう。

投稿者 nobodymag : 17:49