May 31, 2004
贅沢であるとは一体どんな状態のことをいうのだろう?渚にての音楽を聴くとそんな想いにとらわれてしまう。リマスタリングまでは徹底してアナログ録音にこだわり、最小限の人数で時間をかけてレコーディングするという方法、それ自体が贅沢であるという見方もできる。だけれど、そうやって制作されたものだから贅沢な音楽になるというわけではあるまい。たとえば、彼らの盟友でもあるマヘル・シャラル・ハシュ・バズがその編成を大...
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May 22, 2004
『ロスト・イン・トランスレーション』の最後の場面で、ビル・マーレイはスカーレット・ヨハンソンの耳元で囁くが、何と言っているのだろうか。本書に収録されている倉本美津留インタヴューでの彼の解答がおもしろかった。「まあ、ひとつのオチとしての答やったら、「ナニを言ったのか内容はわからないが、とにかくめっちゃめちゃ流暢な日本語で喋ってた」みたいな」。「「大丈夫、オレたち外人だって思われてるんだから、誰もおか...
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May 21, 2004
『ストレイト・トゥ・ヘル』の狂騒のなかで狂騒の果てるゼロ地点をただひとり見透かしてしまうジョー・ストラマーならば、そのゼロ地点からノッペリ広がり続ける静かな砂漠でのレッスンのため、安物のオイルをポマード代わりに来る日も来る日もリーゼントをセットしつづけるだろう。エモーションの果てた地点でいかにエモーションを生産するのか。それはポマードのなくなった砂漠でいかにリーゼントを維持しつづけるかという、ジョ...
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May 16, 2004
いくつかの雑誌で本書が紹介されていて、実際に現場で活躍しているプロデューサーだからこそできる具体的な記述が興味深いというようなことが書かれていたが、そうだろうか。確かに、どれそれにはいくらぐらいの費用が必要でとかいった金銭的な面に関してや、また撮影日誌を読めば毎日何をしたのかもわかるけれど、そうやって得られた情報は、前からだいたい見当のついていたことや知ったところでどうしようもないものばかりだとい...
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自主映画の脚本家と監督が、お互いにほとんど面識もないままに、旅を始めることになる。『リアリズムの宿』はこのように始まる。旅を続けていくうちに、次第にふたりの距離は縮まっていく。また、浜辺で出会った不思議な少女を巡るやりとりが物語を活気づける。3人は、これといった目的もないままに鳥取県のとある温泉街をふらふらと歩き回る。 このように書くと、ダラダラしていて退屈な映画のように思うかもしれないが、実際は...
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May 2, 2004
TOTOのサイトに連載されていた建築ライター 淵上正幸が9組のアトリエ系建築家にインタヴューしたものの集成。みかんぐみ、難波和彦、ADH、坂本一成、ベルナール・チュミ、北山恒、古谷誠章、ドミニク・ペロー、大江匡がその9組。 それぞれのインタヴューはそれほどディープなものではない。建築家になった動機、趣味、着ているもの、アトリエの場所など、かなり私的なものから、建築のプロセスまでかなり幅広く質問され...
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April 29, 2004
一応ベストメンバーのチェコだが、6月からのユーロに備えて怪我が一番怖いのは当然だ。中盤のプレッシャーが弱い。左サイドのアレックスが簡単にサイドラインに沿って駆け上がり、小野が自在にパスを出す。ネドヴェドには稲本がマーク。スペースがあれば日本代表もそれなりにプレーができる。玉田、久保にもボールが入る。 田中誠の入った3バックは、茶野がときどき置いていかれるが安定している。ハンガリー戦もそうだったが、...
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April 28, 2004
『私生活』は1999年5月から2003年6月までの日記で構成されている。だがここにある日記は、まったくもって日記とは言い難いものばかりだ。そもそも「月刊プレイボーイ」連載だったわけだから、この日記も月刊である。月刊の日記なんてあるのか。しかも日付にボカシが入っている。「1999年5月×日」と書いてあるだけだ。これでは日記失格だ。もちろん高橋さんもそこを意識している。前書きで、これは日記ではない宣言...
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April 24, 2004
「下克上」のチャンピオンズリーグも大詰め。 まず現地時間水曜日に行われたポルト対デポル。このゲームは、セリエAのゲームと酷似した長所をつぶし合う展開。したがってシュートも少なく、展開も小さい。両チームともパスの出所を徹底して潰す。これでは点が入らない。0-0のドロー。 そしてその前日開催のモナコ対チェルシー。モナコ監督のディディエ・デシャンは幸運の星の下に生まれている。これほどやることなすことがう...
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April 13, 2004
とりあえず僕は、生まれてから3年間を除いては、ずっと集合住宅に住んでいる。4歳の時に引っ越した公団住宅はもっとも初期の2DKで、次の引っ越しでそれが3DKに、その次の引っ越しで3LDKになり、留学していたパリでも当然のごとく7階建てのアパートの最上階の女中部屋をリノヴェーションした部屋に住んだ。つまり人生は集団住宅から集団住宅の移動に費やされている。 植田実の『集合住宅物語』は東京と横浜の戦前から...
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