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March 31, 2022

『憧れの地』アピチャッポン・ウィーラセタクン

[ art ]

 札幌市の中心部、JR札幌駅から大通公園を経て、歓楽街すすきのへ至るまでの道には、冬に地上に雪が積もった際も人々が安全かつ気軽に街へ出歩けるよう長い地下通路が整備されている。ジャミロクワイの大ヒット曲"Virtual Insanity"が、この地下歩道空間に着想を得ていたことが数年前SNS上で少し話題になったが、札幌にかれこれ6年間住み続けている筆者にとっても、雪がしんしんと降り積もる地上には誰一...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 12:54 PM

March 28, 2022

フランス映画を作った女性監督たち ―放浪と抵抗の軌跡

[ cinema ]

 国立映画アーカイブでついに開催される「フランス映画を作った女性監督たち ―放浪と抵抗の軌跡」では、現代の映画から黎明期の映画にまで遡り、女性たちがいかに映画史に参加してきたかを検証する。われわれは120年近くの年月を辿り直すなかで、女性たちが唐突にそこに現れたわけではなく、さまざまな映画、社会的な状況に影響を受け、あるいは与え、大きな流れのなかで映画を撮っていたことを確認できる。だが、それはひと...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 3:35 PM

March 25, 2022

《第17回大阪アジアン映画祭》『エンクローズド』ヤン・イー(楊翼)

[ cinema ]

 オイディプスが描かれた絵画のパズルを解く少年フリオ(アシュトン・ミラモンテス)は、失くした最後のピースを家政婦のエイプリル(タリア・マーティン)と探すことで、彼女との限られた時間の中に身を投じる。ただしこの偶然のひとときは、言わば必然のように感じられるものでもあり、むしろ偶然を装った行為であったことがのちに暴かれていく。それは失くしたものを口実とした時間の引きのばしであるとともに、エイプリルに対...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 1:14 PM

March 20, 2022

《第17回大阪アジアン映画祭》『遠くへ、もっと遠くへ』いまおかしんじ

[ cinema ]

 映画の序盤で主人公の小夜子(新藤まなみ)とその夫(大迫一平)が食卓を囲む場面がある。「ごめんね、お惣菜ばかりで」と小夜子が言うと夫の五郎が「美味しいよ、よー、よー、よー」と言う。ラップ調の「よー、よー、よー」は何の脈絡もなく、どこか唐突な印象を受ける。その後で小夜子がこの台詞を受け流して、全く新しい話題を切り出すことからも、「よー、よー、よー」という台詞はこの場面で何を意味しているのかが分からず...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 7:42 PM

《第17回大阪アジアン映画祭》『はじめて好きになった人』 キャンディ・ン(吳詠珊)、ヨン・チウホイ(楊潮凱)

[ cinema ]

 本作は女学校に通うウィンラム(ヘドウィグ・タ)とサムユ(レンシ・ヨン)の学生時代から大人になるまでを追った物語だ。学校の班長で風紀委員のウィンラムは、ある日親友サムユが自分に恋心を抱いていると知る。彼女たちは親密な日々を送るが、数年の間離れ離れになった後、大学生になって再会した2人は「30歳になって共に独身だったら結婚しよう」と約束する。そして彼女たちが30歳になる直前、結婚式のブライズメイドを...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 12:36 AM

March 19, 2022

《第17回大阪アジアン映画祭》『北新宿2055』宮崎大祐/『めちゃくちゃな日』チャオ・ダンヤン(趙丹陽)/『姉ちゃん』パン・カーイン(潘客印)

[ cinema ]

 異なる映画の中にそれぞれが繋がりを見出し、上映全体を1本のストーリーとして観ることは、短編プログラムを続けて観る上で大きな楽しみのひとつである。ともすれば、「短編6」のプログラムの中で上映された『北新宿2055』(インディ・フォーラム部門)、『めちゃくちゃな日』(特別注視部門)、『姉ちゃん』(特集企画《台湾:電影ルネッサンス2022》)の3作品からは、自ずと「よそ者」という繋がりをそこに見出すこ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 7:03 PM

March 15, 2022

『都市とモードのビデオノート』ヴィム・ヴェンダース

[ cinema ]

「君はどこに住もうとも、どんな仕事をして、何を話そうとも、何を食べ、何を着ようとも、どんなイメージを見ようとも、どう生きようとも、どんな君も君だ。人、もの、場所の"アイデンティティ"。 "アイデンティティ"......。身震いがする、嫌な言葉だ」  監督であるヴィム・ヴェンダース本人の語りで幕を開ける本作は、彼によって撮られたエッセイのような映画だ。この企画はポンピドゥー・センターにより「ファッシ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 10:38 PM

March 14, 2022

『ドン・カルロスのために』ミュジドラ&ジャック・ラセーヌ

[ cinema ]

 この作品はスペインの王位継承権を巡って勃発したカウリスタ戦争を題材とした作品ではあるが、中心に描かれているのは歴史的出来事ではなく、ミュジドラ演じるアレグリアというキャラクターと周囲の人間模様である。アレグリアは副知事を務めており、幼いときから兵士たちに囲まれて育ってきたという環境もあってか、男性社会でも物怖じせずに堂々とした態度で振舞う人物である。しかしそんな勝気で勇ましい彼女にも、繊細で愛情...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 11:04 PM

『パリ1900年』ニコル・ヴェドレス

[ cinema ]

C)DR  夜が明ける。陽がオベリスクを、次いでエッフェル塔を照らしパリの街に降り注いでいく。ニコル・ヴェドレスが1909年から1914年のあいだにパリを中心として、フランス各地や諸外国で撮影された700本以上のフィルムを再編集し、ナレーション(クロード・ドゥファン)と音楽(ギイ・ベルナール)を加えて作品化したのが『パリ1900年』(1946)である。冒頭、夜明けのパリにドゥファンの落ち着いた声...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 2:12 PM

『オリヴィア』 ジャクリーヌ・オードリー

[ cinema ]

C)DR  森は、社会の外延をかたちづくる境界としての役割をはたしながら、それじたいが社会の外部としてあり、どこからが森であるのか、はっきりとした輪郭をもつものではない。映画の冒頭、オープニングクレジットが流れているあいだ、カメラは左から右へと流れていく森の木々を映し出すのだが、社会と隔絶された森の奥の寄宿学校を舞台とするジャクリーヌ・オードリー『オリヴィア』の主題は、こうした境界へと向けられて...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 2:02 PM

『冬の旅』アニエス・ヴァルダ

[ cinema ]

©Ciné-Tamaris  ヌーヴェルヴァーグ の祖母と呼ばれ2019年にこの世を去ったアニエス・ヴァルダは1985年に本作『Sans toit ni loi(屋根も法律もない)』を製作した。日本では『冬の旅』と題して公開され、VHS化に伴って『さすらう女』に題が変更された。  この映画は主人公モナが死体で発見される場面から始まる。彼女は畑に倒れ凍死している状態で見つかるが、警察は彼女の死...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 1:37 PM

『奥様は妊娠中』ソフィー・ルトゥルヌール

[ cinema ]

C)DR  『奥様は妊娠中』には、2回の出産シーンがある。1度めは、世界的なピアニストである、妻・クレアが海外ツアーのために乗った飛行機の中で、夫で彼女のマネージャーであるフレデリックが、出産を迎えようとする妊婦の手助けをする。お客様の中にお医者さんはいませんかというアナウンスに応じて、その場になぜか居合わせた彼は、出産間近の女性に励ましの声をかけ、そして無事生まれた赤ちゃんを母親に見せるために...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 1:20 PM

March 8, 2022

『弟とアンドロイドと僕』阪本順治

[ cinema ]

 印象的ではあるが、記憶に定着しづらいタイトルである。もしこれが「僕と弟とアンドロイド」というタイトルだったら、一人称である「僕」を基点とする安定した構図が形成され、スムーズに記憶できるのではないだろうか。「弟」と「アンドロイド」の後ろに、「僕」が並列するタイトルの"座りの悪さ"。それは、本作が問題とする「孤独の性質」と深く関わっている。  「"究極の孤独"を描いた禁断の問題作」という触れ込みから...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 12:14 PM

March 6, 2022

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン

[ cinema ]

 思い返して何より忘れがたいのは、アナクロニックなカウボーイのフィルを演じるベネディクト・カンバーバッチの手のことばかりである。妖艶という言葉がぴったりな美少年のピーター(コディ・スミット=マクフィー)が作った精巧な紙の造花を指でいじる、あからさまな「陵辱」のシーンをはじめとして、血のついた手で手紙をしたため、素手で牛を去勢し、皮をなめて縄を編むフィルの手仕事が、クロースアップによって頻繁に映し出...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:56 PM

March 1, 2022

『暴力の街』ジョセフ・ロージー

[ cinema ]

 初期ジョセフ・ロージー映画とは、明晰な理念と的確な演出を行いうる手腕が、それをもってしても処理不可能になる複雑で困難な主題に相対し、苦闘したさまの記録ではないだろうか。ある種の類似を持つ『暴力の街』(1950)と『M』(1951)などを立て続けに観るとそう思う。  そういう重みのある『暴力の街』の脚本を書いたのは、ジェフリー・ホームズGeoffrey Homes=ダニエル・マンワリング(メインウ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 5:05 PM

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